ディペンデンスディ
昨日、新八の誕生日に、神楽が地球へ戻ってきた。しかし、明日にはまた宇宙へ旅立つのだという。
銀時は、神楽とかぶき町を歩いていた。地球へ戻ってきた時には、いつもこうして地球でしか手に入らないものを調達していくのだ。
神楽の足が、馴染みの駄菓子屋の前でとまった。
「銀ちゃん! 銀ちゃん! 酢昆布、何個買っていいアルか?」
「テメーで買え。クソガキ」
「ケチ」
「んだとコラ。……五個までな」
銀時は、財布の中に五百円玉を見つける。気が進まないのだという風を装って、買ってやることにした。
五個もあれば十分だろうと思っていたが、神楽にとっては不十分であったらしい。
「おばちゃーん、十五個アル!」
「オイ。お前、なんで十個も増やしてんの?!」
「あとの十個は自分で買うネ」
神楽は、自分で稼いだ金で買うつもりなのだろう。
自分ひとりで生計を立てていけるのだと、自分ひとりで生きていくのだと、遠まわしにそう告げられたような気がした。
「おばちゃん、あと十個追加な」
「なぬ!! おばちゃーん、あと十個追加アル!」
ふたりして子供に戻ったように競い合う。
財布の中身と相談するのも忘れて、個数を上乗せしていく度に冷汗をかくが、銀時はこの時間を楽しむことを優先した。
駄菓子屋の女主人は、笑いながら酢昆布が詰められた箱を宙に浮かせた。
「おやおや、残念だったね。今、ここには二十個しかないよ。銀さん、二千円」
「おう」
財布から二千円を取り出して差し出すと、神楽が物珍しいものを見るような目でこちらを見ていた。
「銀ちゃんが、買ってくれるアルか?」
「たまにはな」
「きっと、雨が降るネ」
神楽の視線を感じながら、銀時は神楽を見ずに言う。深い意味は、持たないはずだった。
「そんときゃ、またお前の傘に入れてもらうよ」
ところが、そう口にした途端、銀時の脳裏はあの日の記憶を再生しはじめてしまった。神楽もそれは同じだったようで、町の喧騒と相反する沈黙が、互いの狭間に降りる。
「はい。じゃあ酢昆布二十個ね。神楽ちゃん、また来てね」
「ウン!」
静寂はすぐに喧騒にとけるが、一度共有したその時間は、忘れられることはない。
神楽が酢昆布の入ったビニル袋を受け取ったのを横目で見て、銀時は踵を返した。
ふたり、再び並んで歩きはじめる。次に行く場所はない。このまま万事屋に帰ることになるのだろう。
立ち並ぶ商店街の店を、何とはなしに眺めていく途中で、銀時は小さな店の前から視線を逸らせなくなった。
目の前に、あのウェディングドレスの飾ってある店がある。
あの時、自分はちらりとしか見ていなかったが、視界の中心にそれを入れて、銀時はそれを眺めた。
純白の眩しさに目の眩みを覚えながら、銀時は想像する。
神楽が、この衣装を着る日のことを、考えた。彼女の隣に誰がいるのかはわからない。だが、神楽が誰を望んでいたのかを、銀時は知っていた。
神楽を見やれば、意識してその店を視界から遠ざけているのだとわかる素振りで、下を向いて歩いている。
転ぶから前を向いて歩けと、いつもの自分ならば言っているところだが、昨日の神楽の言葉にそれを引き留められた。
彼女の言葉を否定するつもりは毛頭ない。彼女はもう、自分の足で、自分の意思だけで、立って、歩いてゆける。
まだ早いのではないか。という思案の底に、こうなる日など来てほしくなかったと願った心がある。
転んだら、そっと手を引いてやりたい。どんなものからも、自分が護りたかった。その日々が続くことを、望んでいた。
互いに何も口にせず、その店の横を通り過ぎる。通り過ぎるほんの一瞬、ガラスに映る神楽と、ガラスの内にあるドレスが重なり、銀時は思わず目を逸らした。
明日の出発時刻が早いため、万事屋に辿り着き、晩御飯を食べ風呂に入ると、神楽はすぐに押し入れへと向かってしまった。
「銀ちゃん、今日は酢昆布アリガト」
「お、おう……」
今日、最後に交わした言葉は、神楽にしては珍しい素直な言葉だった。どう反応すればいいのか咄嗟に思い浮かばず、頭をかきむしっていると、神楽は小さくひとつ笑って、押し入れの内へと入っていった。
銀時はなかなか寝付くことができなかった。部屋の電気はつけていなかったが、部屋の間取りを浮かび上がらせるほど、月の光は明るい。
明日、神楽は宇宙へと旅立つ。次はいつ帰ってくるのだろう。もう、帰ってこないかもしれない。
自問自答を繰り返しているうちに、日付がかわったことを時計が知らせた。銀時はまだ寝付けなかった。
何もすることはなく、ただ、何もしていないとひどく落ち着かなくて、隣の部屋へと向かった。
夏だから、押し入れの襖は開けられたままだ。下の段には、窮屈そうに体をおさめた定春が眠っていて、自分の足音を聞き取っているのだろう、耳をかすかに動かしていた。
上の段には、神楽が眠っている。
音を立てないように、銀時は押し入れへと近づき、神楽の寝顔を見つめた。
そこには、少女のあどけなさを残してはいるものの、女の寝顔があった。
涎を垂らすことも、歯ぎしりを立てることもない。すやすやと心地よさそうな寝息だけを立てて、睫毛の長さを際立たせながら、静かに眠っている。
月の光によく映える真っ白な肌にひかれるように、銀時はそっと神楽の頬に手を伸ばした。
彼女はわずかに瞼を動かしたが、目を覚ますことはない。
――これまでずっと抱き続けてきた感情を、銀時はこの時はっきりと自覚した。
護りたいと思っていた。それは、父親や兄が、娘や妹に対して抱く感情に近いものだと思っていた。
しかし、神楽がこの場所から去ってしまって、自分の手で護ることができなくなった。
父親や兄ならば、それを彼女の成長として受け入れることができるのだろうが、自分はそうではなかった。
いつか、自分の元を離れ、どこかへ嫁いでゆく未来を受け入れられる肉親とは違う感情を、確かにこの胸に積もらせていたのだ。
誰にも、渡したくはない。
「……神楽」
名を、呼ぶ。神楽は起きない。
あの日。神楽が自分の寝たフリに気づいたように、銀時には、今、神楽が本当に眠っていることがわかっていた。わかっていなければ、到底口にはできないその言葉を、言うことなんてできやしない。
子どもが駄々をこねるように、起きたばかりの赤ん坊が泣きわめくように、何の偽りのない本心を、少女が曝け出したあの日の言葉。その言葉に対する応えを、銀時は今、確かに胸に抱いている。
『嫁になんかいかないモン』
「……嫁になんかいくな」
翌日は、快晴だった。
朝のラジオ体操から帰ってきた神楽は、卵かけご飯を食べると早速旅立つ支度をはじめ、新八が万事屋に顔を見せると、颯爽と玄関へ向かっていった。
毎回、この光景に変化はない。ターミナルまで見送ることを誰もが望むのだが、神楽はいつもこの場所で「いってきます」と口にして去ってゆくのだ。
「じゃあ、そろそろ行くネ。銀ちゃん、新八、定春」
玄関の扉を開き、神楽が外へ出ようとする。太陽の光が作り出す、白い光の中へ進んでいこうとする神楽に、銀時は心が急いた。
もう、帰ってくるつもりはないのかもしれない。神楽の背中が、震えていた。
「……神楽!!」
銀時は、彼女を呼びとめた。
声の強さに、肩を震わせた神楽が、ゆっくりとこちらを振り返る。
「……銀、ちゃん」
泣き出す前の顔。震える声が、銀時を突き動かした。
最初から答えはひとつで、迷うための選択肢などありはしないのだ。
「……次は、いつ帰ってくるんだ?」
「「え」」
神楽だけではなく、新八までもが驚いた声を上げた。
無理もない。今まで一度として、問うたことがなかったのだ。
帰りを待っているという意思表示をすることに等しいその問いかけは、自分の心の中にあった箍を完全に取り去ってしまった。
神楽は、一瞬だけ泣きそうに顔を歪めて、笑った。遠くにあった光が、近くへと、戻ってくる。
「十月。……十月には帰ってくるアル」
「そうか」
「いってきます」
「ああ」
玄関の扉が閉じられるのと同時に、新八がこちらを見上げてきた。
「……銀さん」
「……何だよ」
「いいえ~なんでもないです」
眼鏡の奥にある瞳が細くなり、一度瞼の内に隠れると、そのまま方向転換をした。
鼻歌を口ずさみながら、新八は部屋へと戻ってゆく。その途中で、新八はさり気なさを装いながら告げてきた。
「十月は、銀さんの誕生日がありますね」
「あ? そうだっけ?」
