送り火








「エジプトに行こう」
 目の前の青年は柔らかな表情で、衒いもなく言ってのけた。
「……藪から棒に、何を馬鹿げたことを」
 鼻で笑おうとして失敗した海馬を、遊戯は微笑ましいものを見るような表情で見ている。
 外は湿度の高い日本の夏だ。遊戯は、いつものように海馬の一時帰国に合わせて押しかけ、十秒前までのんびりと茶を飲んでいたはずだ。
 何の冗談だと叩き出してやりたかったが、向き合う相手の眼の光だけは海馬を刺すほど強く、遊戯は紛れもなく真剣だと知れた。
「もう何年になるのかな、」
ふ、と少し遠い目をして遊戯はいたずらを仕掛けるように笑った。
「知ってた?日本はお盆なんだよ、今。」
 死者がこの世に還ってくる時期なんだ。
 ぞわり、左手首を掴まれる感覚に肌が粟立った。
 最後にもう一人の遊戯に会ったのは、アメリカの社長室だった。
 異国とは空気が違う場所だと、そのとき海馬は柄にもないことを考え、不意に眩暈を感じた。寝不足の所為だったろう。
「海馬」
 声がしたと思った瞬間、半透明の腕に海馬は掴まれた。
 何故透けている。怒鳴りつけようとして出来なかった。
「海馬」
 遊戯は一言しか呼ばず、あとは無言で海馬を睨め付けた。そんな眼を、それまで海馬は見たことがなかった。海馬を貫き、暴くのに静謐をまとい、痛みを堪えるような、分かり易い憐憫や悲しみなどでない海馬の知らない感情を湛えて、そして消えた。手首に残った痣だけが現実だった。
 だから、そのときの遊戯が何を言いたかったのか、どういうつもりだったのか、海馬には今もって分からない。わからないからなのか、夏が巡るたびに付きまとう記憶は遊戯の手と目だ。それから灼けた砂の国の、水分を含まない熱風。
 遊戯。亡霊に惑わされて何年になる。
「君に、そんな表情をさせるんだね。もう一人のボクは今でも」
 その声に我に返ると、遊戯はいつのまにか海馬のすぐ目の前で海馬を見下ろしている。遊戯は妬けるや、と苦笑して海馬の前髪をかき上げた。
 触れる指がひどく熱かった。
「お墓参りに行こう。君はこのままだとずっと縛られたままで、だから向き合わなくちゃいけない。それに、そんな君を見るとぼくは辛い」
 あ、これは悔しいの間違いかな。呟いて遊戯は片膝をついて海馬に目線を合わせた。海馬が逃げないように、有無を言わせぬ力で手首を捕らえて。
 眼には、いくらかの必死さと決意とあとは海馬にはわからない感情が透けている。
 あのときの、遊戯に驚くほどそっくりだ。
 ただ、欲情の仄暗い色が、あの遊戯とはまるで違った。
 遊戯が言葉を発しようとする瞬間、圧迫された部分から伝わる、血液の流れる音を海馬は一際意識した。あの遊戯がどのように海馬に触れたか、忘れてしまう。
「ぼくは君が好きだ」
 その瞬間、膝から崩れてしまえればいい、とそのときだけ海馬はすべてを投げ出して弱く弱く、弱い生き物になった。あの遊戯に焦がれ彼を欲した自分を認めることができた。
「だから、ぼくを好きになって」
 効き過ぎた空調で冷えた身体の芯に熱が点った。胸の奥が眼の奥が痛い、熱い。
 葬りきれなかった恋が、ようやく死んでいった。










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