秋風の優しい響きが耳に残る季節になった。窓外を見やると、枯れた木の葉が風に吹かれて地面へと落ちてゆくのが見えた。
冬が近づいてくる音を聞きながら、木の枝から離れ落ちた枯葉に自分を重ねる。地面で秋風に転がされながら見上げる青空は、どのように見えるのだろうかと考えた。きっと、恋に落とされた自分が、銀時を見上げるときと同じ見え方をするのだろう。
女から平手打ちをされた日をきっかけに、夜、酔っ払って家に帰って来る銀時から女のいる気配がなくなった。酒の匂いを身に纏って帰って来るのは相変わらずだったが、夜に出かける回数自体が減りはじめていることに神楽は気づく。家にいる時間を増やそうとしてくれているのではないかと、ほんの少しの期待をこめて、神楽は銀時に問いかけた。
「最近、夜、出かけないアルな」
「金がねーんだよ」
明らかに嘘とわかる返事が返ってきて、神楽は息をひとつ吐いた。
最近、羽振りの良い客から仕事を請け負ったおかげで、万事屋の家計は珍しく潤っている。新八と自分に臨時ボーナスが出るくらいなのだから、銀時の懐も温まっているに違いないのだ。金銭的な理由ではなく、他に理由があることは明白だった。だが、神楽は銀時に問いを重ねることはできなかった。
自分達の関係は、少しでも形の変え方を誤ると、今、自分が抱えているかすかな期待すらも砕けてしまう危うさを含んでいる。
神楽は銀時に別の話題を振ることにした。話題探しのためにテレビへと目を向けると、「ひとり旅特集」という特別番組が流れている。ちょうど臨時ボーナスの使い道を考えていた神楽は、「あ!」と声を上げた。思わぬところから、良いアイデアを得ることができて、神楽は頬を緩ませる。神楽は銀時の側に駆け寄って、言った。
「銀ちゃん! 銀ちゃん! 私、ひとり旅してみたいネ!」
銀時からの反対はなく、早速翌日から、神楽はひとり旅に出かける準備をはじめた。
「神楽ちゃん、本当にひとりで大丈夫?」
「私、もう十八歳アルヨ! 大丈夫ネ!」
心配そうな顔をして何度も同じ問いを繰り返しながら、新八は旅行の準備を手伝ってくれた。旅行で必要になるものを買い出しにも行ってくれた。万事屋の家事を任されているというだけあり、新八の準備は的確で早かった。新八の手際の良さに、神楽は感動すら覚えた。
旅行ガイドを手にして、どこへ行こうかと思案する日々は、神楽に苦しい恋の行方を追うことを忘れさせ、楽しい時間をもたらした。時折、銀時からの視線を感じたが、神楽は気づかないフリをし続けた。
一週間後。天気にも恵まれた日の朝に、神楽は大きめのリュックサックを背負って、ひとり旅のはじまりに胸を躍らせていた。「何かあったらすぐに電話するんだよ」と声をかけてくれた新八に見送られながら、万事屋を出る。銀時の見送りはなかった。
泊まる場所は特に決めていなかったが、電車に揺られて向かった目的地には、多くの宿泊所があることはわかっていた。駅のホームから改札を抜けると、人のほとんどいない、自然に囲まれた景色が眼前に広がる。駅の待合所に貼られた『海の見える旅館』の広告に目が留まり、神楽はそこに泊まることにした。
十分ほど待って駅前に停車したバスに神楽は乗り込んだ。バスの乗客は、自分以外誰もいなかった。旅館へと向かう途中、バスは海岸線を通った。バスの窓を開けると、潮の香りに鼻をくすぐられ、いつものように結い上げていない長く伸びた髪は、潮風に揺らされた。
旅館に辿り着くと、予約なしの客であったのにもかかわらず、旅館の女将は快く自分を迎えてくれた。部屋へと案内されたあと、露天風呂に入り、夕食は新鮮な魚介類に舌鼓を打った。そうしてひとり旅を満喫しながらも、神楽の胸の中は銀時のことで深く満たされていた。夜になると、ひとりの寂しさが募り、胸が震えた。
「今頃、銀ちゃんは何やってるんだろう……」
静けさに浸された旅館の一室で見慣れぬ天井を見上げながら、神楽は銀時のことばかりをずっと考えていた。
翌日。朝食を食べ終えたあと、神楽はリュックサックを背負って旅館を出た。今日はどこへ行こうかと考えながら、バス停へと向かう。時刻表を見ると、バスがやってくるのは二時間後になっていた。二時間も待つのは耐えがたく、街の観光でもしながら旅を楽しもうと、神楽はとりあえず駅に向かって歩くことにした。
その判断が誤りだったことに気づいたのは、旅館を出て一時間ほど経過した頃のことだった。水分補給を怠ったことと、陽射しの強さが影響したのだろう。眩暈と吐き気をもよおし、神楽はその場に座り込まざるをえなくなった。バスがくるまで旅館の中で待たせてもらえばよかった、と後悔する。額から落ちる汗を拭いながら、神楽はその場で体力の回復を待つしかなかった。
そこへ、一台の車が通りかかり、自分の目の前で止まった。「大丈夫ですか?」とひとりの青年が車から降りてくる。
「救急車、呼びましょうか?」
という声に、慌てて首を振った。救急車で病院に運ばれてしまえば、銀時と新八を心配させることになってしまう。青年の問いに頷くことはできなかった。
「大丈夫アル!」
元気であることを証明するために立ち上がろうとして、失敗する。眩暈のせいで、再び座り込んでしまった自分に、青年は言った。
「どこへ行かれるんですか? 送りますよ」
親切な青年の言葉に甘えて、神楽は車で送ってもらうことにした。車中で、青年も江戸に用事があるということがわかった。江戸が、かぶき町が、万事屋が近づくにつれて、神楽の体力もしだいに回復していった。
万事屋の前に到着し、神楽は車から降りる。「何かお礼を……」と口にしたが、青年は「お礼は結構ですよ」といって車のエンジンをかけてアクセルを踏んだ。神楽は礼を言って、青年の車が走り去るのを手を振って見送った。
万事屋へと続く階段を上ろうとしてすぐ、万事屋の窓から銀時が自分を見下ろしていることに気がついた。一日振りに見る銀時の姿に、神楽の胸は高鳴った。
「あ、銀ちゃん! ただいまアル!」
「ああ、おかえり」
銀時の声は素っ気なかったが、それでも一日振りに聞く銀時の声に神楽の胸は弾んだ。
玄関で靴を脱ぎ、廊下を歩いて、部屋へと入る。ソファに深く座り込んで、神楽は安堵の息を吐いた。
「やっぱり我が家が一番ネ~!」
目を閉じると、途端に眠気が襲ってくる。自分でも思っていた以上に、「ひとり旅」による疲れが溜まっていたことがわかり、神楽はそのままソファの上で仮眠をとることにした。しかし、銀時の声に、神楽の眠気はすぐにすべて振り払われてしまう。
「お前。旅行……ひとりじゃなかったんだな」
「え?」
「……さっきの男と一緒だったんだろ」
これまで一度もきいたことのない声だった。ひどく冷たく、低い、銀時の声に、心が冷えて胸が震えた。
「違うネ。あの人は、帰り道に気分が悪くなって座り込んでた私を、ここまで親切に送ってくれた人アル」
「ああ、そう……」
感情のこもっていない銀時の声に、誤解されていることがわかる。途端、焦りを覚えて、神楽は銀時の側へと駆け寄った。銀時は自分に背を向けるようにして、窓の外を見ている。
「疑ってるアルか?」
「そんなんじゃねーよ」
銀時の声は、変わらず冷たく、低いままだった。なぜ、自分の話が通じないのだろう。なぜ、親切でここまで送ってくれた人が男だというだけで、関係を疑われてしまうのだろう。まるで、嫉妬でもしているかのようだ。
そこまで考えて、神楽は我に返った。銀時が嫉妬などするだろうか、と自問自答する。しかし、銀時の言葉が、声が、神楽が持っていたかすかな期待に揺さぶりをかけはじめる。
こちらを振り向かない銀時を、自分に振り向かせるためにはどうすればいいのだろう。考えている途中で、机の上に目がいった。机の上には、写真のようなものが一枚置かれている。神楽は机に寄って、それを手に取った。
「これ……」
「返せ!」
手に取った瞬間、銀時がすぐさま振り返り、自分からその写真を奪い取った。奪われてしまう前のほんの一瞬で、神楽はその写真に映る人物を見ることができた。その写真に映っているのは、地球に来たばかりの、十四歳の頃の自分の姿だった。
「なんで、私の写真なんか見てたアルか?」
「勘違いすんな。これは掃除をしてたらたまたま出てきただけだ」
銀時の言葉に、部屋を見渡す。とても掃除をしていたとは思えないほどに、散らかっていた。銀時はまた、嘘をついている。自分は銀時に嘘をつかせてばかりだ。
神楽は言葉を選びながら言った。
「ねェ、銀ちゃん。私、銀ちゃんとギクシャクするのはイヤアル。――いつから私達、こうなっちゃったアルか? いつから銀ちゃんは……」
それ以上、言葉を続けることができなくなった。涙が込み上げてくるのがわかり、それを必死で押し留めながら、ふと気づく。「もしかして、銀ちゃんは……子どもの頃の私の方が、よかったアルか?」
「何言ってるんだ、オメーは」
「だって……私が子どもじゃなくなってから、銀ちゃんが、銀ちゃんが……変わっちゃった気がするネ」
今だって、十八歳となった今の自分ではなく、昔の――十四歳の頃の自分の写真を見ていたではないか。と、心の中で付け足す。
「そりゃ、お前の気のせいだよ」
銀時の声が幾分やわらいだことに、神楽は気がついた。自分の気のせいなどではないと言いかけて、口を閉じる。銀時の言う通り、気のせいであると思いこむほうが、これ以上、自分の心を痛めつけずにすむように思えた。
「……ウン。ゴメンネ、銀ちゃん。私、ちょっと頭を冷やしてくるアル。もう一泊くらいしてくるネ」
今度は、自分が銀時に背中を向ける番になった。元々、旅行は二泊の予定だったのだ。今からでも、遅くはないだろう。一晩また別の場所で過ごせば、明日にはきっと、いつもの自分に戻れるはずだと、神楽は自分に言い聞かせた。自分達の日常を取り戻すためならば、もう一度ひとり夜の寂しさに耐えることも、些細なことのように思えた。
しかし、リュックサックを背負い、玄関に歩きはじめてすぐ、自分を引き留める腕があった。背後から銀時に抱きしめられていることに気がついたのは、背負ったリュックサックが男の胸に押しつぶされていることがわかってからだった。
「……一泊でも二泊でも、お前の好きにしてこいよ」
行動と言葉が真逆の銀時に、神楽の頭の中は混乱した。
「ウン。わかったアル。私の好きにするネ。だから、離してヨ」
「…………」
しかし、銀時は自分を離そうとしない。それどころか、ますます抱きしめる腕の力を強めてくる。神楽は今更のように、この男の性格を思い出していた。この男は、素直にものを言えない、困った男なのだ。神楽は微笑みながら言った。
「やっぱり、離さなくていいアル」
ところが、その願いを聞き入れてはくれず、銀時は抱きしめていた腕を離し、自分から距離を置いた。自分に背中を向けた銀時を、神楽は追いかけた。そして今度は、自分から男の背中を抱きしめる。
「もう一泊してくるんだろ。早く行け」
「…………」
声を強めて言う銀時に、神楽は逆らった。この男の性格がうつってしまったのかもしれない。銀時の背中に顔を押しつけて、抱きしめる腕の力を強めた。
銀時は抵抗ひとつしなかった。しばらくすると、振り返った銀時に、触れるか触れまいかの距離で髪を撫でられる。まるで、曇りひとつないガラス玉に、手垢がつかないように触れるような手つきだった。神楽は銀時の胸元に擦り寄りながら言った。
「……銀ちゃんに、もっと触ってほしいアル」
胸の内を吐露すると、銀時の手が自分から離れた。神楽は苦笑する。「触らないでほしい」と言えばよかった、と神楽は後悔した。
