93 Stand by me |
「あーあ、またやっちまった」 誰に言うとでもなく、銀時がぼやいた。 何て言い草だ。 眠りかけていた桂は、階段を落ちる夢を見て現実に引き戻された。 出来るなら殴って情けない面にしてやりたい。そうしたら少しは溜飲も下がるに違いない。それが無理でも、腰の辺りをようやく覆っているだけの上掛けを引っ張り上げたい。 思うが身体が動かない。久しぶりの行為は予想以上に体力を奪って、泥のような眠りが襲ってくる。 抗えない。 まず、身体を起こさなければ。そのためには手を伸ばして。半睡半覚の状態はともすると眠りに桂を引きずり込む。抗えたところで、今の状況を白紙に戻せない。過去は過去でありつづける。 視界の右端に裸の背が見える。 背を向けて横たわったこの状況で振り向くには、桂のプライドは充分高かった。 銀時がぼんやりとしている気配が伝わる。半覚醒の桂に、その気配は現実を遠くさせた。 夢境で桂は記憶との間にたゆたった。 始まりは攘夷戦争の頃だった。 手を引かれた野営地の隅でいきなり伸し掛かられてあっさりセックスしてしまった。 先行きは全く見えず、切れるような極度の緊張が連続していた夜、酒に飲まれた。死んだに近いような今はそれが恐ろしくない、ふわふわした昂揚状態に初めて酔った。 そのとき、黙って銀時が桂の手を引いた。 熱い体温、少し汗ばんだ掌に、浮き上がっていく身体を地面に引き戻してもらえる気がした。 手を引かれたあの、何も知らずに少しのぼせた気分は、ばっさり切って捨てられた。 女を知らないでは無いがそういうことには疎かった桂が、酔いも手伝ってただ見上げているうちに、銀時は手早く桂の帯を解き抱き込んだ。 麻痺した頭の片隅で、素直に与えられる快感を追ってしまったのが拙かった。 後はもうなし崩しだ。 「ヅラァ、風邪に注意しろよ」 低く掠れた声でそれだけ残し、身動きできない桂を放って銀時は去ってしまった。 それからも度々、銀時は女が近くにいないときに欲情したら桂を引っ張り込んで抱いた。大半が神経が高ぶってどうしようもないときの処理だ。 事後の、やる気のなさは銀時の常だと知った。 何にそこまで自分は憤っているのだろう。 半覚醒の意識は、容易く次の場面に飛んだ。 注意を向けてみると、銀時は坂本のことは容赦なく引きずり回しているが、実はあまり他人の身体に触れない。キャバクラだとか遊郭だとかに坂本と出かけているにも関わらず、馴染むほどに桂も抱いた。なまじ、他人を気持ちよくする術には長けているから性質が悪い。やるからにはそれが礼儀だとでも思っているのだあの男は。大抵、絶望的な死地に挑む前だとか生きて戻った後だとかは、桂も鎮まらず持て余していたから拒めもしなかった。 結局銀時がすべておざなりにして去って行ったのを機会に、桂は銀時に関わることすべてに蓋をしてもう忘れた。 咽喉が鳴った。銀時が水を飲む音だ。 夢と現が交錯する。 まさかもう見ることも無いと半ば存在すら失念しかけていたところに再会して、懐かしさも手伝いまっさらな関係を築く気分で調子にのって銀時をたずねたのが、間違いだった。 その後、ふらふらやってきた銀時に潜伏先を知られてしまったのも大間違いだった。 散歩がてら桂の居所にやってきて、勝手に来て勝手に帰っていく。 昔とはかけ離れた気詰まりな無言を、あろうことか銀時本人が作り出すものだから桂は呆れて放置していたが、今日は触れた手が熱かったから拙いと思った。やり方がずっと手馴れていた。 「ヅラァ、寝てんの?」 いつの銀時が言ったのか分からない。今は攘夷戦争の途中なのか。 さっきのふざけた声は謝罪というにもぼやきというにも何か違う。銀時を理解できた試しなどない。 「おまえ昔っからすぐ寝んのなァ」 ちゃぷん。ミネラルウォーターが跳ねる。 「アレか、俺そんな激しい?」 身体が宙に浮いているようだ。床が抜けて落ちてゆくどこまで。 「ヅラァ、無視すんなよ」 「おへはぁねむい。ふぁっふぁっとかぁれ。……。俺は眠い。さっさと帰れ、もう朝だ」 夢現で答えると、意味のない寝言にしか聞こえず、桂はやや明瞭に言い直した。 銀時が苦笑した気配が伝わってきた。 しばらく、部屋から動きが絶えた。見下ろされている。 遠慮ない視線を背に受け、桂は目を固く瞑った。もう十年前とは隔たりすぎた。銀時が何を思おうと、自分も流されてしまったのだから、言えた筋で無い。大体、十年も昔のことなど、今更。 「またやっちまったなァ、」 奇妙に柔らかい響きが室内に波紋のように広がった。桂は目を見開いた。 銀時はつい昨日のことのように言ってのけた。 かっと隠しようもなく汗が滲む。そこに銀時が唇を寄せ、耳たぶを甘噛みされた。思わず背を反らせた桂の肩を銀時は押さえつけた。 「もう一回やらして」 甘えた声で囁く。 ペットボトルがころころと部屋の端に転がっていくのが視界の片隅に映った。その先で火の消えた行灯が朝の部屋で薄明るい。 わずか心を奪われた間に銀時の手が下半身に伸び、桂は天井を仰いだ。 |