神楽Side
三十路を越えてからというもの、銀時が見合い話を持ちかけられることが増えた。
スーツ姿だったり、袴姿だったり……銀時の正装を見たのはこれで何度目だろう。もう何度目かもわからないお見合いの準備を見守りながら、神楽は小さく溜息をつく。
「銀ちゃん、何やってるアルか! ちょっと貸すネ!」
「お、おう……」
だらしなくぶら下がったままのネクタイを、神楽は手に取る。結んでキュッと上に縛り上げると、「オイ! 首しめて殺す気かテメーは!!」と銀時の突っ込みが入る。「大袈裟アルなァ……」と呟きながらネクタイの形を整えていると、銀時が一瞬困ったような表情を浮かべた。ネクタイをきつく結び上げたからではない。もっと何か別のことに困ってるような表情だった。
「どうしたアルか?」
「……なんでもねーよ」
銀時が自分から離れる。準備に十分な時間をかけられぬまま、待ち合わせ時間に遅れると言って、銀時は慌てて家を飛び出して行った。
神楽は見合いに出かけていく銀時の後姿を見送る。「いってらっしゃい」の言葉ひとつかけられず、神楽は何度目かもわからない溜息を吐いた。
そして、ちょうど二時間後、銀時は家へと帰ってきた。
見合いはどうだったのか。聞かずともよくわかる表情を、銀時は浮かべている。
「オイ、何だよ。その哀れみの目は」
「べっつにー何でもないアル!」
神楽は銀時から顔を反らす。今の自分の表情を銀時に見られるわけにはいかない。銀時が見合いに失敗するたびに、神楽は安堵する気持ちをおさえられなくなっていた。その理由は、神楽自身にもよくわからない。
銀時が見合いに失敗し続けていることは、しだいにかぶき町でも噂になっていった。普段はちゃらんぽらんしていてだらしなく見えていても、それは銀時の一面であって全てではない。銀時の本当の良さはかぶき町に知れ渡っているだけに、皆は不思議そうに首を傾げる。銀時の見合いが失敗し続けている理由を知りたいと思う者は、日に日に増えていった。
そんなとき、神楽の耳に信じられない噂が入ってきた。銀時には同棲している年頃の女がいて、それが理由で見合いが失敗している、というものだ。すでに同棲している女がいながら、見合い話を受けている――見合い相手の目には、それが銀時の不誠実な姿として映っているようだった。
その同棲している年頃の女というのは、まさしく自分のことだろう。自分たちをよく知る者たちが聞いたら、すぐに誤解だとわかるものだが、世間ではそうは思われていないらしかった。今年十六歳となった自分は、結婚をすることもできる――いわゆる年頃の女であることは、偽りでもなく事実だからだ。とはいえ、自分のせいで銀時の見合いが失敗してしまうのは胸が痛い。
一方銀時は、何度も失敗しているというのに、見合い話を断ることはなかった。その理由を、神楽はずっと考えていた。きっと、一昔前の銀時だったら、何かと理由をつけて断っていたに違いない。しかし、今の銀時はそうではなかった。年相応に、所帯を持ちたいと思いはじめたのかもしれない。
銀時が所帯を持つ、その言葉の響きに、神楽の胸が小さな棘で刺されているように痛みだす。
ずっと銀時の側にいたいと思っていた。銀時の結婚相手にコブつきだと思われようとも、この場所に――万事屋にいたいと思っていた。だが、自分が銀時と一緒にいる限り、銀時に幸せは訪れない。
なぜ、自分ではダメなのだろう。なぜ、自分では銀時を幸せにできないのだろう。ふと浮かんだ自分の心の声に気づかぬフリをして、神楽は頭を左右に振る。
今、自分にできることは何だろうと神楽は考えた。そして気づく。銀時の見合いが成功するように応援することが、今の自分にできる唯一のことではないだろうか。
そのためには、銀時が見合いの場でどんな失敗をしているのかを知る必要がある。次の機会に、神楽はこっそり銀時の見合いの様子を探ることを心に決めた。
その機会はすぐに訪れた。スーツを着て、待ち合わせ場所に向かう銀時の後ろ姿を、神楽はひとりで追いかけた。銀時が向かったのは、最近オープンしたばかりのホテルだった。その一階に、喫茶店を兼ねた洒落たレストランがある。見合い相手はすでに来ていたようだった。銀時に見合い相手を紹介したと思われる初老の女性の姿も見える。銀時が挨拶を交わしているのを横目に見やりながら、神楽は銀時に気づかれないよう、奥にある衝立の内の席へ移動した。
ウェイトレスにオレンジジュースを一杯頼み、神楽は二人の会話に聞き耳を立てる。「あとはお二人でごゆっくり」とお決まりの言葉が聞こえた。銀時が見合い相手と二人きりになったことがわかったけれど、特に変わった話は聞こえてこない。どこに住んでいるのか。仕事は何をしているのか。見合いの場では定番の会話といってもいい話が、食事の合間に続く。二人の雰囲気も終始和やかだった。だが、家ではどのように過ごしているのかという話に行き着いたとき、銀時はあろうことか自分の話を持ち出してきたのだ。
一緒に住んでる女がいる、と――。
漂う空気がそこでガラリと変わる。誰が見ても明かなほど、相手の表情も変わってしまっているのに、それに気づいているのか気づいてないのか、銀時はまったく気にも留めずにそのまま話を続けた。
新八と定春の話をすればよかったのに、なぜ、女である自分の話をしてしまったのだろう。案の定、銀時は相手に問い詰められていた。
「その方とは一体、どのようなご関係なんですか?」
自分が問われているわけではないのに、神楽の胸は跳ね上がる。
恋愛関係ではない。その答えはわかりきっているはずなのに、銀時の答えを待つ間、神楽は胸の高鳴りをおさえることができなかった。
銀時が口を開こうとしたそのとき、ちょうどウェイトレスが二人分のデザートを運んできた。銀時が答えを口にするタイミングはそこで失われ、話題は別のものへと移っていった。どこかぎこちない雰囲気を漂わせながら、その場はお開きとなった。
次の約束を取り付けるようなやり取りはない。今回も失敗に終わってしまったのだろう。
ホテルの前で、銀時が見合い相手と別れる。その後を追いかけてすぐ、神楽は銀時の目の前へと勢いよく飛び出した。言いたいことは山のようにあったが、考えるより先に、言葉が飛び出した。
「なんで、私のこと言っちゃったアルか?」
突然現れた自分の姿に、銀時は一瞬驚いた表情を浮かべる。しかし、すぐにいつも通りの気怠そうな表情に戻った。
「何のことだ?」
「銀ちゃんが私と一緒に住んでることアル! なんでそんなこと言っちゃったアルか?! そんなこと言ったら、フラれるのは当然ネ!」
そう告げると、さすがに銀時も、見合いの場を自分に見られていたことに気づいたようだった。陰で見ていたことなど知られたくはなかったけれど、走り出した感情はとめることができなかった。
読めない表情で、銀時は言う。
「お前とこれからもずっと一緒なのは変わらねーだろ。後でわかるより、今わかってたほうが良いだろうが」
これからもずっと一緒、そんな言葉が銀時の口から飛び出したことが、神楽にとっては嬉しくてたまらなかった。けれど、それでは自分ばかりが幸せで、銀時の結婚は遠のくばかりだ。
「ばかアルなァ……銀ちゃんが結婚したら、私、ちゃんと家から出て行くって決めてるアル。だからこれからは、そんなこと言う必要なんてな――」
最後まで言い終えぬうちに、銀時は言った。
「バカ言ってんじゃねーよ。なんでお前が出て行く必要があるんだ?」
語気を強めてそう告げる銀時に、神楽は言葉を失って立ち尽くす。
自分が万事屋にずっと居続けるということがどういうことなのか、神楽は考えた。そして、自分たち以外にもう一人――銀時の結婚相手と万事屋で一緒に暮らす自分の姿を想像した。
心の底から沸き上がってきたのは、これまでにないほどの強い独占欲だった。
朝、起きてすぐに「おはよう」と言葉を交わし、一緒にご飯を食べ、テレビを観ながらダラダラ過ごし、意味のない話で笑い合う……そんな銀時とのかけがえのない日常が、失われてしまうかもしれない恐怖。家の中で、銀時の目が自分ではなく結婚相手に向けられてしまうだろう寂しさ。
まだ現実になるとは決まっていないのに、ただの想像だというのに、神楽の胸は痛いほどに締めつけられた。
銀時はきっと、自分がこれまでに見たことのないような表情で、相手を見つめるのだろう。
自分がこれまでに聞いたことのない声で、相手に愛を囁くのだろう。
そしていつか、自分はその光景を目の当たりにすることになる。
心の奥底に眠っていた感情が、神楽を突き動かした。
「だって、結婚してる銀ちゃんなんて見たくないモン!」
神楽は叫ぶようにそう告げると、その場から逃げるように走り出した。
万事屋の玄関の前で、神楽は立ち止まった。無意識のうちに家へと帰ってきてしまったが、ここにいれば、いずれ帰ってくる銀時と顔を合わせることになる。
神楽は覚束ない足取りで、一階へと降りていった。スナックお登勢はまだ準備中で客人はまだ一人もいない。勝手知ったる顔で、神楽はカウンターに座り、うつ伏せになった。
店の準備をしていたお登勢は、何も言わずに冷えた麦茶を出してくれた。何があったのかを聞かないお登勢の優しさに、神楽は震える声で礼を言った。その声を聞いて、自分は泣きそうなのだと神楽は自覚した。
どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。時間が経つにつれて、冷静さを取り戻してゆく。一度口にした言葉はなかったことにはできないというのに、後悔ばかりが降り積もる。
自分がこの胸に抱いている感情は、今の銀時と自分の関係にふさわしいものなのだろうか。もし親しい人間が結婚することになったら、普通はどんな感情を抱くものなのだろう。神楽の頭の中は混乱していた。
「バーさんは、銀ちゃんが結婚するって言ったらどうするアルか?」
お登勢は煙草の味を噛み締めるように吸って、煙を吐き出した。
「……どうもしないさ。――なんだ、縁談でもまとまりそうなのかい」
神楽はうつ伏せになったまま、首を左右に振った。
「その逆ネ」
「噂には聞いちゃいたけど……見合い、失敗続きみたいじゃないか」
神楽は顔を上げてお登勢に言った。
「銀ちゃんはバカアル。私と一緒に住んでること、見合い相手に言ってるネ。そんなこと言ったら、失敗するのは当たり前ネ」
お登勢は溜め息ともとれる、煙を含んだ息を吐き出した。
「今、結婚する気がないのなら、見合いなんかやめちまえばいいのにねェ……」
「……え?」
「前に、銀時がひどく酔っ払った日があったんだよ。ちょうど今、アンタが座ってる席さ。ここで銀時は、馴染みの客に見合いを勧められてたんだよ」
「……」
「『世話になった銀さんに恩返しがしたい』って言ってたかねェ……」
いい男なのに嫁ひとりいないのはかわいそうだ、そう言って、銀時に見合いを勧めていたのだとお登勢は言う。銀時に世話になった人間というのは、意外にも多い。恩返しにと、ひとりが銀時に女を紹介しはじめたものだから、それをきっかけに、同じように恩を返そうとする人間が瞬く間に増えていったのだという。
そして、銀時が見合いに失敗するたびに、今度は自分が銀時に見合う女を見つけてくると言い出す人間が次から次へと出てくるようになったらしい。一体誰が銀時にふさわしい相手を見つけられるか、傍から見れば、まるで競い合っているようにも見えると、お登勢は苦笑した。
銀時は所帯を持ちたくて見合い話に乗っているのだと神楽は思っていた。しかし、それは自分の思い違いだったことに神楽は気づく。
相手の厚意を受け取って見合いはするものの、一緒に住んでる女がいると言って不誠実な男だと噂される。銀時ばかりが悪い役を引き受けてしまっているようにも思える。けれど、よくよく考えてみれば、昔から銀時はそんなところのある男だった。神楽は思わず笑みを零した。
自分と同じことを考えていたのか、お登勢が呟いた。
「バカな男だねェ……」
「ホント、バカアル……」
安堵したためか、瞬きをすると、涙が一粒零れ落ちてゆく。
「神楽、やっぱりアンタ……」
その先の言葉は聞かなくてもよくわかった。神楽は小さく頷いた。
銀時Side
『だって、結婚してる銀ちゃんなんて見たくないモン!』
銀時の頭の中では、神楽の言葉が幾度も繰り返されていた。銀時は家に帰りながら神楽の言葉を反芻する。
結婚している自分の姿など一度も想像したことはなかったが、神楽の言葉に、もし自分が結婚したらどうなるだろうと想像してみる。銀時はすぐにその思考を追い払った。
神楽以外の女が自分の家にいる、そんな未来はまったく想像できなかった。いや、想像したくないとでもいうべきか。
神楽も自分とまったく同じことを考えているのかもしれないと銀時は思った。だから、自分が結婚したら万事屋を出て行くと言ったのかもしれない。
違和感しか覚えない未来の想像は、ただ互いの距離を引き離すだけだ。
銀時は家に帰り着くと、スーツを脱いでソファに横たわった。ぼんやりと天井を見上げてみても、神楽の声が頭から離れない。これまでに聞いたことのない悲痛な声だった。随分と長い間、胸に秘め続けていた言葉なのかもしれない。
神楽の声を聞いて、なぜ自分は見合いをしているのだろうと銀時は考えた。神楽を手離してまで、結婚しようとは微塵にも思わない。
神楽がこの家を出ていく日を想像したことは何度もある。しかし何年も当たり前のように一緒に生活していると、このままずっと自分たちは一緒に暮らしていくのではないかとさえ思うようになっていた。
いつしか銀時は、神楽と離れ離れになるための心の準備さえもできなくなっていた。神楽を失ってしまう恐怖は、何よりも恐ろしく、そして銀時が普段意識していない心の底にある感情まで刺激した。
大人にならなくていい、ずっと子どものままでいてほしいと、子離れできない親のように思ったこともある。だが、それは神楽を手離したくないための我儘であって、自分の本当の望みではない。
見合いをするようになって、正装で出かける日が増えた。ダラダラと着替えをしている自分に、神楽は困ったような表情を浮かべて、一丁前に着替えを手伝おうとする。
自分のネクタイに伸ばしてきた手は、子どものそれではない。その手が、自分に触れるのを想像したこともある。その度に、銀時は神楽から距離を置こうとするけれど、うまくいった試しはない。
玄関の扉が開く音に、銀時は慌てて起き上がる。聞き慣れた足音のはずなのに、今はひどく落ち着かなかった。部屋に入ってきた神楽は、「ただいま」と一言告げると、何も言わずにただ黙って自分を見つめた。
「……どした?」
なるべく普段通りに、優しく聞こえるような声で、銀時は問いかける。
「……さっきは、ごめんネ」
子どもに戻ったような声で、神楽は言う。真っ正面から見つめていると、神楽がそっと自分から視線を反らした。逃げるように押し入れへと向かう神楽を、銀時は追いかける。自分に背中を向けたままの神楽に、銀時は言った。
「もう、見合いなんかしねーから……」
神楽は何も言わなかった。首を振ることもしない。「神楽」と、これまでに口にしたことのないような声で名前を呼ぶと、神楽は一度だけ小さく身体を震わせた。神楽は顔を上げて言った。
「……銀ちゃんの気が済むまで、見合いすればいいネ」
神楽の声は普段通りの声に戻っていた。子どもが遊んでいるときのような、無邪気で明るい声だ。けれどそれは、無理しているような、強がっているような、寂しげな色を含んでいた。
「かぐ……」
神楽はこちらを振り向く。振り向いた神楽は、大人びた表情で微笑している。銀時でさえ辿り着いていない答えを知っているような声で、神楽は言った。
「私は、今の銀ちゃんの側にいたいアル」
その日からしだいに銀時は見合いを断ることが増えていった。一度見合いを断ると、見合いを勧められることも段々と減ってゆく。自分が見合いを断る理由は、「銀さんもうすぐ結婚するらしいよ」「銀さんには心に決めた女の人がいるんだって」「銀さんはまだ結婚する気はないんだと」「見合いが失敗続きで嫌になっちまったのかもねえ……」などと、好き放題噂されている。理由を聞かれても曖昧に答えを濁し、逃げるようにその場から立ち去っていたから、人の数ほどの憶測が生まれ、街中を飛び交っているようだった。
あの日から、神楽はいつも通り自分に接してきた。あの日のことをなかったことにしたいのか、忘れようとしているのか、その本心は銀時にはわからない。だが、どれにも当てはまらないような気がした。神楽ならきっと、もっと前向きな理由を持っているはずだと、銀時にはそう思えてならなかった。
もう何週間も見合いに行かない日々が続いていたとき、銀時はお登勢から大きな封筒をあずかった。
「オイ、何だよコレ」
お登勢は煙草の煙を燻らせながら言った。
「見合いだよ、見合い」
「なんでババァがこんなもん持ってんだよ」
これまで幾度となく見合いを勧められてきたが、お登勢から見合い話を持ち出されるのはこれがはじめてだった。あのお登勢が勧めてくる見合いだ。これまでと違って緊張すら覚える。
一体、どんな相手だろうと銀時は封筒を開いた。封筒の中からは、見合い相手の写真がおさめられているのだろう、分厚い良質な紙で出来た台紙が出てきた。ゴクリと唾を飲み込んで、銀時はその台紙を開く。しかし、台紙の中に写真はおさめられていなかった。
「……なんだコレ」
角度を変えて見てみても、裏返しにしてみても写真は見当たらない。お登勢は言った。
「おやおや、写真を入れ忘れちまったようだ」
わざと入れ忘れていたかのような声音だ。封筒にも何も書かれていない。見合い相手に関する情報は何ひとつなかった。こんなことなどもちろんはじめてだ。
お登勢は何も言わない。見合い当日まで隠すつもりなのだろう。一体どんな女なのだろうと、銀時は気になった。
「どんな相手なんだ?」
「自分の目で確かめてみな。……いい娘だよ」
心のこもったお登勢の言葉に、銀時の脳裏には神楽の姿が浮かんだ。
銀時は台紙を閉じ、静かに言った。
「ワリーな……。この話、なかったことにしてくれ」
遅すぎた自覚に、銀時は自分自身に向けて苦笑する。
お登勢はいい娘だと言ったが、神楽以外にそう思える相手に巡り逢うことなどあるはずもないと思った。
「ちょっと待ちな」
お登勢に背中を向けてすぐ、追いかけてくる声があった。
「……なんだよ」
振り返ると、お登勢は言った。
「これが最後だと思って、受けてみたらどうだい」
今度の日曜、ここに来いとお登勢は言う。断るつもりだったが、お登勢の勢いにおされ、銀時は承諾した。
このスナックを見合いの場にすると聞いて、銀時は思案する。相手はお登勢の顔馴染みの客なのだろうか。年頃の女の客がこの店に出入りするのは幾度となく見たことはあるが、まったく見当もつかなかった。
瞬く間に日曜日になった。神楽は朝から出かけていて、家には定春と自分しかいなかった。しかし、日曜日だというのに、新八が出勤してきた。
「俺 、今日、仕事があるって言ったか?」
「いいえ、言ってませんよ」
「じゃあ、なんで……」
「銀さん、今日、お見合いするんですよね。だから、準備を手伝いに来たんです」
「なんでお前がそれを……」
今日、自分が見合いをするという話は誰にも言っていない。また自分の知らないところで噂でもされてしまったのだろうか。寝惚けたままで歯磨きをしていると、新八が急かすように言う。
「あ! 銀さん、早くしないと時間に遅れちゃいますよ!」
そう言ってテキパキ準備をはじめた新八に、銀時は大人しく従った。自分ひとりでもできることだが、銀時は新八に任せることにする。髪型も、服装も、靴も、何から何まで新八が整えてくれた。鏡の前で、こんなにも変わるものかと銀時は素直に驚く。時間になると、新八は「早く早く」と自分を玄関へと促した。
「いってらっしゃい」
そう言って背中を叩く新八の力強さに、銀時は思わず笑ってしまう。
見合いはこれで最後にする。そして、見合いを終えたら、今日で人生最後の見合いを終えてきたのだと神楽に言うのだ。銀時は清々しい気持ちで家を出た。
一階に降りると、お登勢とキャサリンとたまが自分を出迎えた。まるで待ち構えていたとでもいうような表情をしている。銀時はお登勢に案内されて、部屋の奥へと進んだ。銀時はいつになく緊張していた。見慣れた場所だというのに、はじめて来たかのような心地さえした。
一体自分はこれからどこに向かっていくのだろう。
客間の前でお登勢は立ち止まった。ここから先はひとりで行けと、その目が伝えてくる。銀時は深呼吸をひとつして、襖を開いた。自分の見合い相手が顔を上げる。銀時は信じられない気持ちで、相手の名を呼んだ。
「……神楽?」
これまでに見たことのない、大人びた神楽の姿が目の前にある。銀時はすぐに神楽が化粧をしていることに気がついた。だが、神楽が大人びて見えているのは、化粧によるものだけではない。
服装もいつも神楽が身につけているものとはまるで違う。紅の重厚さが際立つ布の上には、細工の施された花が刺繍されている。いつものように左右に結い上げられた団子頭の上には、ボンボリがなかった。よくよく見れば、団子の周りに細かな編み込みがされている。そして、緩やかに巻かれた横髪が、耳元で遊ぶように揺れていた。
言葉を失って佇んでいると、「何やってんだい、早く座んな」と背後から声をかけられる。お登勢が二人分のお茶を運んできたところだった。言われるがままに、神楽と向い合わせで座る。お登勢は茶を置くと、「あとは若いモン同士でゆっくりやんな」と、これまたお馴染みの言葉を残して去って行った。「俺、もうそんなに若くないんだけど!?」と突っ込む余裕すらない。
襖が閉まると、部屋は急に静まり返った。銀時は落ち着きなく周囲を見渡す。これからどうすべきか、もちろんその答えはどこにも転がってはいない。視線を感じて、銀時は覚悟を決めて神楽に向き直った。
「……なんで、お前がここにいんだよ」
素直になれない、思春期の子どもが口にするような言葉だと銀時は思った。気持ちとは正反対の表情をしている自分とは違い、神楽は屈託のない笑顔で自分を見つめている。
頬紅よりも濃い色を頬に乗せて、神楽は言った。
「私ネ、いっぱい考えたアル。私が銀ちゃんとずっと一緒にいられる方法……」
「……方法?」
頭の隅に湧いた予感が、瞬時に膨れ上がる。今、ここは見合いの席なのだと、銀時は我に返った。めかしこんだ男女がただお茶を飲むだけの席ではないのだ。
「銀ちゃん、私と、け――」
そのあとに続くだろう言葉を、銀時は慌てて遮った。
「待て待て待て待てェェェ!! 落ち着け神楽! 冷静になれ!!」
落ち着くのは自分の方だと、銀時は心の中で自分に突っ込みを入れる。自分の声に、神楽は驚いたような表情を浮かべたが、何事もなかったかのように穏やかな表情へと戻っていく。神楽が胸に抱いている答えは、自分を見つめる神楽の瞳を見ればすぐにわかった。
女が男を見る目。神楽は「そういう目」で自分を見ている。
神楽が自分のことをどう想っているのか。自分は神楽のことをどう想っているのか。一刻も早く認めたいのに、捻くれた自分の思考が邪魔をした。自分の意思とは真逆の言葉が、口から零れ落ちてゆく。
「お前は想像できるか? 俺とお前が……って――」
自分の言葉に、神楽は大きく頷いた。そして、恥ずかしそうな表情を浮かべて神楽は言う。
「もし、銀ちゃんと結婚できたらどうなるだろう……って何度も考えてたアル。そしたらネ、私、すっごく幸せな気持ちになったんだヨ。十年後も二十年後も三十年後も……ずっとずーっと、私は銀ちゃんと一緒にいたいって思ったアル」
神楽の言葉に、銀時は何も言えなくなってしまった。自分と一緒にいれば、神楽は幸せだというのだ。
銀時は神楽と結婚している自分の姿を想像した。神楽以外の女と結婚し、一緒に暮らす絵はまったく想像できなかったというのに、神楽とこれから先もずっと一緒に暮らす未来はたやすく想像できてしまう。
今までと同じように日々を重ねていくのはきっと変わらないだろう。けれど、胸がくすぐったくなるほどに優しく温かな気持ちで満たされた暮らしが、これから先の未来には待っているように思えた。
「幸せ、か……」
呟くと、神楽の笑みは一層深みを帯びていく。自分に向かって伸ばされた手を――神楽との未来を誓う約束を、今は掴みたくてしかたがなかった。
銀時は神楽を見つめた。わずかに首を傾げる神楽に愛しさが募った。
「銀ちゃん、どうしたアルか?」
「なァ、神楽。俺と、け――」
そう言いかけたとき、襖の向こうがざわざわと騒がしくなった。銀時は頭を掻いて、立ち上がる。襖に手をかけると、見知った顔の連中が部屋へと雪崩れ込んできた。
「何やってんだよ」
銀時は苦笑する。神楽はというと、顔を真っ赤にして硬直してしまった。それを見ていた銀時自身も、顔が赤くなってゆくのを感じる。まるで神楽の感情が自分にもうつってしまったかのようだ。
お登勢にキャサリンにたまだけではない、自分を見送ったはずの新八も、一体どこで聞き付けたのだろう長谷川も、自分にこれまで見合いを勧めてきた近所の連中も、名前を上げればきりがないほどの人数に、自分たちの会話が聞かれていたのだと知る。
「あともう少しだったのに!」と長谷川が叫んだ。「録画デキテタカ」と、キャサリンがたまに問いかけているのも聞こえる。「今の衝撃で切れてしまいました。……録画モードON」ピッピッピッと、たまから音が鳴る。たまは何事もなかったかのように続けた。
「銀時様、続きをどうぞ」
そう促されて、平然と続けられるはずがない。
「たま、録画はもうしなくていいから」
お登勢の言葉に、たまは素直に録画モードをOFFへと切り替えた。
周囲の騒ぎはまだやまない。次から次へと、自分だけではなく神楽にも声が飛ぶ。
「神楽ちゃん、すごくキレイだね」
「銀さんにはもったいないくらいの美人さんだ」
「こんな別嬪さんを嫁にもらえるなんて、銀さんは幸せモンだね」
そうだ、そうだ、と同意する声が重なる。
モジモジと落ち着きなく身動ぎしている神楽を見守りながら、銀時は応えた。
「……そうだな」
一瞬、部屋が静まり返る。神楽の瞳が驚きの色に染まってゆく。周りからの視線に耐えられなくなり、銀時は言った。
「神楽、けーるぞ」
「ウ、ウン!!」
神楽の手を引いて、銀時は歩き出す。背後からヒューヒューと囃し立てる声が聞こえた。その中に混じる新八の声に、銀時と神楽は振り返る。
「銀さん、神楽ちゃん、お似合いですよ」
返事の代わりに笑みを返して、銀時は神楽を連れて部屋を出た。二階へ続く階段を駆け上り、そして立ち止まる。目の前にあるのは、いつもと変わらない万事屋の玄関だ。だが、このまま中に入るのは戸惑われた。
隣にいる神楽が、自分を見上げているのがわかる。銀時は神楽と手を繋いだまま言った。
「……本当にいいんだな?」
昨日までの自分たちとは違う。階段を飛ばして駆け上がるように、今日、自分たちの関係は変わったのだ。
「……銀ちゃん?」
「ここから先は、二度と離してやれなくなるぞ」
神楽は迷うことなく頷いた。
「ウン!!」
神楽の満面の笑顔に、銀時は迷わず一歩を踏み出した。
