死にネタを含んでいます。もちろんハッピーエンド前提ですが、死にネタそのものが苦手なかたは、絶対にご覧にならないでください。



『Title:妻よ』



 夏の陽光。蝉の鳴き声をBGMに、向日葵の咲く野原を駆け回る少女の幻影。
 木陰に腰を下ろして大木を見上げた少女の瞳に映る、夏の息吹。夏の記憶。
「セミってかわいそうアル。何年も土の中で過ごして、ようやく地上に出て、これからだと思ったら……一週間で死んじゃうなんて」
 少女の声だけが、閉ざされた密室の中で反響する。
 今にも透けそうな無色の世界が、際限なく広がってゆく。
 世界からすべての色を取り去ったら、きっと、こんな色になるのだろう。無とはすなわち、光だけが存在する世界だった。眩しい光に目を開けていられなくなり、目を閉じる。
 少女の身長に合わせてしつらえられた木箱を前にして、銀時は目を開いた。
 木箱の中で眠る少女が身に纏っているのは、純白のウエディングドレス。
 それにとけあう白い花。少女の好きな花で、少女のさびしさを埋めてやりたかったけれど、銀時は少女の好きな花を知らなかった。知らないことがまだたくさんあった。もっとたくさん色んなことをきいておけばよかったと思うが、何もかもがもう遅すぎた。
 銀時は少女の手をとり、その小指に唇を押しつけた。これが最期だというのに、どうしても唇に触れることはできなかった。
 少女が十六になるまで、触れないと決めていた。少女もそれでいい、と頷いた。約束は、守りたかった。
 指切りゲンマン。そう言って、小指と小指を絡め、宙に二回振った日のことを。絡ませ合った小指を引き寄せて、少女の小指に約束のキスをした日のことを。銀時は昨日のことのように思い出すことができた。
 少女の小さな小さな小指は、銀時にとって唯一、触れることを自分に許した場所だった。
「神楽」
 まだ目に見えぬ久遠の日々。永久の眠りについた花嫁に、永遠を誓う。
 これからもずっと、お前だけを愛してゆくよ、と。
 頬に流れる涙が温かい。まるで少女の手に包まれているような、安らぎと愛しさがこみあげてくる。
 今にも少女の声が聞こえてきそうだった。「これからもずっと、私は銀ちゃんの側にいるアルヨ」と。いつか迎えるだろうと思っていた、誓いの言葉を交わし合う日は、こんな形で訪れた。
 両手で包んだ少女の手を撫でて、唇を離す。泣く声を低くおさえ、少女の掌に頬を寄せた。少女との最期の触れ合いに意識をすべて傾けていると、失われているはずの温もりが、戻ってゆくような気がした。
 銀時がもう一度目を開いたとき、神楽の小さな手はそこにはなかった。
 眩しい陽光の色に、銀時は目を細める。耳に直接聞こえるくらいの近さで蝉の鳴く声がし、銀時は上体を起こそうとした。畳の上に肘をついたところで、これまで自分が寝ていたことに銀時は気づく。
 汗が背中の線を辿ってゆくのがわかって、銀時は目を見開いた。今まで夢を見ていたのだと、ここでようやく確信する。
「銀ちゃん! 動いちゃダメアルヨ!」
 彼女の声に、起き上がろうとしていた身体をその場に留める。身体を動かさずに視線だけを動かすと、部屋の中を飛び回る蝉の姿が見えた。神楽は窓を大きく開き、蝉を誘導するように手を振っている。
「窓を開けたら、入ってきちゃったアル」
 彼女の優しさが伝わったのだろうか。けたたましい声で鳴いていた蝉は、鳴くのをやめて、風に乗って空を飛ぶように、窓の外へと飛び立っていった。「よかったアル~」と安堵の息を吐いた彼女は、窓を閉めると、こちらを振り返った。
 神楽が不思議そうに首を傾げる。
「銀ちゃん、セミにおしっこかけられちゃったアルか?」
「…………」
 神楽の言葉に、頬の湿りを思い出す。そして、夢の中での出来事を反芻した。返す言葉を見つけられないまま、神楽に近づく。彼女の胸に顔を埋めるようにして、銀時は神楽を強く抱きしめた。
 ギャアアアアと叫ぶ神楽の声に、誤解をといておくべきだったのかもしれないと、銀時は苦笑する。
「銀ちゃん! 顔、洗ってくるネ!」
 神楽の訴えに耳をかさず、神楽の胸に顔を擦りつけるようにして強く抱いた。声ひとつ発せず、しばらくそのままでいると、神楽は抵抗するのをやめて、心配そうな顔を自分に近づけてきた。後頭部に小さな両手が回される。母親が子どもに問いかけるような声で、神楽は言った。
「――銀ちゃん、どうしたアルか? 怖い夢でも見たアルか?」
「…………」
「しょうがないアルナ。銀ちゃんが怖くなくなるまで、ずっと一緒にいるネ」
 夢の中で、温もりを失った少女の手に触れたからだろうか。神楽の身体の内に、これまでにない温もりがあるような、不思議な感覚があった。
「銀ちゃん、私、銀ちゃんに伝えたいことがあるアル」
「伝えたいこと?」
「今日、病院に行ってきたネ」
「…………」
 病院、と聞いて、銀時は心臓を冷えた手で摑まれるような心地がした。夢と結びつく、底知れぬ現実の恐怖が眼前にちらつく。
「銀ちゃん、病気じゃないアルヨ」
「…………」
 何も言っていないのに、神楽は銀時の胸の内に答えを運んでくれた。
 神楽のやわらかな吐息が、頭上に降りてくる。
「銀ちゃんはもうすぐパピーになるアル」
 銀時は慌てて顔を上げた。
「――オ、オイ、それって……」
「私のお腹の中には、銀ちゃんと私の赤ちゃんがいます」
 胸が詰まり、声が出ない。「銀ちゃん、泣いてるの?」と神楽の温かな手が、頬に触れる。
「これからは、私とこの子が、ずっと銀ちゃんの側にいるからネ」
 自分に与えられたこの世界は、温かな光の洪水の中、鮮やかに輝く色で満ちている。
 神楽の手を引き寄せて、その小さな小さな小指に、銀時はキスをした。



FIN



『副題:逆夢』






[初出:2013/9/1、Twitter呟:2012/8/26]