子どもではなく、女として見てほしい。それは、積日の願いだった。銀時と暮らしはじめて四年。その四年間の日々の中で、想いは強まり、いつしか銀時の特別な存在になりたいと願うようになった。
 しかし、あともう一歩で願いが届きそうな距離まで近づいたとき――唇が触れ合いそうな距離まで男が顔を近づけてきたときに、神楽はその一歩の距離を縮めることができなかった。
 神楽のその戸惑いが、銀時にも伝わったのだろう。
『あんま煽んじゃねーよ』
 そう言葉を残し、子どもにするように頭を撫でて、自分から離れていった男の行動を神楽は思い出す。
 自分のことを子ども扱いしている間は、男女の関係を意識させずに触れ合える。銀時はそう思っているのかもしれない。
 その日から、神楽は銀時と距離を置くようになった。男と目を合わせることができなくなり、隣りに並んで歩くことも座ることもできなくなった。部屋に二人きりでいるとひどく落ち着かず、夜は風呂に入るとすぐに押し入れの中へ逃げ込むようになった。深夜、酒に酔っ払って帰って来る銀時の世話を焼くのは相変わらずだったけれど、男に恋心を打ち明けるような触れ方をすることはなくなった。
 避けていると思われても仕方のないことをしている自覚はある。だが、銀時を見ていると、銀時の側にいると、どうしても意識してしまい、平静ではいられなくなるのだ。いつもと同じように振る舞おうとすればするほど、これまで自分がどのように銀時に接していたのかわからなくなってしまい、頭の中が混乱した。
 一方、銀時は普段とまったく変わらない態度で自分に接しようとする。ただ、これまで以上に、銀時が自分のことを子ども扱いしようとしているような節があった。自然と、銀時に頭を撫でられる回数は増え、声音は保護者の色を帯びた。わざとそうしているのだろう。自分が混乱していることに、おそらく銀時は気づいているのだ。銀時の掌から伝わってくる温もりに、神楽は時折なぐさめられているような気持ちにさえなった。
 互いにすれ違い合いながらも恋心を交わしゆく日々の中で、神楽は銀時に抱きしめられることを覚えた。顔を近づけてきた銀時が、自分に何をしようとしていたのかも、もちろんわかっている。女として銀時に向き合うことの意味を考えるたび、神楽は自分の心臓が大きく脈を打ち、顔が赤くなるのを自覚した。それは、銀時に恋をしているとはじめて自覚したときの感覚によく似ていた。
 銀ちゃん、大好きヨ。そう言って、銀時に告白する日のことを想像していた時期もあった。結局、自分が想像していたような言葉で銀時に告白をすることはできなかったし、自分の気持ちはもう銀時に知られてしまってはいるけれど、それでも、そのときに知った感覚は、今の自分が知っているものとひどく似ているように思えるのだ。
 そんな戸惑いの日々の中で、神楽の元に一通の手紙が届いた。
「神楽ちゃん、手紙がきてるよ」
「手紙?」
 新八から受け取った封筒を裏返すと、そこには見知らぬ男の名前が書かれてある。心当たりのない名前だ。自分宛であることをもう一度確かめて、封を開けた。
 読み進めていくうちに、手紙の差出人が浮かび上がってくる。手紙の主は、秋にひとり旅をしたとき、身体の具合が悪くなった自分を万事屋まで送り届けてくれた青年だった。
「……神楽ちゃん?」
 こちらを窺うようにして見ている新八に、手紙を最後まで読み終えてから、神楽は口を開いた。
「……デートの、お誘いアル」
「デ、デート?!」
 新八が驚いた顔でこちらを見ている。
 手紙の内容はいわゆる恋文で、もう一度会って話がしたいという文章で締めくくられていた。
 神楽は手紙から顔を上げ、ソファに座っている銀時を見た。心のどこかで、「断れ」と銀時が言ってくれることを期待していた。しかし、自分たちの会話は聞こえているはずなのに、銀時はジャンプを膝の上に広げて黙々と読み耽っている。銀時は興味がないとでもいうような態度で、こちらを一瞬たりとも見ようとしない。
 神楽がかすかな溜息を漏らすと、新八が小さな声で、「どうするの?」と問いかけてきた。神楽は銀時から視線を逸らして、「ちょっと考えてみるアル」と新八に返事をした。
 自分の気持ちは最初から決まっている。けれど、本心を銀時の前で曝け出すことには未だ抵抗があった。
 すでに銀時に知られてしまっているけれど、自分が昔思い描いていた告白の言葉を、その想いを、銀時に告げるのは特別なときでありたい。その願いは、日に日に強くなっていた。
 翌日、神楽は手紙の返事を書いた。封をして、銀時に見つからないように胸にしまう。万事屋から一番近い郵便ポストまで、五分もかからない。すぐに投函して帰って来れば、外出を怪しまれることもないだろう。
 玄関に続く廊下に出ると、ちょうど買い物から帰って来た新八が玄関の扉を開くのが見えた。
「アレ? 神楽ちゃん、どっか行くの?」
「……ウン。手紙の返事、出してくるネ」
 新八には本当のことを打ち明けて、玄関へと向かう。その途中で背後から強く腕を引かれ、神楽は転びそうになった。後ろを振り向くと、銀時が無表情で立っている。
「……どこ行くんだ?」
「ちょっと買い物に……」
「嘘つけ」
 咄嗟に嘘をついたが、すぐに見破られてしまった。
「……銀ちゃん、離してヨ」
 痛いほどに腕を強く掴まれている。銀時の手から逃れようと身体を捩るが、その手は微動だにしない。銀時は眉を顰めて言った。
「あの男に会いに行くんだろ?」
「……ッ、そんなんじゃないネ!」
 そう言い放つのと同時に、背後から抱きしめられてしまう。身動きひとつ許されそうにない強い力で、男に抱き寄せられた。銀時の呼吸がすぐ側で聞こえてしまうほどの距離に、神楽は緊張する。胸が大きく脈を打ちはじめて、顔に熱が走るのを感じて、ひどく落ち着かない。
 その心臓の激しい音と重なるように、すぐ側で何かが落ちる音がした。背後を見やれば、新八が床に落とした買い物袋を拾い上げているのが見える。神楽は我に返って、銀時に抵抗した。
「ぎっ……銀ちゃん! こんなところで何するアルか! 新八が見てるアルヨ!!」
「ぼ、僕のことは気にしないで! あっ、そうだ! 醤油買うの忘れてた!!」
「ちょっ……新八!!」
 引き留めるより早く、新八は慌ただしく外へと飛び出してしまった。その場に残された買い物袋の中には、醤油の瓶が入っている。神楽は心の中で新八に詫びた。
 そして、未だ自分を離そうとしない銀時の腕から逃れようと、神楽は必死に抗う。
「銀ちゃん! いい加減にするネ!!」
「……お前こそ、いい加減おとなしくしたらどうだ」
 男の力には敵わない。そのことを神楽は何度も身をもって思い知らされている。そして、どうすれば銀時が自分を離してくれるのかも、神楽は知っていた。
 すれ違いながらも、想いを交わしゆく日々の中で知ったことが、神楽の胸の中に打ち寄せていた。
 神楽は銀時の言う通りに抵抗をやめて、身体の力を抜いた。
「……わかったアル。どこにも行かないネ。だから……」
「…………」
「離して」と言えば離してくれない。「離さないで」と言えば、きっと男は自分から離れてゆく――。
「もう、私を離さないでヨ……離さないでほしいアル」
 言葉にした途端、自分の意思に反して、自分の本当の願いが声になったような気がして、神楽は泣きたくなった。天邪鬼な男の腕から、力が零れ落ちてゆくのを感じる。それを寂しいと思うのと同時に、やわらかな力でもう一度抱きしめられた。神楽は信じられない気持ちで目を見開いた。
「……ああ」
 男の低い声が、耳元で聞こえる。神楽は混乱した。
「なんで? なんでヨ、銀ちゃん。違うでしょ、いつもの銀ちゃんなら……」
「何が違うんだ?」
「…………」
 答えることはできなかった。
 銀時と自分――天邪鬼なのは一体どちらなのだろう。一体いつから変わってしまったのだろう。
 銀時との距離が縮めば縮むほど、自分は恥ずかしさに逃げ出したい衝動をおさえきれずにいた。その一方で銀時は、わざと子ども扱いをしながらも、自分との距離を縮めようとしてくれていた。
 恋文を受け取ったとき、何ひとつ反応してはくれなかったけれど、今こうして銀時は自分を引き留めてくれている。
 会話ひとつない、静寂が流れた。無音の間と男の温かな腕の温もりは、神楽の心を穏やかなものにしていった。
「……銀ちゃん」
「なんだよ」
 神楽は、胸にしまっていた手紙を取り出して、銀時の前にかざした。
「私は、手紙の返事、出しに行こうとしてただけネ」
「あん?」
「……私には好きな人がいるから、ごめんなさいってちゃんと返事を書いたアル」
 そう告げると、銀時はすぐさま神楽から離れて、神楽の視線から逃れるように自身の顔を鷲掴んだ。
 これまで離してくれなかったのが嘘のように、あっさりと銀時は自分から離れていった。
「オイオイ、マジかよ……」と呟く声が聞こえる。大きな手で覆われた銀時の顔。指の隙間から見える銀時の顔は赤い。
「銀ちゃん、聞いてるアルか?」
「聞いてる、聞いてる」
「ポストに出しに行って来てもいいアルか?」
「ああ。……いってらっしゃい」
 あっさり許しを得て、神楽は素早く靴を履き、玄関の扉に手をかけた。
「……銀ちゃん」
「今度はなんだよ」
 神楽の脳裏には、初恋に気づいた日のことが優しい記憶となって思い出されていた。
「……私が好きなのは、銀ちゃんだからネ。――銀ちゃん、大好きヨ」
 扉を閉めるほんの少し前。銀時と目が合った瞬間に、神楽は胸の中で大切にしていた言葉を告げた。
 銀時に告白する日のことを想像していたかつての自分と、逃げてばかりいた今の自分に、これでようやく向き合えたような気がした。





[初出:2014/9/15 21:45から2時間]