84 鼻緒








 おかしかった。
 銀時は無言で高杉の足元に跪いた。
 無駄なものが削げ落ちた肩が、重心を傾けて立つ高杉の膝より下で柔らかく蠢いた。
 あの頃より、肩幅は広い。よく片手で掻いていた血糊で赤黒く固まった髪は、今白く光りふわふわと高杉のすねをくすぐっている。
 そして橋の下の、昼でも宵と変わらぬ暗がりの中で銀時は躊躇なく高杉の左足を舐めた。痛みはぴり、と裂くように走ったが、そんなことは大したことでなかった。遇うはずがなかった。ここは江戸ではない。そしてあの騒ぎからまだ三日と経っていない。己がだらしなくはだけた女物の単衣の合わせが鎖骨に当ってひどく煩わしい。
 ホームレスが段ボールで家を建て、また箪笥の中に住む川べりは、今はまだ一日で一番暑い。葦が茂って蒸していた。橋の影から出れば汗が肌に塩を残して乾くような夏の真昼だ。
 銀時は、高杉を見上げないままもう一度ぺろりと鼻緒ずれのできた箇所を舐めた。饐えた磯の匂いが水面から漂って二人を取り巻いた。対岸では夕暮れになれば安い遊女が立つ。
 陽射しを避けようと立ち寄った橋の下には先客がいた。銀時があぐらをかいて、棒アイスを齧っていた。口の端を上げて片笑んだ銀時は、そして足を止めた高杉に猫のように近づきその目の前で再び跪いたのだ。
 歩いて移動している。いくら神経質な高杉だとて、半日歩けば爪に砂も埃も入っていよう。銀時は構わなかった。甘ったるい粘りを含んだ唾液がめくれかけた皮を剥いで、
「神経質が放っておくんじゃねえよ」
似合わない優しい声が言ってのけた。
 何を考えていやがる、と反射的に言いかけた塊を高杉は呑み込んで嚥下した。舌が蛇のようにちろつき、目は常温のまま対象を遮断していた。
 分かりきった事を問えば、間違いなく高杉は死んだ。銀時の中から、少年時代の頬の丸みが鋭角に引き締まる、その自然な時の流れに則るがごとく、切り捨てられた。
 からん、と引き抜かれた下駄が投げ捨てられて鳴った。
 くるぶしを舐められ右足だけで平衡を保とうとしたが、草は残った下駄の歯を噛んで後ろに滑った。
 思わず銀時の肩口を掴み、高杉は橋げたに身体を打った。そのままずるずるとそこに身を預け、太陽を見上げ、目を閉じた。瞼の裏で、色彩が乱舞する。
 赤、青、緑、紫。黄色。黒。
 それを追いかけ眉根を寄せるうち、丹念に、血の滲んだ指の隙間を吸い、白髪の男は姿を消した。音を殆ど立てない密やかに地を行く足取りだった。
 葦の一群が、また蒸れた草いきれを吐き出す頃、高杉はやっくりと流れる水に人口甘味料で固まった足を浸した。ざあざあ落ちる水しぶきを感じ、笑い転げそうになるのを堪えれぱ人の悪い笑みが浮かぶ。
 さっきのは俗に言う、仕返しというやつだ。





初銀高。かなり前に書いてもういろいろアウト、なので出しちゃえ、と勢いで。


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