62 オレンジ色の猫 |
今、沖田は土方に手を引かれて病院に向かっている。流行性感冒の予防接種に連行されるのだ。 屯所に近藤が医者を呼んだ日、沖田は一日出かけて夜遅くまで帰らなかった。 土方は呆れて怒り、暇な隊士たちを動員して捜索したが、沖田は鬼ごっこに勝ち、結局病院が閉まる時刻まで帰らなかった。 今日も昼時逃げようとしていたところを、土方に首ねっこを掴まれて今に至る。 「ったく、手間かけさせるんじゃねェよ。この忙しい時期に」 「だったら他の奴らに任せればいいじゃないですかィ」 未練がましく減らず口を利いた沖田に対し、 「そしたらてめぇは逃げるんだよ」 土方はにべもなく答えて歩調を速めた。引っ張られるのもいいかと沖田は思ったが、隊服の自分を考え、仕方なく早足になった。 「土方さん、土方さん!焼きいもだ!買ってくだせェよ」 離してくれず繋いだままの土方の手を、石焼いもを売る声を近くに聞きつけて、沖田は強く引いた。 「あァ?」 眉を顰めて土方が振り返る。その後ろに冬の日の太陽を見てしまい、沖田は目を逸らした。 残像が残って沖田の視線の先、土方の喉や顔に緑や紫の輪が重なる。午後に、淡い光線はもう翳りを見せ始めているせいか、すぐに視界は暗さを払拭した。 「注射が先だ、後にしろ」 土方は予想通り切って捨て、沖田の二の腕を抱えて歩き出す。その手からするりと抜け出、沖田は後ろへ一歩退いた。土方の足元からは、長い影が伸びている。軽トラの呼び声は近くなり、前方の辻から停車した軽トラの影が届きそうに近づいた。 「一回見逃すとなかなか次は捕まらないんでさァ、」 背中に言い募りながら、ふと、ついさっきまで自分に触れていた指に噛みつきたい、と思った。 すると、滅多に暴れない鼓動が速く打った。 土方が焼きいもを買わなければ。 下駄を蹴り上げて占う天気のような、明快な賭けを沖田は心に決めた。 短い日脚の中で、街の空気は急いている。忙しない往来に立ち止まったままの沖田を振り返り、土方は苦りきった表情で胸元の煙草を探った。何かを許すときの癖だ。 「……勝手に買ってこい」 「あいにくと、誰かさんのせいで小銭持ってねェんです」 沖田はわざとらしく両手を広げた。 土方が焼きいもを買わなければ、土方をどうにかしてしまおう。 「土方さん、焼いもくらいおごってくれてもいいんじゃないですかィ」 「焼いも焼きいもうるせぇよ。そんなに食いたきゃアレだ、屯所の庭でも掃除して焚き火しろ。屯所も綺麗になって一石二鳥じゃねェか」 のどが渇く。私服ならマフラーで首を絞めたい、とそのとき沖田は欲望を自覚した。 同時に、土方は焼きいもなど、我侭に付き合っては買わないだろうとも思った。 土方は煙草に火を点け、ひとつ息を吐いた。 唇に意識が吸い寄せられる。たとえば、不意打ちにキスしたら。 目を見開く土方を想像すると、その顔をそのまま苦痛のような快感に歪ませたくなった。 固く窄まる入り口に、指の腹で溶けるジェルの塊を押し当てたなら土方の背が跳ねるだろう。収縮する筋肉の流れをなぞって、声さえ上がらないまで、幾度も射精させてぐったりさせたい。 ふと視界が明るくなった。影が遠ざかったのだった。 はっと現実に立ち戻ると、土方はトラックに歩み寄り、焼きいもを買っていた。 沖田はまじまじと凝視した。信じられない。 「ったく仕方ねェな」 新聞紙にくるまれて湯気を立てるいもをぞんざいに沖田に向け、土方は寒そうに首を竦めた。ちらと覗く項が、やけに血の通った肉を感じさせた。 「食いたかったんだろ」 重ねて言われ、沖田はのろのろと礼を言った。受け取ったいもは火傷しそうに熱く、土方の手は冷たかった。 沖田は猫舌を無視して、齧り付いた。口いっぱいに頬張ると火傷しそうな熱さに涙が溜まる。 「総悟?」 訝しげに問いかける土方の目を、沖田は見上げた。 涙の膜で世界は、透明に滲んで、きらきら輝いた。 「手、」 喉が詰まった。噛み砕いたはずの繊維が窒息を呼ぶ。 「あァ?」 「繋いでくれないと、逃げちまう」 滑稽な強がりを言い切る前に、子供にするように伸びてきた手に引かれた。 沖田はもう何も言えなかった。 大人の骨格を手に入れて久しい土方の手は、昔と変わるところがない。けれどももう、二つの手はさほど大きさは変わらなくなった。指先を、温度が行き交っていく。 片方の手に焼きいもを、片方の手に土方の指を。もう何も持てない。 熱い塊は喉に詰まり、空は青く、ものの輪郭がはっきりと分かれて見えた。 |
「あまあま」テーマの沖土本より。ちなみにこれは3稿(必死で甘くした)(甘いんです)。ミツバ編前。 |