恋人は、十四歳。

 人工的な灯りのない薄暗い部屋の中。障子窓の外から射る夕陽の光が、少女の姿を際立たせるように輝いていた日。この星で最も美しいと思える、少女からの告白の言葉が、自分達のこの関係のはじまりだった。
『……私、銀ちゃんのことが好きです』
 少女の年齢、自分との歳の差を考えれば、少女の想いは受け取るべきではなかったのだろう。恋愛ではなく親愛から生まれた言葉として、受け取ることもできたはずだ。
 それをしなかったのは、自身の腹の底で眠っていた感情に気づいてしまったからに他ならない。少女を自分のものにするにはまだ早すぎるが、かといって手離すことなどできるはずもなく、銀時は少女の告白を受け入れた。そして、少女が大人になるその日まで、返事を胸の内に秘めておくことを選んだ。
 返事をしてしまえば――一度でも自分の感情を口にしてしまえば、後戻りできないばかりか、歯止めがきかなくなってしまうのは目に見えていた。想いを通じ合わせるという甘い誘いに手を引かれそうになるのを堪え、少女の想いに返事をしないまま、時の経過を待とうとした。
 自分は、自身の感情を、誤魔化すことにも隠すことにも慣れているズルい大人を演じ続けた。
 だが、少女だけではなく自分にも、限界はすぐに訪れた。いつまで経っても返事をしない自分に、少女はこれまで堪えてきた想いを打ち明けてきた。少女の顔が背中に押しつけられる。自分の着物の色が、少女の涙の色に変えられてゆく。
 少女が大人になるまで待つと決めた自分のこの意志が、少女を不安にさせ、少女を泣かせてまで、貫くべきものだとは、もう思えなくなっていた。
 銀時は後ろを振り返り、少女を抱き締めた。少女が涙で声を詰まらせる。これ以上、不安にさせぬよう、背中の骨が砕けてしまいそうになるほどに、小さな背を強く抱いた。
 銀時はこのとき、本当に貫くべきものが何かを知った。それは、大人と子どもという垣根をこえて存在し得るもので、これからふたりで育んでゆくべきものだった。
 かわいそうになるくらい真っ赤になった少女の耳元で、銀時は少女の告白に対する返事を紡いだ。自分の腕の中で涙を零しながら微笑む少女に、銀時は自身の腕に力をこめながら、微笑み返した。
 夕陽が沈み、重なり合う自分達の影が夜の色に溶ける頃。少女の乾いた涙のあとに、もう一筋の滴が伝ってゆくのを、胸元に感じた。自分の胸に顔を押しつけて、神楽は言う。
「銀ちゃん、私、銀ちゃんの恋人になれるアルか?」
「ん?」
 神楽の問いかけの本意が掴めず、もう一度、と言葉を促した。
「私は、まだ子どもアル。……それでも、銀ちゃんの恋人になれるアルか?」
 夢から覚めて現実へと引き戻されたような少女の声。
 自分がこれまで少女を子ども扱いしてきたことを思い出したのだろうか。そう思ったのは一瞬で、自分を見上げる神楽の表情に、そうではないことを教えられる。
 神楽は自身が子どもであるという現実を、正面から見つめていた。
「……まァ、ガキ相手じゃできねーこともあるけどな。大人にならねェガキなんていねーんだ。ちょっと時期が早まっただけだよ」
 恋愛に歳の差は関係ない。よく耳にする言葉だが、その言葉通りだと思う。その真は今、目の前にあるからだ。
「私、大人になるまで待たなくてもいいアルか?」
「ああ」
 だが、神楽が大人になるまで待たなくてはならないことも、もちろんある。銀時は神楽の後頭部を掌で包み、自分に引き寄せながら言った。
「お前がまだガキだっつー事実は、どうやったって変えられねェ」
「ウン」
「でもいつかお前は大人になる。だからその時は……一緒になろうな」
「ん? 今も一緒にいるアルヨ?」
 神楽の頭上に疑問詞が浮かんでいるのが見えたような気がして、銀時は微苦笑する。「一緒になろう」と「一緒にいよう」は、よく似ている。ひとつ屋根の下でずっと一緒に住んでいて、これから先もずっとそれは変わらないのだから、神楽の言っていることもあながち間違いではない。
 だが、恋人同士となった自分達は、いずれそれだけでは物足りなくなってしまうのに違いないのだ。銀時は慎重に言葉を選んで、神楽に告げた。銀時なりの誠意だった。
「あー……これはな、つまり……一生、一緒にいようって意味だよ」
「……銀ちゃん」
 腕にこめる力を緩めて、神楽の顔を覗きこめるだけの距離をとる。大きく開かれた瞳は、再び涙に揺れていて、目の縁からは大粒の滴が今にも零れ落ちてきそうだった。
「約束してくれるか?」
「ウン! 約束アル!」
 自分の腕の中で、神楽が大きく身じろぐ。神楽の身体に回していた腕を解くと、少女は右手の小指を自分に向かって差し出してきた。
 銀時は童心にかえってゆく心地を味わいながら、小さな小さな神楽の小指に、自分の小指を絡める。指切りゲンマン。一緒にそう言って、二度ほど宙に振った。
 小指を絡め合ったまま、互いに見つめ合う時間が訪れる。銀時が神楽に顔を寄せると、神楽は驚きのためかすぐに身を引いて、目をかたく閉じてしまった。唇へのキスは、少女にはまだ早すぎたようだ。
 絡め合った小指を引き寄せて、唇のかわりに小さな小指へと、銀時は口づけた。神楽は目を開いて、恥ずかしそうに俯いた。暗がりの中でも、神楽の顔が赤くなっているのはよくわかった。
「……顔、真っ赤だな」
「銀ちゃんのせいヨ。銀ちゃんがこんな事するから……」
 そう言いながら、お返しのつもりなのだろう、神楽も絡め合った小指を引き寄せる。
 唇と小指の距離が少しずつ縮まってゆく。自分の小指に神楽の唇が触れるのと同時に、顔を赤くしている神楽の胸中を、銀時は瞬時に理解した。顔に熱が集まってくるのを感じ、片腕で神楽を抱き寄せ、胸元に神楽の顔を押しつける。自分の顔を見られないように、神楽を抱き寄せる力を強くする。神楽は、「苦しい」とくぐもった声で言い、嬉しそうな声で笑った。


 神楽の手を引いて、新八の元へと向かったのは、その翌日のことだった。新八に自分達の関係を打ち明けることは、神楽との関係を変えてすぐに決めたことだった。
 自分達の関係が世間からどんな目で見られてしまうのかは、容易に想像できる。どんなに親しい人間であったとしても、一つ屋根の下に住まう大人と子どもが恋人同士で、しかも将来結婚することを約束していると知ったら、世間と同じ考えを持つだろう。
 しかし、どう思われたとしても、新八には秘密にするべきではないと銀時は思っていた。神楽もまた、同じ気持ちでいることを、銀時は理解していた。
 秘密を明かすと決めた日、万事屋に射し込む陽光は眩しくきらめいていた。その光を背に受け、新八の前で繋いだことのなかった手を、その日は繋いだ。
 新八は和室で音楽を聴いていた。イヤホンをしている新八にも聞こえる大きさで、声をかける。
「新八、大事な話がある」
 自分の声に、両耳につけていたイヤホンを取り去って、新八がこちらを振り返った。イヤホンからは、寺門通の新曲が漏れ聞こえてくる。新八は、一時停止ボタンを押すことも忘れ、メガネの奥にあるその目を、大きく見開いた。
「どうしたんですか? 銀さんも神楽ちゃんも。手なんか繋いじゃって」
 新八の驚いたようなその声に、神楽と同じタイミングで息を呑む。大丈夫だ、と言い聞かせるかわりに、神楽の手を強く握り締めた。
「……新八。俺達、将来、結婚したいと思ってる」
「えぇ?!」
 新八はひどく驚いたような表情を浮かべた。声を上げたまま、固まってしまっている。何の前触れもなく突然、婚約していることを聞かされたのだから、無理もない。自分達が恋仲であることさえ知らなかったのだから、当然の反応だ。
 銀時は新八の心の内を代弁するつもりで、言葉を継いだ。新八は何も言わずに黙って聞いていたが、その表情はしだいに険しくなってゆく。
「お前に理解してもらおうとは思っちゃいねーよ。普通に考えれば、今の俺達の関係はとても人に言えるモンじゃねーし、世間がどんな目で見るかなんて聞かなくてもわか――」
「銀さん」
 自分の言葉を遮るように、新八が声を上げた。続く新八の言葉は、自分への咎めであることには違いなかったが、自分が考えていたこととは全く別の理由によるものだった。
「僕は知ってるんですよ。銀さんがどれだけ神楽ちゃんを大切に思ってるか。神楽ちゃんがどれだけ銀さんを大切に思ってるか。そりゃ、神楽ちゃんはまだ十四歳だし、ちょっと早すぎるんじゃないかって思いましたよ。でも、なんで、おめでとうの一言も言わせてくれないんですか」
「「……新八」」
 なぜ、新八ならわかってくれるはずだと思えなかったのだろう。世間の常識にとらわれるあまり、新八自身に目を向けていなかった自分を、銀時は恥じた。
「世間がどんな目で見るかなんて、僕には関係ないんです。みんなが反対したとしても、僕だけは……」そこで一瞬、間があった。新八が視線を向けた先には、定春がいる。新八は強張った表情を穏やかな笑みに変えて、言った。「僕と定春だけは、何があってもアンタ達の味方です」
「わん!」
 定春が大きな声で鳴く。自分達を見る新八と定春の表情に、自分達は許されているのだと、祝福されているのだと、知った。
 神楽を見下ろすのと同時に、神楽が自分を見上げてくる。頬を桃色に染めて、照れたような笑みを浮かべる少女に、銀時は胸をくすぐられるような心地の中で、笑みを返した。


 自分達の関係は、万事屋三人と一匹だけの秘密となっていた。外で恋人同士である素振りは一切しないかわりに、万事屋の中では自由に互いの距離を近づけた。
 ソファに神楽と隣り合って座っているとき、銀時は何気なく少女の手をとって、手を繋ごうとした。特に意識していたわけではないのに、互いの指と指を交互に絡ませ合う繋ぎ方になった。巷では、恋人繋ぎといわれているらしい。
 人目を忍んで手を繋いだことはあるが、こうした繋ぎ方をしたことは一度もなかった。神楽にとっては憧れでもあったのだろう。少女は目を輝かせて、自分の顔と繋がった手を交互に見つめると、嬉しそうに笑った。
 余程気に入ったのか。ソファから移動するために手を離そうとしても、神楽は手を離してくれなかった。
「オイ、神楽。手ェ離せ」
「イヤアル」
 結局その日は一日中、手を繋いだまま部屋を歩き回ることになった。頬を染めて楽しそうに自分について回る神楽を見ていると、自分からも手を離せなくなってしまった。
 外では手を繋いで歩くことなどできない。せめてこの家の中だけでもそれを味わうことにした銀時は、手を繋いで街を歩く恋人同士を気取って、何度も廊下を往復してみたりした。
 新八から、「さっきから何やってるんですか?」とツッコミが入っても、部屋を行き来しすぎて目が回りそうになっても、それは続いた。新八は自分達の繋がった手を見て、「二人とも仲良しですね」と笑った。
 まるでこれまで我慢していた反動が訪れたかのように、神楽は自分の側にいたがった。新八が恒道館へと帰ってしまったあと。入れ違いで風呂に入り、眠るために和室へ移動すると、自分のあとを追って神楽が部屋の中へと入ってきた。その両腕には、枕が抱かれていた。
 同じ家に住んでいるのだから、自然と一緒にいる時間は多くなるが、眠るときはもちろん別々だ。恋人同士となった今、神楽は離れ離れになる時間があることに敏感になってしまっているのだろう。神楽は片時も離れたくないと思っているようだった。
 自分も同じ気持ちでいることに違いはなかったが、神楽の行動を受け入れることはできない。神楽はまだ子どもではあるけれど、女であり、今では自分の恋人なのだ。
 枕を持って佇む神楽の前に立ちはだかると、銀時は神楽を叱った。
「……ダメだ。男の部屋に、女が一人で入ってくんじゃねェ」
「なんでダメアルか? 前に私が眠れなくなった時は――」
 神楽の言葉通り、神楽とはこれまでに布団を並べて寝たこともあった。神楽が疑問に思うのも頷けるが、しかし、首を縦に振ることはできない。なぜ、今日は許してくれないのかと問う神楽の声は、しだいに小さくなり、語尾は掻き消えてゆく。
 少女に、急に女としての自覚を持てというのは厳しすぎるだろう。どうすれば良いのかを考えて、銀時は神楽が考えるきっかけを与えることにした。
「あん時と今じゃ、違うモンがあんだろ」
 恋人としてではなく、保護者としての声音となってしまったのは、無意識の中に、神楽の保護者としての自分がまだいるからだろう。
「……あ」
 神楽の顔が瞬時に赤くなる。反射的に神楽を抱き寄せようとする自身の腕を引き留めて、銀時は拳を握りしめた。
 神楽が俯くと、お団子に結われていない髪が少女の表情を隠す。どんな表情をしているのかは見えなくなってしまったが、神楽が理解してくれたことはわかった。
「わかったら、押し入れに戻れ」
「……ウ、ウン」
 神楽はおとなしく引き下がった。背を向けて和室を出ていく神楽を見送る。少女の姿が見えなくなってから、銀時は安堵の息を吐いた。
 日が暮れている間は、恋人としての立場よりも、保護者としての立場を優先させるべきなのだろう。神楽はそれを望んではいないだろうが、今の自分達にとっては必要なことだった。十四の子どもに向ける欲に際限がないことを、このとき銀時は思い知らされてしまった。
 この日を機に、夜は酒を飲みに行くことが増えた。意図的に増やしたといった方が正しいだろうが、それを悟られぬよう、人との付き合いで仕方なく飲みに出て行くフリをし続けた。
 夜、外へ出て行く自分の背中を見送る神楽の視線を感じる度。飲みに行くのをやめて、少女を和室へ連れ込みたくなる衝動を必死に押し止める日々が続いた。一度自覚してしまうと、知らなかった頃にはもう戻れず、銀時は神楽から距離を置くことに躍起になった。
 無茶な酒の飲み方をして記憶を飛ばしてしまうせいで、酔ったときの記憶はいつも抜け落ちている。毎朝、万事屋の玄関で目を覚ます度に、自分の身体の上にかけられた毛布を見て、「俺は一体何やってんだ」と銀時は自省を繰り返した。
 自分の身体に毛布がかけられていない日は一度もなかった。自分が帰って来るまで起きて待っているのか。それとも、自分が帰って来るのと同時に目を覚ますほど浅い眠りをしているのか。神楽に問うことなどできるはずもなく、夜の小さなすれ違いは互いの距離を生んだ。
 神楽も自分達の距離が離れていることに気づいていたのだろう。
 神楽と恋人同士になって二週間が過ぎた頃。朝、いつものように万事屋の玄関で目を覚ますと、毛布にくるまった神楽が、自分と同じように玄関の床の上で眠っていた。
 自分の手の甲には、神楽の掌が乗せられている。それは、自分達の距離を縮めようとする神楽の気持ちの表れのように見えた。その手を握り返そうとしたところで、玄関の扉が開く音に、銀時は顔を上げる。
「おはようございま――ちょっと二人とも! なんでこんな所で寝てるんですか?!」
 新八が目を丸くして立っていた。「風邪ひきますよ!」と、慌てて駆け寄ってくる。新八に促されて身体を起こすと、神楽がかけてくれた毛布が、腰のあたりまで滑り落ちてきた。
 神楽を起こそうか躊躇っている新八に、自分が起こすと目で伝える。あまり眠っていないだろう少女を起こすのは気が引けるが、銀時は隣で眠る神楽の身体を揺り動かした。
 少女の瞼がかすかに動く。目を擦りながら、神楽は起き上がった。
「おはよう、神楽ちゃん」
「……ん。おはようアル、新八」
「神楽、おはよう」
 自分の手の甲に乗せられていた方の少女の手を、銀時は手にとる。神楽は瞬きを数回繰り返して、自分を見上げてきた。少女の手を握りしめると、「おはよう、銀ちゃん」と神楽が笑う。玄関で寝ていたことなど、まったく気にも留めていないような声音だ。少女は、自身の寝心地などよりも、自分の側にいることを優先している。
「銀さん、神楽ちゃん。そろそろ支度しないと、仕事に遅れちゃいますよ」
 新八の声に我に返り、銀時は神楽の手を引いて、部屋へと戻った。
 朝風呂に入っている間、新八が朝食の準備を整えてくれていた。風呂から上がり、バスタオルで濡れた髪の毛を拭きながら部屋に入ると、テーブルの上には卵かけご飯と味噌汁が用意されている。
 まるでこの場面だけ毎日使い回されているような、いつもと変わらぬ朝の光景。
 ソファに腰を下ろすと、結い上げたお団子頭を整えながら、神楽が自分の隣に腰を下ろした。ソファに隣り合って座る神楽との距離に変化はないが、これまで気に留めていなかったこの距離が、急に気になりはじめる。
 自分と神楽の距離は二十センチ未満。見慣れているからだろう、新八からこの距離を問いただされたことはないが、傍から見れば近過ぎると思われてしまう距離ではある。
 朝、神楽が自分の隣で眠っていたことを銀時は思い出していた。和室で一緒に眠ることはできないのだと言い渡してからずっと、自分達が離れている時間を埋める方法を、神楽は探していたのかもしれないと思う。
 神楽の横顔を見つめながら、銀時は考える。自分と恋人同士になったからこそ、これまで押し隠していた、距離を縮めたいという願望を露わにしているのだと思っていた。しかし、思い返してみると、恋人同士になる前からずっと、神楽はこうして自分に一番近い場所にいようとしていたことがわかる。
「いただきます」と三人で口を揃えてすぐ、白飯を頬張りはじめた神楽に向かって、銀時は問いかけた。
「なァ、神楽。……お前、俺の側にいるのがそんなに好き?」
「そっ……そんなことないネ!」
 神楽は喉を詰まらせたときのように顔を赤くする。神楽は茶碗と箸を持ったまま、自分に背中を向けて、ソファの端へと移動してしまった。自分がソファの端に座っていたから、神楽との距離は大きく開いてしまう。
 自分の問いかけに返事をしないまま、神楽はご飯をかきこむように食べている。桃色の髪の隙間から覗く小さな耳は、いつの間にか真っ赤に熟れていた。
 自分と神楽を交互に見ていた新八が、「二人ともしょうがないな」と言わんばかりの表情で、神楽に言う。
「神楽ちゃん、銀さんがさびしがってるよ」
 新八の声に、神楽は箸をとめて言った。
「そ、そーアル! 銀ちゃんがさびしがるから、側にいるだけネ!」
 自分への問いに対する答えがこんな形で返ってきた。自分の側にいるのが好きだから、ではなく、自分がさびしがるから側にいるのだと言う。新八の言葉に助言を得ていることは明白だ。
 自分と恋人同士となってからの神楽は、これまで心の内で育んできた恋愛感情をまっすぐ自分へと向けてきた。だが、神楽の性格上、すべてにおいて素直になれるというわけではないのだろう。
 銀時は頭を掻いた。神楽の素直になりきれない部分を見せられると、どうにも照れくさい。
「ったく、素直じゃねーな。まァ、そんな所もひっくるめて好きなんだけどよ」
 自分の考えを口にしてすぐ、部屋に静寂が広がった。窓外のスズメの鳴き声が聞こえてくるほどの静けさに、銀時はふたりを見やる。
「どした、お前ら」
 問いかけると、今度は新八が頭を掻きながら言った。
「……銀さんでもそういう事言うんですね」
「あん?」
 新八の返事を理解するのに、五秒ほどの時間を要した。理解した途端、心臓が大きく脈を打ち、身体中の血液が顔に集まってくるような感覚に理性を奪われる。
「やっぱさっきの無しィィィィィ!!」
 一度口にした言葉は、消去できない。
 タイムマシンを呼びにいきたいところだが、現実的に可能な逃げ方を模索するほうが今は賢明だ。銀時は窓辺に駆けて行き、勢いよく障子窓を開いた。今すぐにでもここから飛び降りてしまいたいと銀時は思う。窓の外に身を乗り出そうとしたところで、背後から新八に引き留められた。
「ちょっと銀さん! 何やってるんですか!」
「ちょっと朝の散歩に行くだけだから! 気にすんな!」
 自分の腰に、新八の腕が巻きついた。強い力で引っ張られて、なかなか思うように窓の外に身投げすることができない。窓枠を掴んで腕に力を込めると、わずかではあるが、新八の力に対抗する力を得ることができた。あともう少しで新八の力から逃れられる、そう確信した瞬間、新八は後方に向かって助けを呼んだ。
「神楽ちゃんも手伝って!」
 銀時が背後を振り返ると、顔を赤くした神楽が立ち上がり、こちらに近づいてくる。今ここに神楽の力が加わったら、逃げ切れそうにない。焦りの汗が、額から顎にかけて勢いよく流れてゆく。
 神楽が自分に向かって手を伸ばすのが見えた。自分ひとりでは到底抗えない力で引っ張られてしまうのを覚悟する。ところが神楽は、想像していたものとは異なる引き留め方をした。
 自分の腰あたりの布がほんのわずかに引かれる。子どもがおねだりをするときのような仕草に、胸をくすぐられた。銀時は叫ばずにはいられなくなった。
「や……やめろォォォォォ!!」
 これまで味わったことのない感覚だ。未知の感覚に抗うことなどできるはずもなく、あまりにものくすぐったさに身を捩りたくなるその感覚は、身体中から容赦なく力を奪ってゆく。そして、とうとう神楽は、万事屋で最も手強い、大きくて白いあの犬に助けを求めてしまった。
「さ……定春ぅぅぅ!!」
「わん!」
 神楽に呼ばれた定春が、窓を壁ごと破壊する勢いで、背後から駆けてきた。「うわっ!」と三人同時に声を上げる。自分だけではなく、新八と神楽も巻き添えになり、床の上へと重なるように倒れ込んだ。衝撃と痛みが全身に走るのと、我に返るのは同時だった。
「僕達、何やってるんですかね」
「……まったくだ」
「……まったくアル」
 仰向けに転がったまま自分達の行動を振り返り、三人で顔を見合わせて笑う。定春が大きな尻尾を左右に揺らし、楽しげな声音で、「わん!」と鳴いた。
 時計を見やると、仕事に遅刻しそうな時刻になっていた。慌てて起き上がり、食事と仕事の支度を済ませて、三人と一匹で万事屋を飛び出した。


 遅刻間際だったが、辛うじて時間通りに依頼主の家へと辿り着く。仕事を終えて帰る頃には、空は赤く、地には濃い橙色が降り注いでいた。家の帰りに商店街に寄り、今日の夕飯は何にしようかと会話を交わし合いながら、店の前に出ているセール品を見ていく。その途中で、一組の男女とすれ違った。
 男と女は恋人同士らしく、指を交互に絡ませた手の繋ぎ方をしていた。街中の見知らぬ男女が手を繋いでいるのを見たところで、自分は見て見ぬフリをするだけだが、隣にいる少女は違った。
 神楽の視線は、その男女に向けられたまま、戻ってこない。自分を挟んで神楽と反対側にいる新八と目が合う。新八もどうやら、神楽の様子に気づいているらしい。
 神楽はその男女を羨むような目をしていた。
 銀時は頭を掻きながら、片方の手を少女の手に伸ばす。あともう少しで少女の手に触れる、その直前、銀時は我に返り、自分の手を引き戻した。
 自分が十四の少女と手を繋いだところで、世間の目には、自分達が恋人同士であるようには映らないかもしれない。だが、目の前を通り過ぎて行った男女のように、指を絡ませて手を繋ぎ合えば、自分達を見る世間の目は確実に変わるだろう。
 自分達は、世間の目に触れる場所で、恋人同士である素振りは一切できない関係だ。
 自分は周りからどう思われようと今更構いやしないが、神楽だけは周囲の好奇の目にさらしたくはなかった。
 今の自分達に許されている距離を保ち、踏みとどまっていると、新八が自分の様子を窺うように首を傾けてきた。新八は自分にひとつの提案をした。
「銀さん、久しぶりに丘の上に行ってみませんか?」
 新八の意図することがわかって、銀時は微笑む。
「……そうだな」
「神楽」と少女の名を呼ぶと、神楽の視線が自分達の元へと戻ってきた。「ホラ、行くぞ」と、少女を促す。家とは反対方向に歩きはじめる自分に神楽は首を傾げながらも、「ウン」と返事をして、自分のあとをついてきた。
 丘の上に辿り着くと、沈む夕陽が目の前に見えた。かぶき町だけではない、この江戸の町を一望できるこの場所は、自分達のお気に入りの場所だった。
 新八が両手を広げて、丘の頂上へと自分達を促しながら言う。
「ここなら、僕達しかいませんよ!」
「ああ」
 新八の言う通り、この場所には自分達以外誰もいなかった。今、ここで何をしようが、世間の目に触れることはない。銀時は自分の側に来るよう神楽を手招きした。戸惑うように左右を見渡す神楽の背中を、背後から近づいてきた定春が押す。予期できぬ衝撃によろめいた神楽を、銀時は抱きとめた。
「……銀ちゃん」
 そっと身体を離し、銀時は神楽の手を握りしめた。その手を自分達の目の前に持ち上げてみせて、神楽が羨むように見ていた男女のように、手を繋ぐ。
「外じゃはじめてだな」
「……ウン」
 俯く少女の手はわずかに震えている。まるではじめて手を繋いだときのように緊張しているその手を引いて、銀時は丘の頂上へと神楽を導いた。
 先に頂上へと辿り着いた新八が、自分達に向かって手を振っている。定春が尻尾を振って、自分達を追い抜くように頂上へと駆けてゆく。それを見た神楽が、今度は自分の手を引いて、頂上に向かって走り出そうとした。
「行こう! 銀ちゃん!」
 一瞬、大人びて見えた神楽の微笑に目を奪われる。銀時は少女の手を強く握り返して、丘の頂上へ向かって駆け出した。
 頂上に辿り着くと、大きな一本木に背中をあずけ、大木を取り囲むように三人で座り込んだ。神楽は目の前にいる定春の毛を撫でているうちに夢の中へと旅立ってしまい、今は自分の膝を枕にして眠っている。
 少女の額の上で、風に弄ばれている桃色の髪を撫でると、その様子を隣で見ていた新八が、少女を起こさぬよう気遣うような小さな声で呟いた。
「……銀さん、変わりましたね」
「そうか?」
 新八にそう返事をしながらも、銀時自身、自覚している変化はあった。その変化は、神楽の告白を受けたあの日をきっかけに、はじまったものだ。
「……恋人が――神楽ちゃんが、いるからですね」
「……そうだな」
 新八にそう答えながら、風に揺れている神楽の髪を指に巻きつけて遊びはじめる。悪戯されていることにも気づかず、安心しきった顔で眠る少女に、頬が緩むのをおさえられない。
 新八が吹き出すように笑った。
「どした?」
「銀さんでもそういう顔するんだーって思って……」
「そういう顔って、どんな顔だよ」
「……それは――」
 新八が言いかけてすぐ、膝の上で少女が小さく身じろいだ。 
「ン。……銀ちゃん?」
 指に巻きつけていた桃色の髪から指を離す。夜気の冷たさを含んだ風が吹き、神楽が小さなくしゃみをひとつした。陽は落ち、空の上には星が瞬きはじめている。
「そろそろけーるか」
 膝の上に頭をあずけたまま、自分を見上げてくる神楽に視線を落とすと、自然と少女と見つめ合う形になった。慌てた素振りで、神楽が自分から目を逸らす。少女の頬は赤い。
 一体自分はどんな顔で少女を見つめていたというのだろう。新八に答えの続きを乞おうとして、開きかけた口を閉ざす。今朝のように、逃げ出したくなるような答えが返ってきそうな気がした。