某日の帰りのSHRに担任から配られた配布物の中の一枚の紙切れは、私の脳裏にその事実を如何に色濃く残すことができるかだけにおいては、今まで生きてきた中で一番の破壊力を伴う攻撃だった。
「『現三年生における卒業証書授与式までの登校日の日程について』…か」
「嫌な題名だね」
「まったくだ」
SHRが終わり、皆が帰ろうと鞄を掴んで教室を出て行く時間帯。三年生になって部活も終わり、いつもなら男子が真っ先に遊びに出掛ける所だけれど、今日ばかりは男子だけで集まって話し込んでいる。他愛もない内容の無駄話。そう言えばお前のメアド知らなかったよなと、今更になってメアドを交換し出す始末。掃除するから早く教室から出て行けと言う担任の言葉にすら、どことなく覇気がないように感じられる。私の席にやって来たもいつもより大人しい。
「卒業かあ」
「もう三年も経ったんだね」
「早いね」
小学校の六年間はこれでもかと言う位に長かった。中学生はそれなりに三年くらいで終わって気がする。しかしこの高校の三年間は、実質一年くらいにしか学校に居なかったんじゃないかと言う位に短かった。ついこの間入学したばかりの気がする。ついこの間初めてと出会って、話して、仲良くなった気がする。早かったね、もう三年も経ってしまった。早かったね、もう卒業なんだよ。あと何回学校に来れるんだろうか。
「はどうするの?」
「何が?」
「何がって…」
「ああ…」
男子が一か所に集まっている方に目をやる。その中にの姿もあって、楽しそうに友達と喋っている。あと何回あの笑顔を見ることができるのかな。
「卒業する前に告白でもしてみたら?」
「そうだねー…」
「お?今までで一番可能性のある返事が返って来たよ」
片想いのまま卒業したら必ず蟠りができて、もっと苦しくなるに決まっている。なぜあの時に告白しておかなかったんだと、絶対に後悔するだろう。それだったら、いっそのこと振られてもいい覚悟で想いを伝えて散った方が、どれだけ楽になることか。だけど問題はどうやって想いを伝えるのかってことだ。幸いなことに連絡先は知っているのだけれど、殆どメールも送らないし、ましてや電話なんて一度も掛けたことも掛けられたこともない。そんな相手にどうやって想いを伝える?電話よりまだ直接話した方が、幾分か喋れる気もする。
「…あ」
「何?」
「そう言えばお世話になった先生に受験のこと報告してない」
「あらら」
「、ごめん、先帰ってて。遅くなると思うから」
「いいよ、待ってるよ」
「だって寒いよ?」
「ん―――、じゃ、帰る。バイバイ」
「じゃあね」
を先に帰らせて、お世話になった全ての先生の所を回っていたら思ったよりも遅くなってしまった。時計を見るともうすぐ短針が六の字を指そうとしている所だった。まだまだ冬の時期。日中は暖かくなってきたものの、この時間の外気は凍るように冷たい。
「あー、さむ…」
両手を擦りながら自転車置き場へと向かう。冷たい冬の風に触れて、妙に切なくなった。中学校を卒業する時もこんな感じだったなと思いだす。しかし、この切なさは中学の比にもならない。「卒業」の単語を口癖のように繰り返す。
「卒業…か」
「はえーよな」
「え?」
しんみりと自分の世界に入っていて、自転車置き場にいた人物に気が付かなかった。自分の自転車に乗って寒そうにしていた。
「」
「よ」
「ごめん、気付かなかった」
「いいよ」
自分のクラスの自転車置き場を見ると、私との他にもう一つの自転車。自転車に貼られたステッカーシールから、すぐにのものだと判断できた。
「待ち?は何してんの」
「説教中」
「ええ?」
「何でも、受験したのに入学しない大学に『入学辞退届』出すの忘れたらしくって、今担任とてんてこ舞い」
「うわ…、災難だね」
本当だよとは溜息をついた。いつ説教が終わるのかも分からないのに、ずっとはを待っている。こんなに寒いんだもん、先に帰ればいいのにな。多分は帰らそうとしたけど、が待つって言ったんだろう。
「卒業だな」
「…そうだね」
「どうする?」
「え?」
その言葉に少しドキッとした。と同じような声のトーンで、同じように私には問いかけた。返事をした私の声は、少し上擦っていた。
「な、にが?」
「もう十八年も生きちゃったんだぜ」
「…うん」
先程のちょっとしたときめきは心の隅っこのゴミ箱に捨てた。そんな訳ない、ある訳ない。の方から告白してくれるなんて思っちゃいけない。自分が好きになった人に、自分を好きになって貰うことがどれだけ困難か、十八年の中で何回も思い知った。苦い恋の味も、甘い恋の味も、酸いも甘いも知って、臆病になった。
「後はもう下る一方だなあ」
「うん」
「何だかなあ」
何だかなあ。本当に何だかなあ。鼻の奥がツンと痛い。鼻がどれだけ赤くたって、どれだけ鼻声だって、寒いからの一言で済ませるんだろうな。だけど、本当は、切なくて、寂しくて、悲しくて、つらくて、苦しくて、嗚呼、ああ、三年がこんなにも短くて、一年も、一か月も、一週間も、一日も、この一瞬ですら、こんなににも、こんなにも短い。どんなに願ったって絶対に過去には戻れなくて、時間は過ぎていくばかりで、もっと頑張れば良かったって、やれることはいっぱいあったんだろうって、後悔するばかり。
「…そっか、もう三年生なんだ」
「…早いな」
「うん、凄く、凄く早かった」
笑って卒業、なんてできるんだろうか。だって、だって本当に良いクラスだったんだ。良い友達ばかりだったんだ。そりゃ良いことより嫌なことの方がたくさんあったって思うけど、それでも終わってみればやっぱり良いことしか思い付かない。
何度だって思いだせる。と初めてあった時、初めて喋った時、笑った顔も、怒った顔も、嫌そうな顔も、困ったような顔も、声も、行動も、身振り手振りも、後ろ姿も、立ち姿も、授業を受ける姿、寝る姿、全部全部思いだせる。全部全部大好き、大好きだよ。
「知ってるか」
「何が?」
「俺が……、いや、やっぱりいい」
「うん?」
少しの間の沈黙が酷くつらかった。想いが募る。ここで告白してしまおうか。でも、やっぱり、できない。は別に私のことなんて何とも思ってないだろう。でも、やっぱり、どうしよう、どうしようもなく好きなの。
「っ」
「…――まか?」
「へ?」
怖いのを振り絞って言った言葉が、空に浮いた。今の一瞬自分のことに精一杯で、が何を言ったのかが全然聞き取れなかった。
「え?」
「日曜、は暇?」
「う、うん。用事ない」
「うん、じゃあ、遊ぶか」
事態が思うように理解できなくて、の顔をまじまじと見つめ返す。学校の証明に照らされたの顔は笑顔だった。どうやら、少しくらい可能性を期待をしても良いみたいだ。
「どこ行きたい?」
「どこでも、いいよ」
「じゃ、映画観に行こうか」
どんどん体感時間が短く感じられるようになる生の中で、貴方と過ごす時間は、永遠なんだと感じたいよ。
待ち焦がれ人