「おはようございま――って、またですか!」
 新八の声に目を覚ます。「玄関は寝床じゃないんですよ!」と新八は言葉を続けた。どうやら今日もまた玄関で寝てしまったらしい。
 目を開こうとして、朝陽の眩しさにそれを妨げられる。目を開かずとも、玄関で寝ているのが自分だけではないことはわかった。自分にかけられた毛布と、自分が握っている小さな手の温もりに、神楽が側にいることを教えられる。
 神楽と恋人同士となってから一ヶ月が過ぎようとしていた。夜、ふたりきりになることを避けるために酒を飲みに行く回数は日に日に増え、今ではもう毎日飲みに行っているのではないかと思えてしまうほどの頻度になっていた。こうして玄関で目を覚ますのも、もう何度目になるかわからない。
 神楽の手を握る自分の手に力を込めながら、そろそろ玄関ではなく寝室で眠るようにしなければと、昨日も思ったことを繰り返し考える。
 新八が草履を脱ぎ、自分と神楽の身体を交互に揺り動かした。毎朝こうして自分達を起こす新八のことも考えると、やはり自分の行動は褒められたものではないと思う。
 新八は声を荒げて言った。
「ちょっと二人とも、早く起きてください! こんな所、誰かに見られでもしたら――」
 新八の言葉が途中で掻き消えた。
「……どした、新八」
 新八が息を呑む気配に、銀時は片目だけ薄く開き、新八の様子を窺う。
「……お登勢さん」
 新八の声に視線を上げれば、玄関の扉の向こうに、お登勢が立っていた。その後ろには、たまとキャサリンの姿もある。
「毎朝何をやってるのかと思って来てみたら……そういうことかい」
 お登勢の視線が、神楽と自分の手に注がれていることに気づいて、銀時は慌てて起き上がる。
「バ、ババア! こ、これは……」
 冷汗が背中を伝った。神楽の手を離さなければと思うのに、自分の本心がそれを拒む。鋭い目で自分を見下ろすお登勢を前にして、隠し事などできるはずもなく、言葉は途切れた。
 誤魔化すことはもうできなかった。眠っている神楽が目を覚まさぬよう、心の中で懇願する。自分達の関係に向けられる否は、自分だけに向けられるべきだ。神楽には聞かせたくない。
「銀時」
 いつもと変わらぬ口調で自分の名を呼ぶお登勢に、銀時はいつになく動揺した。
「な、なんだよ……」
 しかし、続くお登勢の言葉は、自分への咎めであることには違いなかったが、自分が考えていたこととは全く別の理由によるものだった。
「……女をさびしがらせるんじゃないよ」
 それだけを言って、お登勢は自分達に背を向け、階段を降りてゆく。まるですべてを悟っているかのような口振りだった。
「隠シ事ナンテ、ラシクナイデスヨ。アホノ坂田サン」
「銀時様、神楽様とお幸せに」
 そう言い残して、キャサリンとたまもお登勢のあとを追って階下へと戻ってゆく。
 新八の目が階段を降りてゆくお登勢達から自分へと向けられた。目が合うと、「心強い味方ができましたね」と新八は笑う。
 開かれたままの玄関の扉から、朝陽が射した。自分達の関係を新八に告げた日のことを、銀時は思い出していた。自分達のことを世界中が冷えた目で見たとしても、側で見守ってくれる目は温かいのだと、知った日だった。階下へと下りて行った三人の目が、新八と同じ色をしていたことに、銀時は気づく。
 陽の光によって包まれるこの世界は、自分達を拒んでなどいなかった。少女が自分に向ける言葉や感情のように、眩しく、美しかった。
 最後の戸惑いは、あの日見た陽と同じ眩さを含む光に、解かされてゆく。
「銀さん。神楽ちゃんの側にいてあげてください」
「……ああ」
 

 その日の夜、銀時は酒を飲みに出かけなかった。神楽が不思議そうな目で幾度もこちらを見ていたが、「今日は出かけないアルか?」と問いかけてくることはなかった。そのかわり、時間が経つにつれて、「今日は家にいてくれるアルか?」と確認したそうな目を向けてくる。
 銀時はいつもより早く風呂に入り、寝間着に着替えた。これで今夜は外へ行かないということが神楽にも伝わったのだろう。神楽は安堵した表情を浮かべると、自分と入れ違いで風呂場へと駆けて行った。
 風呂から戻り、髪の毛を乾かし終えると、神楽は自分の隣に並ぶようにしてソファに座った。会話はない。障子窓の外から夜に鳴く虫の声が聞こえてくる。たまに酔っ払いが騒ぐ声が聞こえるだけで、静かな夜だ。
 神楽とふたりきりの夜を意識すると、ひどく落ち着かない。手を組み、酒を飲みに行かない日はどう過ごしていたかを反芻している途中で、隣から欠伸をする声が聞こえる。神楽は目を擦りながらソファから立ち上がり、「私、もう寝るネ」と言った。
「おやすみ、銀ちゃん」
 押し入れへと歩き出した神楽に向かって、「神楽」と銀時は声をかける。小さな背中が振り返る。神楽は首を傾げた。今夜、自分が飲みに行かなかった理由に、神楽は気づいていないようだった。
 銀時はソファから立ち上がり、和室に向かって歩き出す。神楽の目が自分を追いかけているのを視界の隅で見とめながら、和室へ続く襖を開いて、銀時は言った。
「枕だけ持って、俺んとこおいで」
「……え」
 今まで眠そうにしていた少女の目が、忙しなく瞬きを繰り返す。そうしているうちに、信じられないといった表情をして、神楽は目を見開いた。銀時はそれ以上何も言わず神楽に背を向けると、和室へ足を踏み入れた。
 しばらくすると、電気の灯りの消された和室に、神楽が枕を持って入ってきた。
「来いよ」
「……ウ、ウン」
 襖の前で立ち止まったままの神楽を手招きすると、少女は畳の上を素足で擦るように近づいてきた。
 布団の裾を掴み、持ち上げる。布団の中に入るよう促すと、神楽は布団の隅に膝をついて、そろそろと布団の中へと入ってきた。神楽は自分と目を合わせようとせずに、布団の中を、下へ下へと潜り込んでゆく。
「オイ、何やってんだお前」
 そうして神楽は、頭まですっぽりと布団の中に隠れてしまった。布団の上では、枕が置き去りにされている。布団をめくろうとすれば、神楽は両手でそれを掴んで抵抗してきた。
 布団の中に隠れたまま、神楽は言った。
「だ……だって、なんか恥ずかしいネ!」
「しょうがねーな……」
 銀時は布団ごと神楽を抱きしめた。神楽が息をとめる気配が伝わってくる。どうやら相当緊張しているらしい。以前、神楽が枕を持って和室にやってきたとき。自分がそれを拒んだ理由を、その意味を、神楽なりに理解してきたことがわかる。
 神楽は大きく身じろいだ。暴れている、といった表現の方が合っているような気もするが、男である自分の力の前では、小動物が動き回っているくらいの感覚でしかない。
 抱きしめる力を強くすると、布団の中から神楽のくぐもった声がした。
「……銀ちゃん、苦しいネ」
「じゃあ、出て来いよ」
「イヤアル」
 神楽を布団の中から引きずり出すことは諦めて、少女の緊張を解く方法を銀時は考える。
「お前が心配するような事は何もしねーよ」と前置きして、銀時は言った。「俺ァ、お前が大人になるまで手は出さねーって決めてんだから」
「私が大人になったら、手を出すアルか?」
「当たり前だろ。お前の服を全部剥ぎ取って、素っ裸にして、それからお前のお――グハッ!」
 神楽の膝が自分の腹に直撃する。大袈裟に痛がってみせたが、そこまで痛くはない。
「そこまで聞いてないアル!」
 神楽が布団の中から顔を覗かせた。夜の暗がりの中でも、神楽の顔が真っ赤な色をしていることはよくわかった。
 布団の中は空気が薄い。呼吸の浅さは、心臓の音を速める。緊張によるものか。恥ずかしさによるものか。判別はつかず、神楽の小鳥のように速い鼓動が、自分の耳にまで聞こえはじめる。
 桃色の髪を撫でると、神楽は急におとなしくなった。布団の中から自分を見上げてくる神楽に視線を落としたまま、何も言わずにただ髪を撫でて続ける。泣き止まない子どもを寝かしつけているような心地になりながらも、胸にこみあげてくる感情の色は、子どもに向ける類のものではない。
 自分の胸に顔を押しつけて、神楽は言った。
「銀ちゃんが、今日は家にいてくれて嬉しかったアル」
「……そうか」
 これまで離れていた夜の距離を埋めるために、神楽の頭を抱いて自分に引き寄せる。神楽の吐息が、自分の胸元で押しつぶされて熱を帯びた。
「銀ちゃん。……大好き。……大好きアル」
「ああ。わかってる。わかってるよ」
 つむじにキスを落として、桃色の髪を辿るように、少しずつ唇を下ろしてゆく。
 ひとつの布団で一緒に眠ることだけを考えていたのに、やはりそれだけでは物足りなくなってしまった。
 桃色の前髪を掻き上げて、額に口づけると、神楽が慌てて目を閉じるのがわかった。そのまま頬に唇を寄せると、神楽が身を縮こまらせる。
「神楽ァ」
「……ン!」
 名を呼ぶと神楽が目を開く。目が合うその瞬間を狙って、銀時は神楽の唇にキスをした。驚きのためか、神楽の小さな身体は大きく跳ね上がり、少女の瞼は再びきつく閉じられる。後頭部に掌を這わせて、銀時は強い力で神楽を引き寄せた。
 唇をかたく閉じたままの神楽に合わせて、触れ合うだけのキスを続ける。鼻で息をする余裕がないのだろう。唇を合わせている間ずっと息をとめたままでいる神楽は、しだいに呼吸を求めてもがきはじめた。
 一度唇を離すと、神楽は荒い呼吸を繰り返す。息を吸うためにわずかに開いた唇を指でなぞると、少女の熱い呼気に触れた。
「カワイイな、お前は」
「……え?」神楽は瞬きをし、「銀ちゃん、今、なんて……」と問いかけてくる。
「何でもねーよ」
 赤くなった少女の耳を触ると、そこも熱を帯びていた。銀時は神楽の耳に直接声を吹きこんだ。
「もっとしていい?」
 神楽は黙り込んだまま、二、三度、首を上下に振る。銀時はひとつ笑って、神楽の首筋に顔を埋めた。息を吸うと、石鹸の匂いに混じって少女のやわらかな香りがする。
 寝間着の一番上のボタンだけを外して、直接肌に口づけた。そこから先の侵入は自分に許さず、銀時は神楽の寝間着の上から唇を押し当てる。緊張に身を強張らせていた神楽が、くすぐったそうに身を捩る。
 欲に濡れた唇で、身体の線を辿った。一枚の布を隔てているのにもかかわらず、直接肌に触れているような感覚が、唇から身体の芯へと伝ってゆく。
 熱を帯びた掌で身体中を撫でまわしている間、神楽は抵抗ひとつしなかった。膨らみというよりは緩やかな丘の線を描く胸に手を這わせ、唇を寄せても、神楽は喘ぎに似た声を上げるだけで、自分を拒もうとはしない。
「……ッ」
 途端、下腹部が熱く脈を打つのがわかり、神楽から身体を引き離す。布団の上に手をついて、身体を支えながら、数回深い呼吸を繰り返した。額から伝った汗が神楽の首筋に落ち、布団へと垂れてゆくのが見える。
 心配そうに自分を見上げてくる神楽と目が合った。
「銀ちゃん、苦しいの?」
「いや」
 腹の底から湧き上がる熱を抑え、少女の唇に自分のそれを寄せた。かたく閉じていた少女の唇はいつしか綻ぶように開き、従順に銀時の舌を受け入れた。奥へと逃げてゆく小さな舌を追いかけ、それをつつき、舌先を吸い上げる。
 互いの唾液が入り混じり、神楽の口内を満たしはじめると、少女は小さな喉を小刻みに動かしながらそれを飲み込もうとした。飲み込み切れなかった唾液は少女の唇の端から顎へと伝ってゆく。
 視界の隅でそれを見ながら、これ以上の触れ合いは後に引き返せなくなることを銀時は悟った。
 男の欲を抑えるために、少女を激しく抱き寄せる。神楽に触れば触るほど、この熱と欲は増すというのに、矛盾ともいえるこの行動を、銀時はやめることができなかった。
 情交の熱が穏やかな眠りを運んでくるのを待つ間、銀時は神楽と顔をくっつけあって、微笑み合った。
 身体を繋げずとも、女を愛することはできる。こんな愛し方もあるのだと、はじめて知った。




 意識して息を吸い、身体の内を朝の空気で満たす。朝の空気に混じる味噌汁の香りに、銀時は目を覚ました。
 最近ずっと世話になっていた玄関の床ではなく、和室の天井が視界に広がる。
 起き上がり、寝癖のある頭を掻きながら台所へと向かうと、そこには思った通り新八の姿があった。朝食を準備する新八の後姿を見てすぐ、今日の当番が新八ではないことを銀時は思い出す。
「アレ? 今日のメシ当番、お前じゃなかっただろ」
「はい」
 新八がおたまを持ったままこちらを振り返った。新八が目を細めて笑う。新八は自身の大切なものを語るような口調で、「二人の顔を見てたら、起こせなかったんです」と言った。
 新八の言葉に昨夜のことが思い出される。ひとつの布団で眠る自分達の顔を新八に見られてしまったことによる恥ずかしさから、銀時は頭をもう一度掻いた。
 自分達は一体どんな顔をして眠っていたというのだろう。
 眠りにつく前と同じように、顔をくっつけあって笑みを浮かべていたのだろうか。
 問わずとも、丘の頂上で見せたのと同じ表情をしている新八に、あの日から繋がる答えが返ってくることを銀時は確信する。
「二人とも、とても幸せそうな顔して眠ってましたよ」
「…………」
 胸を満たす温もりに息が詰まり、陽の優しさに目元が緩んだ。
 新八が鍋の蓋を開けると湯気がのぼり、味噌汁の香りが鼻をくすぐる。変わらぬ朝に灯るのは、手を伸ばせば今にも届きそうな、温かな光だった。
「そろそろご飯できますから、神楽ちゃんを起こしてきてくれませんか?」
「お、おう」
 新八の声に我に返り、台所をあとにする。和室に戻ると、布団から足を出して眠っている神楽の姿が目に入った。銀時は神楽の眠る布団の側に歩み寄り、腰を下ろす。
 神楽を見れば、腹を満たして満足気な表情をしているときと似た顔をしていた。その証拠に、神楽は涎を垂らして気持ちよさそうに眠っている。少女の唇の端に零れている涎を指で拭ってやりながら、銀時はひとり呟いた。
「幸せそうな顔、か……」
 声が届いたのだろうか。瞼を数回震わせたあと、神楽が目を開く。「おはよう」より先に、神楽は自分の名を呼んだ。
「……銀ちゃん」
 神楽の笑みにつられるように微笑みながら、銀時も少女の名を呼ぶ。
「どした? 神楽」
「……私、幸せアル」
 十四歳の恋人が自分に与えてくれたのは、自分達が幸せになることを許された優しい世界だった。



FIN






[2013/9/29]