インディペンデンスディ



 新八の誕生日に合わせて地球へ戻った。
 宇宙船の到着時刻の遅延で、スナックお登勢に着いたのは午後八時を過ぎていたが、当日中に祝うことができて神楽はほっとしていた。
 長く、地球に戻っていなかったけれど、会えなかった時間を感じさせるような、ぎこちなさはない。
 午後十時を回ったところで、誕生日会はお開きとなった。
 皆を見送り、万事屋へと戻る。銀時は先に戻っていた。もうすでに眠っているかもしれないと思ったが、逸る気持ちをおさえきれず、神楽は音を立てて階段を駆け上がった。
 玄関の扉を開き、靴を脱ぐ。目の前に広がる懐かしさに胸が沁みた。
 廊下を歩き、彼が酒に酔っ払っている時はいつもソファで寝ていたことを思い出して、部屋へと向かう。
 涼やかな風鈴の音が耳に優しい。暑さを実らせる八月は、それでも夜には静寂と、ほんの少しの冷めた風をここへと運んできた。
 銀時は、ソファの上にはおらず、事務机に両足を乗せて椅子に座り、窓の外を見つめていた。月の光が、彼の銀髪を反射させている。
「ただいまヨ~」
 言っていなかった言葉を思い出し、神楽が口にすると、銀時はこちらを振り返って「おかえり」と言った。その一言を聞くだけで、この居場所にまた帰ってきたことを実感する。
 定春が様子を窺うようにゆっくりと近づいてきたので、神楽はその大きな白い体に飛びついて身を寄せた。
「定春ぅ~いい子にしてたアルか? 銀ちゃんにいじめられたりしなかったアルか?」
「ワン!」
 定春の首にしがみついて、神楽は頭を撫でる。気持ちよさそうに目を閉じた定春に、そろそろ眠る時間であることを思い出して瞼を重くしていると、小さな物音がした。銀時が立ち上がった音だ。
 その音に定春が銀時の元へと歩みはじめたので、神楽は定春を目で追った。
 定春は銀時と一緒になって、ぼんやりと月を眺めている。自分が地球を離れている間の夜、こうして一人と一匹でいるからだろうか。定春は随分と銀時に懐いていた。
 神楽は銀時の隣に立つ。少しは自分の身長も伸びたかと思っていたが、隣に並んで立つとあまり変わっていないことがわかる。
 銀時は神楽を見ずに言った。
「髪、切ったんだな」
「……ウン」
 彼に関心を持たれたことが、神楽には嬉しかった。首の周りで風に弄ばれている髪を、神楽は撫でる。
「似合わないアルか?」
「んなことねーよ」
「じゃあ似合うアルか?」
 銀時が右頬に月光を受け、こちらを初めて見た。
「……随分と短くしちまって。またガキに逆戻りだな」
 長く伸ばし続けていた髪を切って、幼さが増したのだと言いたいのだろう。神楽は、銀時と正面で向かい合った。
「そういう銀ちゃんだって、ちょっと見ない間にオッサン臭くなったアル!」
「なんだとコラ」
 両頬を彼の掌に捕えられて、神楽は眉をひそめた。自分達の間に流れる空気も、関係も、何もかも、まったく変わっていない。あの頃のままだ。しかし、彼との距離は離れてしまった。互いに触れることも、減っていった。
 それはひどくさびしいが、自分が子どもではなくなったからなのだと、神楽は知っていた。
 口元をもごもごと動かしながら、神楽は言う。
「もう、ガキじゃないアル」
 頬を掴む銀時の手に込められた力が、零れ落ちたのを感じた。
「わかってるよ。んなこたァ」
 そうして、銀時の手に、そっと頬を撫でられてゆく。たった一度きり。頬から手を離すための所作を、それにかえた銀時の心がわからない。
「……銀ちゃん」
 問いかけるのではなく、ただ名前を呼んだだけだが、銀時は動揺のようなものを一瞬その顔に走らせて、また自分に背を向けた。
「今度は、いつまでここにいるんだ?」
 白い背中を、神楽は見つめる。いつ帰ってくるのかは聞かないのに、いつまでいるのかは毎回聞いてくれるのだ。
 別れを惜しんでくれているのだと、自分の都合のいいように解釈しても、きっと罰はあたらないだろう。
「明後日……。明後日には、また行くアル」
「――そうか。今日はもう疲れたろ。早く寝ろ」
「……ウン」
 銀時の背は、何も語らないかわりに、今日はもう振り向くつもりはないのだと態度でそう示した。
 神楽は押し入れへと向かう。そのあとを定春が追ってきた。
「……神楽」
 名前を呼ばれて、神楽は振り返った。
「……」
 銀時は背中を向けたままで、あの頃のように、教え諭すような声音で言った。
「階段は駆け上がらずゆっくり上れよ。じゃないと転ぶぞ」
 銀時が何を言わんとしているか、この時、神楽にはわかった。
「転んでも良いアル。……ちゃんと、自分で起き上がるから」
「そうか……そうだよな」
 銀時の声にさびしさが混じり、神楽は固く目を閉じる。――これで良いのだと、こうあるべきなのだと、神楽も銀時に背を向けた。
「おやすみ。銀ちゃん」
「ああ、おやすみ。……神楽」
 部屋を出る。万事屋に零れ入る月の光に足元を照らされながら、神楽はもう一度、自分の短くなった髪を撫でた。
 ――すべてを失う前に、断ち切ることを選んだのだ。