手紙を郵便ポストに投函してすぐ、ポストの赤色に白い欠片が降りるのが見えた。
空を見上げると、微かな風に揺らされながら、まるで自分に近づいてくるように雪の粉が降りてくる。
目を閉じると、唇に微かな感触が広がった。温もりで解けた雪滴は、優しい名残をそこに留める。それはひどく儚く、神楽の胸の内にあった小さな恐怖でさえも、共に掻き消そうとした。
最後の戸惑いを振り切るように。雪の色に染まってゆく街を駆けて、神楽は万事屋へと戻ってゆく。
万事屋に帰り着き、玄関の扉を開こうとしたところで、神楽は我に返り立ち止まった。
『……私が好きなのは、銀ちゃんだからネ。――銀ちゃん、大好きヨ』
万事屋を出て行く前。自分が銀時に伝えた言葉が思い出される。
すでに自分の気持ちを銀時に知られてしまっているとはいえ、はっきりと口にしたのは初めてだった。
その言葉を告げてすぐ、万事屋を飛び出してしまったから、銀時がどんな顔をしていたのかもわからない。銀時は自分の言葉をどう受け取ったのだろう。これから自分は、銀時の前でどんな顔をすればいいのだろう。恥ずかしさと迷いが降り積もり、時間ばかりが過ぎてゆく。
焦りが生まれそうになるのを堪えて、神楽は背筋を伸ばした。
ここで立ち止まっていても仕方がない。なるべくいつも通りにしようと心に決める。
玄関の扉を開くと、「おかえりなさい」と新八が玄関で出迎えてくれた。
「ただいまヨ~」といつもの調子で応えてすぐ、神楽は落ち着きなく周りを見渡す。すると、自分の様子に気づいたのだろう新八が、「銀さんなら、出かけたみたいだよ」と答えをくれた。
口ぶりからするに、新八が帰り着いた頃には、銀時はもう万事屋にいなかったのだろう。銀時の不在に拍子抜けしてしまうのと同時に、外の寒さを思い出したような小さなくしゃみが零れる。
「神楽ちゃん、寒かったでしょ? 今、お茶淹れるからね」
台所へ向かう新八の背中を見つめる。
手紙の返事を出しに行く直前。玄関での出来事を反芻した。銀時と自分の姿は、新八の目にどう映っていたのだろう。きっと驚いたに違いない。新八に自分達のことを話さなければと神楽は思う。
部屋に入ると、定春が自分に向かって駆けてくる。白いふわふわとした定春の体を撫でていると、新八がお盆の上に二人分の湯呑と急須を載せて部屋に入ってきた。
ソファに座り、礼を言って、新八が淹れてくれた茶を啜る。冷えた身体に浸み込む茶の熱さが心地よい。
茶を啜る音だけで満たされる静寂の中。神楽がどう話を切り出すべきか考えていると、向かいのソファで茶を啜っていた新八が、何やら言いにくそうなものを抱えているような顔をして言った。いつ自分に問おうか、これまでずっと窺っていたような口ぶりだった。
いくらかの既視感を覚えるのと同時に、懐かしさが込み上げる。以前、自分と新八がこうしてお茶を啜りながら話をしたときは、銀時に彼女ができたのかどうかを新八に問われたのだった。
そして今は、そのときには想像すらできなかったことを新八に問われようとしている。
「……神楽ちゃん。神楽ちゃんと銀さんはその……」
静寂が再び訪れた。新八が言葉を選んでくれているとわかる、優しい間だった。
神楽は湯呑をテーブルの上に置いて、緊張に震える息をひとつ吐いた。
自分達の関係を表す言葉はない。だが、自分の気持ちを表せる言葉はある。
今、自分にできることといえば、自分が銀時に向けている本当の気持ちを新八に伝えることくらいだ。
「私は……銀ちゃんのことが好きアル。……でも、私達のことはなんて言ったらいいかわからないネ」
銀時と自分の関係を見て、まるで親子のようだと、兄と妹のようだと、世間は思っていただろう。
しかし、自分は銀時に恋をした。
世間の目に逆らうようにして、想いを重ねた。誰にも語ることのできない初恋だった。
けれど、神楽はこれまでのことを新八には正直に伝えることができた。
新八は驚きの表情ひとつ見せずに、まるで最初からすべて知っていたかのような穏やかな表情を浮かべている。すべてを話し終えたところで、自分が手紙を出しに行く前の出来事のことを新八は口にした。
「あんなに余裕のない銀さん見たの、僕はじめてだったよ」
「え?」
「無我夢中で神楽ちゃんを引き留めて、よっぽど神楽ちゃんを行かせたくなかったんだね」
「…………」
「……いつからだったかな。神楽ちゃんと銀さんが、親子とか兄妹みたいな関係に見えなくなったのは。きっとそのときからもう、二人は変わっていたんだよね」
「……新八」
「前に話したことあったよね。他の女の人といるときの銀さんが、僕の知らない、見たことのない銀さんだったって話。さっき僕が見た銀さんも、僕の知らない、見たことのない銀さんだったけど、でも、すごく銀さんらしかった。……きっと、目の前にいるのが神楽ちゃんだからなんだよね」
「…………」
新八の目に映る自分たちの姿を聞いて、神楽は恥ずかしくてたまらなくなる。そして、自分達をいつも近くで見守ってくれていた新八の言葉に、勇気づけられる。背中を押されているような気持ちになる。
もう、自分の心を偽る必要はどこにもない。
ふと新八が小さく何かを呟くのが聞こえて、神楽は首を傾げた。
「……好きなら好きって最初から言えってんだよ。あの天邪鬼が――」
しかしその声は、神楽の耳に届くことはなかった。
日付が変わり、夜が深みを帯びてくる頃に、ようやく銀時は帰って来た。
玄関の扉が開く音を聞いてすぐ、神楽は微睡から目を覚ます。
「しょうがないアルナ……」
扉の閉まる音が聞こえてから、物音ひとつしない。また玄関で酔い潰れているに違いないと、神楽は急ぎ足で玄関先へと向かう。
しかし想像していた姿とは異なり、銀時は玄関先で俯いたまま直立不動で佇んでいた。酔いが回って寝惚けているのだろうか。不思議に思いしばらく様子を窺ってはみたけれど、男は身動ぎひとつしない。
心配になり、神楽は銀時に慌てて駆け寄った。
「こんなところにいたらカゼひいちゃうアルヨ! 銀ちゃん、聞いてるアルか?! 銀ちゃ……」
銀時に近づくと、まるで待ち構えていたかのように、男の両腕が自分の身体に回った。一瞬、胸が大きく脈打つ。抵抗する気は微塵も起きず、神楽はおそるおそる銀時の顔を窺った。そして、気づく。
「……お酒の匂い、しないアル」
「そりゃそうだろうよ。俺ァ、今日は一滴も飲まずに帰ってきたからな」
明瞭な男の声に、神楽はたじろぐ。
自分が抵抗するとでも思ったのだろう、銀時の両腕が自分の身体を離すまいと強く抱きしめてくる。
銀時の胸に顔が埋まってしまい、神楽は呼吸をするために身じろぐ。顔を上げると銀時と目が合い、神楽は恥ずかしさに慌てて目を逸らした。
「……じゃ、じゃあ、今まで何してたアルか?」
「どうすりゃいいか考えてたんだよ」
「え?」
「昼間の返事……」
「……ッ」
銀時の言葉に、神楽は激しく動揺した。顔に熱が集まってゆくのを感じる。
銀時が昼間の告白に対する返事を考えてくれていたことを知って、神楽の胸の高鳴りは更に大きくなった。
銀時は自分にどんな言葉を与えてくれるのだろう。
緊張のあまり震えた指が、銀時の胸に縋りついてしまう。
「腹ン中じゃとっくに答えは決まってんのによ。俺の口は素直に言うこと聞かねェから。……腹を括ろうと思ってても、お前が相手だと、まるでガキみてーに調子狂っちまう」
今まで聞いたことのない、困ったような口調で銀時は言う。きっとこれが銀時の本心なのだろう。
これまでの日々の記憶が、色鮮やかによみがえってくる。
「銀ちゃん」
男の名を呼ぶ自分の声が、震えた。
「一度しか言わねーから……。つーか、一度しか言えねーから」
「……ウン」
沈黙は長かった。雪の降る音が聞こえんばかりの静寂に、銀時の胸の音が重なった。
顔を上げて銀時の顔を見ようとすると、それを阻むように後頭部を大きな掌で覆われて、男の胸に抱き寄せられる。「バカ! 見るな!」と銀時は声を荒げて言い、身動ぎひとつ許さないほどの強さで抱きしめてきた。
銀時の表情を見ることができないかわりに、銀時の緊張が手に取るようにわかってしまう。
銀時とひとつ屋根の下で住みはじめてから四年。十八歳の誕生日を迎えたのは、つい最近のことだ。もう子どもといえるような年齢でもなくなりはじめているのに、銀時はいつまで経っても自分を「女」として意識してくれなかった。しかし、それはもう過去のことになりつつある。
「……好きだ」
待ち望んだ言葉に、神楽の目の前の景色が滲んだ。
子どものように泣きじゃくる神楽の頭を、銀時の掌が優しく撫でた。
「私を、選んでくれるの?」
「選ぶも何も……最初から、お前だけなんだよ」
観念したように口にする銀時に、神楽は微笑する。
緊張が解けたのか、銀時の両腕の力が緩むのを感じる。
神楽はそっと男の腕の中から抜け出した。しかし、すぐに銀時の温もりが恋しくなってしまう。
自分たちの間に、隙間風が割り込んできた。銀時が盛大なくしゃみを放つ。見れば、銀時の髪や着物には、雪に降られた跡がいくつも残っていた。
手を伸ばして、銀時の髪の毛についている雪の粉を摘む。
自分の背丈に合わせるように腰を屈めて、銀時は言った。
「……今日は逃げないんだな」
「ウン」
銀時に手首を摑まれる。同じ高さから注がれる銀時の視線に、身も心も奪われてしまいそうな銀時の真剣な目に、神楽は身動きがとれなくなる。
自分の手首を摑む銀時の手から、男の緊張が伝わってくる。銀時は言った。
「……お前を、俺の女にしてもいいんだな」
恥ずかしさのあまり、銀時を直視できない。神楽は俯き、そして小さく頷いた。
「……ウン」
子どもを抱き上げるようにして、銀時は両腕で神楽を抱き上げる。
足が宙に浮く。足元の覚束なさに、神楽は銀時の肩にしがみつく。
顔を上げると、すぐ目の前に銀時の顔があり、神楽は静かに瞼を下ろした。
終
