二度目の恋はいらないと、少女は言った






 神楽が万事屋を旅立ってから、約二年の月日が流れた。
 一時期は帰ってこないのではないかと心配していたが、エイリアンハンターとしての仕事のスケジュールに左右されながらも、休暇を得る度に、神楽は万事屋に戻ってきていた。
 一カ月以上帰ってこない時もあれば、一、二週間で帰ってくることもある。ところが、あらかじめわかっているのだろうその日付を、神楽が銀時に告げたことも、銀時が神楽に問うたことも、これまで一度もなかった。
 八月十一日。新八は二十歳の誕生日を明日に控えていた。二日間の休日を得た姉の妙と、道場の和室で茶を飲みながら話をする。
 とりとめのない話をしているうちに、明日の話になった。
「明日は新ちゃんの誕生日ね」
「はい」
 銀時と神楽に出会ってから、四年という月日が流れていたことに気づかされる。もうそんなに経ったのか、と思うのと同時に、もっと昔からふたりのことを知っていたような、もっと長くふたりと一緒にいたような、そんな気がしていた。
「誕生日会、夜の六時からだったかしら」
「はい。お登勢さん達がごちそう作ってくれるって言ってました」
 万事屋の階下。スナックお登勢で、明日、自分の誕生日会を開いてもらえることになっている。
 明日会える馴染みの面々の顔を思い浮かべながら、新八は久しく会っていない少女が今どうしているのかを考えていた。
 妙も同じことを考えていたようだった。
「……神楽ちゃんは、戻ってこないのかしら?」
「……仕事、忙しそうですからね。わからないです」
「いつ帰ってくるか、聞いてないの?」
「……はい。実は――」
 言いかけた言葉を、新八は飲み込む。
 銀時の意思でもあるそれを告げることは、戸惑われた。
 なぜ、聞かないのか。理由は、この二年という時の経過が、教えてくれた。
 ――銀時は、自身で用意した選択肢の狭間で、迷い続けている。
「ねェ新ちゃん」
 湯呑を指で小さく叩きながら、妙が言う。
「銀さんと神楽ちゃんって、本当に何もないの?」
 新八は頷いた。顔を上げると妙と目が合う。姉が胸に抱いている疑問が、自分のそれと同じであることに、新八は気づいた。
「……あ、でも、最近、二人ともますますよく似てきたような気がします。一緒にいると似てくるっていうけど、本当なんですね」
 再会を繰り返す度、銀時と神楽は、互いに近づこうとでもしているかのように、よく似てきた。
 一緒に暮らしていたあの時間が、ふたりの胸の内でずっと輝いているからでもあると、新八は思っている。
「そう……」
 妙は目を細めた。明日で二十歳になるというのに、姉と弟という関係はいくつになっても変わらないのだと、そう思わせてくれる優しい目だった。
「『うるせーのがいなくなって、せいせいするァ』とかなんとか言ってますけど、銀さんも、なんだかんだ言って、神楽ちゃんがいなくなってさびしいんですよ」
 最近では、銀時が神楽へ向けている言葉もただの強がりにしか聞こえなくなっていた。
 神楽が出発する時、自ら先に背を向ける銀時のその行動も、神楽が去ってゆく姿を目に入れないためにそうしているようにも見えてくる。銀時も、神楽も、根はさびしがり屋なのだ。
「どうして、言えないのかしらね」
「……姉上?」
「どうして、言わないのかしら」
 揺れる茶の湯に向けられている妙の瞳は、いつになく真剣だった。
 新八は、姉の言葉の意味を考える。
 銀時と神楽の関係は、揺らぐことのない曖昧さのなかで息づいていた。
 いつ帰ってくるのかと問わない銀時。いつ帰ってくるのかを告げない神楽。なぜ、そうしているのかをおそらくは互いにわかっている。そんなふたりの間に垣間見えるもろさは、年を経るごとにますます顕著になってきていた。
 神楽が宇宙へと旅立つ前。銀時は、妹や娘を見るような目で、彼女を見ていたと思っていた。保護者の立場に近い目でしか見ていなかったと思っていた。
 しかし、今、銀時が彼女をどんな目で見ているのかは、新八にもよくわからない。ただ、彼は、これまでもこれからも、変わらない、言えない言葉を、その背に隠し続けようとしているように思えてならなかった。
「……素直じゃないからなァ……」
 新八の呟きの余韻は、すぐに派手な音にかき消された。穏やかな姉の表情に不釣り合いな音が、湯呑の横で存在を主張する。
「ちょっと早いけど……私からの誕生日プレゼントよ。新ちゃん」
 卓上に置かれた大きなボトルを見て、新八はすぐにそれが酒だとわかった。それもかなり値の張る酒だ。
「ありがとうございます! 姉上!」
 どのようにしてこの酒を手に入れたのか。想像しただけでも恐ろしく、聞くのも憚られたが、姉の気持ちが新八には嬉しかった。
「……新ちゃん」
「はい」
「……お酒の力が必要になる時もあるわ。いつか、腹を割って話をしたい相手が出来た時のために、とっておきなさい」
 酒のボトルを受け取る前。妙の年相応に落ち着いた声を、言葉を、新八は胸に刻んだ。






 八月十二日。
 スナックお登勢には見知った顔が集まり、新八の誕生日を祝い、飲んで食べて騒いでいた。時折、お登勢の静かにしろという叫びに一瞬静まり返るが、すぐにまた元に戻ってしまう。新八も気分よく酔っ払い、カラオケセットの前に立って、寺門通の歌を歌いながら、羽目を外してはしゃいでいた。
 午後八時を回った頃だろうか。騒がしい店内に、扉の開く音。新八は、マイクを持ったまま、後ろを振り返った。驚きのあまりマイクを落としてしまい、不協和音が響く。
「……か、神楽ちゃん?!」
「新八、お誕生日オメデト!」
 彼女は、新八がひどく驚いたことに満足気に笑う。
 周りも一斉に彼女に驚きの表情を向けたが、神楽は落ち着きなくきょろきょろと周りを見渡しはじめていて、それに気づかない。
 誰を探しているのか、新八にはすぐにわかった。銀時の居場所を告げようとしたところで、酔いのせいか、あまり呂律が回っていない長谷川が、手をひらひらとさせながら神楽に声をかけた。
「お、嬢ちゃん。久しぶりだなァ。髪、切ったの?」
 誰もが気にしていたことをストレートに言う長谷川に、隣にいた桂も便乗した。
「久しぶりだな、リーダー。なかなか似合っているぞ、その髪型」
 神楽は伸ばしていた髪を切っており、いわゆるショートヘアといわれる髪型にしていた。団子にした髪をおさめる彼女のトレードマークともいえるボンボリも、その桃色の頭には乗っていない。
「シツレンデモシタノカ」
 失恋したあとに女性が髪を切るという話を思い出したのだろう、キャサリンが聞く。彼女にしては珍しく、その声には心配するような響きがこめられていた。
 神楽がずっと髪を伸ばし続けていた理由に、なんとなく気づいている者は多い。神楽が宇宙へ旅立つ前、大人らしく見えるようにと背伸びする神楽の姿は、周囲の人間に微笑ましく映ったものだった。
「嬢ちゃんを振るなんて、そいつは全然わかってないな。なァ~ヅラっち」
「ああ。リーダー、気にすることはないぞ。人生長い。また、いい男が見つかるさ」
 すっかり失恋を前提に話を進めている酔っ払いの男達の顔を、神楽は呆れたように見ていたが、桂の言葉に、神楽は目を細めて笑った。
「次はいいネ」
 これまでに見せたことのないような笑顔で、何もかも振り切ったような笑顔で、神楽は言う。
「――次は、いらないネ」
 しんと静まり返った店内に、再び扉の開く音。
 扉の向こうにいる銀時と神楽の目が合ったことに、新八は気づいた。
「こんないい女を振るなんて、その男の面を見てみたいもんだな。なァ~ヅラっち」
「ああ! まったくだ!」
 神楽はすぐに長谷川と桂に向き直り、否定の言葉を連ねた。
「なーんて嘘アルヨ! 宇宙一のえいりあんはんたーの私が振られるワケないネ。えいりあんのドロドロが髪にくっついてとれなくなったから切っただけアル!」
「「あ、そうなの?」」
 神楽が髪を切った本当の理由は、元の穏やかな空気の中に酒の香りとともに漂い、わからなくなった。
 しかし、彼女は幾重にも積み重ねられた感情の行く先を見つけたのだろうと新八は思った。ほんの一握りの、ずっと彼女が胸に抱えていた本音の言葉は、確かにこの場で告げられたのだ。
 ふとカウンターで酒を飲んでいた妙と目が合う。きっと同じことを考えているのだろうと、新八は思った。