20 合わせ鏡 |
あれから五年めになる。 京一は時々ぶらりと東京に舞い戻る。そのたび、龍麻と暮らしたりする。 年に一度あるかないか。中国に行って一年半は全くの音信不通だった。 京一がシャワーを使う音が、龍麻のいる居間にほんの僅かに聞こえてくる。今年に入って初めての帰省は盆明けの暑さ極まる時期だった。養父母のところから東京のマンションに戻る途中で、木刀の他にろくに荷物も持たない京一を拾って数日経つ。今日か明日で、束の間の再会は終わるだろう。 一度離れると、ずっと一緒にいると息が詰まる。 手合わせしているときがいちばんだ。それが至上だ。 真剣に髪の毛一筋ほど足りない勝負をして、飽きるまではしゃいで、キスなんかしてみたりする。セックスして風呂入ってビールを飲む。それを数日繰り返して、京一はまた風のように去ってゆく。それで満ち足りる。 高校生だった当事、二人は毎日のように夕飯を一緒に食べ、一日の半分を共に過ごし、それが当然だった。余りに当たり前すぎた。所有欲も、照れ合いながら簡単に肯定した。そうしたらセックスも必然だった。ふざけあって勝負した。そんな風に一日一日が長く濃密に輝き、たたかい、が終わるまで二人とも気づかなかった。瞬時に幾通りもの先を見出す龍麻も、状況を察知するのに鋭い京一も気づかなかった。終わることが現実にどういうことか分かっていなかったのだ。 戦いの日々が終わると、卒業が見えて別離が待っていた。龍麻は大学進学を決め、京一は中国行を決めた。それも決めてすぐにお互い話していた。そこに何の痛みもないはずがなかった。 「ひーちゃん、中国行かねェか?」 満開の桜の下京一がそう言ったとき、試していることを龍麻はすぐに悟ったし悟られたことに京一もすぐ気づいただろう。 「行かない。俺はここでいる。おまえのようにはしない」 龍麻とて、己の技を極めたいという思いはある。けれどもそれよりも、龍麻は日本で大学に通いながら鍛錬することを選んだ。それが龍麻の意志であり、どれだけ京一が大切かということとは違う次元の話だ。 「そうだよな」 浩然と笑う京一の光を浴びて時折赤く透ける髪に桜の花びらが数枚纏いついた。 そうして、京一はあっさり中国に渡り、日本に帰るときは必ず龍麻のもとに寄る。 京一のいない生活に、そばにあった熱量の塊がないことに、龍麻は初めこそ戸惑ったが案外すぐに慣れた。離れて思い出すのは、どうしてか大晦日の晩のあの日のあの腕だった。 どうしてるだろうな、と懐かしく思う頃に京一はひょいと帰ってきた。ひーちゃん、と呼ばれた。ちったァ強くなったつもりだぜ、手合わせしよう。 楽しくて堪らなかった。変わってゆくものがあっても。京一はどんどん俗世離れしてゆく。剣の道に生きていると獣じみた勘は余程養われるものらしい。だから龍麻が東京の自宅を離れているときに突然京一と出くわしたりしても、龍麻は驚かない。ちょっと笑って声をかける。それを見て京一は飴色の目を細める。あとはどこでも同じだ。妖じみた存在に片足を突っ込みかけていた龍麻は、逆にそういう点では鈍りっ放しだ。 「ひーちゃん、最近壬生にご執心だってなァ、如月が茶飲み話の種に事欠かないとか言ってたぜ」 濡れた髪を肩にひっかけたバスタオルで大雑把に拭きながら、京一がトランクス一枚で風呂から上がってきた。特に断りもなく冷蔵庫を開け、缶ビールを取り出す。 「ちゃんと髪乾かせよ」 濡れていつもより色濃い髪の先から滴が垂れているのを見咎めると、京一は一瞬決まり悪そうに笑って缶ビールを龍麻にも投げて寄越した。 「何だ妬いてるか?」 こちらもにやと笑い返すと、既に喉を鳴らしてビィルを嚥下していた京一は気持ちよさそうに龍麻を見返した。 「バッカ言うなって。そんなわけねェだろ。」 龍麻もプルタブを起こした。泡の弾けるいい音がする。苦味が心地よい。 「……まァ、ひーちゃん別に男が好きってんでもねェから、意外っちゃあ意外かもな。」 「自分でもね。だけど壬生、あんなの反則だ。」 「はァ?」 「もうさ、放っておけないんだ。二人で幸せになろうなって何万回でも言いたくなる。」 「……頭痛ェな、こりゃ。如月が溜息つくのも分かる気するぜ」 そう言いながらも、京一は龍麻が身体を預けているソファまで近寄ってきて隣にどっかと腰を下ろした。 「よかったな」 そうして、こちらも生乾きの龍麻の髪をわしゃくしゃにかき回して、祝福をくれた。腹の底まで熱く染み渡っていくものがある。何より嬉しい。 「ありがとう」 思わず震えた声に苦笑し、龍麻は話題を振った。 「おまえはどうなんだ」 「自分が身ィ固めたからって俺の心配かよ、ったく」 いよいよ呆れた京一の龍麻の手からも取り上げて缶をローテーブルに置く。磨り減ってゆくものがある。それは事実だ。同時に土のように空気を含んで穴を埋めるものもある。 「変わらないからな」 あ、と思った。失敗した。目の前にお互いがいればそれだけでそれ以下でもそれ以上でもない関係を名づける行為に触れて来ずに年月が経っていた。当たり前すぎて不安になった龍麻の揺れが滲んだ。 「壬生が気にすんじゃねェのか」 悪ふざけをするときの目の光で、京一が投げかける。 「……言われてみればそんなこともまあ、あるかもな。」 俄に、ならば変わってゆくのか、と思う前に手が伸びた。京一の膝に乗り上げて前髪をかきわけて京一の目を覗き込む。僅かな飢餓を認めるとたまらなくなってキスを交わした。ゆっくりと背中を抱き返す腕は脆いものではなかった。唇を離して龍麻は京一の肩口に顔をうずめた。目の前にいるから手が伸びる。 目の前にいなければいいのに、触れる近くにいたなら、龍麻は他の何でもない京一が欲しい。欲しいというのは、顔を見ていたいでもないし一緒にいたいでも決してない。ましてセックスしたいでもない。それなら、柔らかなキスと伸ばされる温い手の方が近い。 龍麻の目に京一が映ると京一が知っていること、の方がもっと近い。それを忘れないなら、それでいい。 夜のしずけさが落ちていった。 ※「078:鬼ごっこ」の龍麻視点です。 |