※松陽先生の台詞に捏造がありますので、苦手なかたはご注意ください。
『いつかあなたにも、人を愛し、愛されるときがくるでしょう。自分ではその人を幸せにできないと、思い悩むこともあるかもしれません。その幸せを胸に抱くことに戸惑いを感じることもあるでしょう。でも、恐がることはありませんよ。大切な人を護ろうとする心は――魂は、何よりも強く、ときにはあなた自身をも護ってくれるのです。だから、あなたが人を愛するときがきたら――』
過去の記憶が、夢となって現れることがある。師の声は、何年経っても決して記憶から薄れゆくことなく、進むべき道を灯す光となって、自分を導いてくれた。今のこの夢も、今の自分にとって必要な、あの世にいる先生からの教えなのだろう。
障子窓の外はまだ暗いが、朝の陽がもうじき灯される気配は感じることができる時分。控え目に鳴く鳥の鳴き声に目を覚ました銀時は、夜気の冷たさに浸された布団に手をついて、身を起こした。
喉の渇きを覚えて、布団の外に出て台所へ行こうか考えている途中。白い何かが布団の裾に挟まっていることに銀時は気がついた。それは、暗い部屋でも目を引く、白色の封筒だった。
寝惚けていた頭がしだいに覚めてゆくのを感じながら、銀時はその封筒を手に取り、中身を取り出した。四つ折りになっていたそれを開き、そこに書かれてある文字を目で追う。封筒と同じ白色をした便箋には、見慣れた文字でこう書かれてあった。
『おはよう、銀ちゃん』
「……ん?」
なぜ、同じ家に住んでいる少女から自分宛に手紙がきているのだろう。
銀時は不思議に思い、起き上がる。隣の部屋へと移動すると、押し入れの中では、この手紙の差出人と思われる少女が、気持ちよさそうに涎を垂らして眠っていた。
銀時は頭を掻きながら考える。朝、起きてから直接言葉を交わし合えばいいものを、どうして手紙にしたためたのか。銀時はこのとき、少女の心が理解できなかった。
その日から毎日、自分宛に少女からの手紙が届いた。神楽は自分に手紙を届ける姿は一切見せなかったが、朝起きると必ず、自分の布団の裾には封筒が挟まっていた。
手紙の内容は、毎日異なっていた。
『今日、定春が銀ちゃんのブーツの匂いを嗅いで気絶しました』
といった日記のような日もあれば、
『今日、銀ちゃんのいちご牛乳を飲んだのは私です』
『今日、銀ちゃんが隠していたプリンを食べたのは私です』
『今日、テーブルの上に置いてあったポッチーを食べたのは私です』
といった、面と向かっては言えないのだろう秘密を打ち明けてくる日もあった。少女は手紙ならば素直にモノが言えるらしい。
「なに人のモン食ってんだ、あのクソガキ!」と朝から叫ぶことはあれど、手紙の内容がどんなものであれ、銀時はいつしか神楽の手紙を待ち望むようになっていた。
しだいに、朝、布団の裾に挟まっている少女からの手紙を読むことが、銀時の日々の楽しみになりつつあった。――神楽から宇宙へ旅立つことを知らされるまでは。
少女からの手紙を受け取りはじめて一ヶ月が過ぎた頃。
自分と新八、そして定春に向かって、神楽は宇宙へ旅立つことを告げてきた。二十日後には、父である星海坊主と一緒に、この地球を発つのだという。エイリアンハンターになる夢を叶えに行くのだと言って、神楽は笑った。
突然はじまった同居生活。その終わりもまた、突然だった。
万事屋を離れるという少女の決意。それが、神楽が手紙を送りはじめた理由であることは言うまでもない。宇宙へ行く前に、神楽は自身の言葉を自分に残しておきたかったのだろうと、銀時は少女の心を理解した。
神楽が宇宙へと旅立つ日にも、布団の裾に手紙は挟まっていた。
『私がいなくなったらさびしいアルか?』
自分への問いかけがなされた手紙は、これがはじめてだった。手紙の問いに答えるべきか。その手紙を見なかったことにするか。迷ったのは一瞬。銀時の決断は早かった。
自分が本心を口にすれば、神楽は地球に留まるだろう。そして、少女はエイリアンハンターになるという夢を諦めるに違いない。そう思えるだけの理由が、その迷いが、この手紙の問いには込められているように思えた。
今、自分が少女へ寄せている想いは伝えるべきではないと銀時は思った。
銀時は、少女が幼き日から胸に抱いてきた夢を護りたかった。
銀時は返事をしなかった。少女が地球を旅立つその日でさえも、少女に返事をすることのないまま、銀時はターミナルで神楽の後姿を見送った。
搭乗ゲートへ歩いてゆく神楽が、一瞬だけこちらを振り返る。言葉では言い尽くせない寂寥の感情を湛えていた少女に、銀時は己の過ちを知った。
その後、銀時は神楽がいないという現実を、日に日に実感してゆくことになった。静寂を湛えた部屋の中で、机の引き出しにしまっていた神楽からの手紙を、銀時は幾度も取り出した。手紙の数を数えると、少女からの手紙は五十通にも及んでいた。
銀時は神楽からの手紙を何度も読み返した。はじめて読むわけでもないのに、神楽からの数多の手紙は、銀時の胸をくすぐり、そしてざわめかせた。
少女の感情が綴られた手紙は、最後の一通だけだった。だが、自分達が共に過ごしてきた日々の記憶を綴った手紙は、互いに通わせることのなかった想いを白紙の上に滲ませ、思い出として残ろうとした。
神楽からの手紙に返事をしなかったことを悔いたことはない。しかし、少女のいない日々を重ねてゆくうちに、手紙にこめられた少女の想いが、ターミナルで少女が最後に見せた表情と重なり、銀時の心を揺さぶりはじめた。
銀時が神楽に手紙の返事をすることを決めたのは、澄んだ青空にやわらかな陽光が灯される季節のことだった。
一日に一通。返事を書いて、紙飛行機にし、空へと放った。少女の住所は不定。届くことのない返事だったが、ほんのひととき、青い空へと吸い込まれるように飛んでゆく紙飛行機を眺めているだけで、宇宙を旅する少女に手紙を送った気持ちになることができた。
「銀さん、今日も紙飛行機飛ばしてるんですか?」
「まァな」
家事にいそしんでいる新八が居間へと顔を覗かせる。誰にも届くことのない手紙は何の意味も持たない。空へ放った紙飛行機が、どんな末路を辿るのかを新八は理解しているはずだが、新八は一度も自分の行為を咎めてくることはなかった。それどころか、夕方が近づく頃に自分が紙飛行機を飛ばすことに気がついたのだろう、
「僕、ちょっと買い物に行ってきますね」
と、自分が紙飛行機を飛ばす時間を、買い物に行く時間の合図にしはじめていた。
神楽が自分に宛てた手紙は五十通。その数にいよいよ追いつき、翌週、銀時は神楽への五十通目の返事を、空へ届けた。
果てのない虚空の世界が、目の前にただ静かに広がっていた。飛ばした紙飛行機は、少女に届くことなく地に落ちてゆく。その現実を、銀時は最後まで身に受けることができなかった。
翌日。まるで自分が空へ届けた手紙へ、天が返事をくれたかのような出来事が起きた。郵便受けを見ると、神楽からの手紙が届いていたのだ。自分に宛てられた手紙に、らしくもなく胸が高鳴り、封を開ける指がわずかに震えた。
新八と定春が興味津々といった様子で近づいてくる。恥ずかしさもあり、新八と定春にわずかに背中を向けて、四つ折りにされた便箋を開いた。
宇宙へと旅立つ前。毎日、自分へ宛てて文章を書き綴っていた少女のことだ。きっと、宇宙での出来事や、星海坊主の話で便箋の隅から隅まで文字で埋まっているのだろう。そう思っていた。しかし、そこに綴られていたのは、たった四文字。
『銀ちゃん』
今にも、神楽が自分をそう呼ぶ声が聞こえてきそうな気がした。この四文字にこめられた少女の想いが、目の前に溢れはじめた。便箋を握りしめると、白いそれに皺が寄った。
泣きそうに顔を歪ませた新八が、声を詰まらせて言う。
「神楽ちゃんはきっと、銀さんに伝えたいことがたくさんあったんですね」
「……」
紙の上ではおさまりきれない少女の想いが、胸に響いた。新八の言葉に対する肯定の言葉が、胸を満たした。声にはならなかったが、新八には伝わったようだった。新八は笑みを深めて言った。
「いつか……もし神楽ちゃんがここに帰ってきたら、ちゃんと返事をしてあげてくださいね」
「……ああ」
神楽が宇宙へと旅立って一年が過ぎようとする頃。神楽は万事屋へと帰って来た。その手には、数多の紙飛行機が詰まった風呂敷が抱えられていた。身に覚えのある紙飛行機に、銀時が新八を見やると、新八はハハッと誤魔化し笑いを浮かべた。
自分が紙飛行機を飛ばしたあと、新八が買い物へ行っていたことを銀時は思い出す。新八は買い物に行くことを理由に外へ出て、自分が飛ばした紙飛行機を拾い、何らかの形で神楽へと届けていたのだ。
つまりこれは、少女からの手紙に、自分はすべて返事をしたということになるのだろう。そして、自分が書いた手紙は、すべて神楽に読まれているということにもなる。
神楽と自分の間に、静寂が降りた。風呂敷を大事そうに胸に抱えている神楽の顔が赤く染まり、それを受けて自分の顔も赤くなってゆくのがわかった。
その日の夜。銀時は布団の中に入ったままずっと眠らずにいた。神楽が手紙を届けにやってくるかもしれない。その予感が、銀時にはあった。銀時は、手紙を届けにきた神楽を引き留めるつもりでいた。もう二度と、同じ過ちは繰り返さないと銀時は心に決めていた。
護りたいのは、神楽の夢。そして、これまで護ることのできなかった、神楽の心。護りたいのは、神楽のすべてだ。
神楽の想いに対する答えは、銀時の胸の中に、確かにしたためられていた。
朝の灯りが近づいてくる頃。和室に近づいてくる足音があった。少女の足音であることはすぐにわかり、銀時は寝たフリをする。薄く目を開くと、神楽が自分の側に腰を下ろすのが見えた。その手に、手紙は握られていなかった。
「銀ちゃん」
まるであの手紙から聞こえてきたような声に、銀時は目を開く。驚いたような表情の神楽に、銀時は笑って返事をした。
「神楽」
神楽は大粒の涙を零しながら、もう一度、「銀ちゃん」と繰り返した。銀時は身を起こし、「神楽」と繰り返した。泣き止まない神楽は、鼻水を垂らしながら、嗚咽を上げはじめる。
自分達が交わし合った手紙は、ラブレターに他ならなかった。
名前を呼び合うだけで、想いが溢れた。
銀時が少女を両腕に抱きしめようと手を伸ばした、そのとき。あの日見た夢の続きが――先生の言葉の続きが、銀時の脳裏に響き渡った。
『いつかあなたにも、人を愛し、愛されるときがくるでしょう。自分ではその人を幸せにできないと、思い悩むこともあるかもしれません。その幸せを胸に抱くことに戸惑いを感じることもあるでしょう。でも、恐がることはありませんよ。大切な人を護ろうとする心は――魂は、何よりも強く、ときにはあなた自身をも護ってくれるのです。だから、あなたが人を愛するときがきたら、迷わずその両腕で、愛する人を抱きしめなさい』
FIN
