この想いは絶対に、口に出してはいけない、誰にも知られてはいけない、勿論仲の良い友達にも、唯一無二の親友にも。うっかり口を滑らせて、取り返しの付かないことになってしまったら、元も子もないから。そう、これの想いは私だけのもの。本人にも知られるわけにはいかないの。それが、毎日絶対に顔を合わせるべき相手でも。
だから、気付かないでいて、先生。
今年赴任してきた、大学を卒業したばかりの若い先生。格好良いよねと女子生徒は先生のことを噂する。格好良いよ、見た目も、中身も、何もかも。一目見たその瞬間から、先生と生徒と言う壁を取っ払われて、私は貴方に恋をしてしまったの。叶う筈もない、途方もない恋を。
「先生」
彼の後ろ姿を廊下で見付けて、背後から声をかけた。返答がない。聞こえなかったのかな。私は首を傾げてもう一回呼んだ。
「先生?先生」
「あ、ああ、。何だ、どうした?」
一瞬驚いた顔で振り向いた先生が、私を見て微笑んだ。
「あの、授業のことで聞きたいことがあって、その、今日伺ってもいいですか?」
「うん、いいよ。放課後、教室でいい?」
私は小さく頷いた。いつもなら呼べばすぐ返してくれる先生だから、さっきのあの表情からして今日は何だか変だなと思った。じっと先生の目をみつめれば、どうしたといつもと同じように笑ってくれる。良かった、いつもの先生だ。
「じゃ、放課後に、先生」
「うん、待ってる」
特別先生と仲が良い訳でもない。だけど嫌われていないことは確かだと思う。私が先生に愛敬を振り撒かないのは、これ以上私自身が先生を好きになっちゃ駄目だから。妨害だよ、こんなの。ごめん、先生。ごめん、先生。こんな生徒で、ごめん、先生。
だけど、好きです、先生。
放課後、部活を少しだけやっていたら遅くなってしまった。放課後と言っただけで実質何時からだとかは決めていなかったけど、感覚的に遅刻してしまったと感じていた。小走りで教室に行き、中にいる先生の姿を見届けて、少し申し訳なくなった。
「せ、先生!ごめんなさい、あの、部活で」
「あ、いいよ、いいよ」
ドアを開ければ、先生がこちらを向いて安心したように笑っていた。途端に体が恥ずかしさからか熱くなる。先生は近くの机を二つくっ付けて、片方に座った。
「や、でも」
「部活はいいことだよ。で、どこが分からないって?」
「…えと、ここ、です」
私はそろそろと先生の隣の席に座って、鞄から教科書やノートを取り出した。筆箱も取り出して、シャープペンシルの一本を先生に貸す。
「お、ありがと。ここは…こうなるだろ」
「うん」
「で、これを…」
「うんうん」
先生、ごめんなさい。嘘を付いてしまいました。本当は、本当はね、先生に聞いた所、できない訳じゃないんだ。本当は先生に聞かなくても頑張って考えれば分かる程度なんだ。だけど敢えて先生に聞いたのは、先生の声を聞きたかったから、話したかったから、先生に会いたかったから。ごめんね、先生。好きです、好きです。先生のことを考えるだけで、切なくて、愛しくて、嬉しくて、苦しいです、先生。
「…分かった?」
「あ、はい!もう大丈夫です」
「そっか、良かった」
ほっとしたように先生は溜息をついた。大学を出たばかりで何かと不安なのかな。
「先生」
まただ。反応が返ってこない。
「先生?」
どうしたの、先生。今日は何か変だよ。不機嫌って訳じゃないのに、何かあったの?
「先生!」
「あ、ごめん、ごめん。何だった?」
「先生、何かあったんですか?」
「え?」
「だって、今日の先生は何だか上の空です。変だよ」
他のことを考えてる。自分の少し手前をずっと瞬きもせずに見ている。何か悩んでるの?私、先生の力になりたいよ。
「あの、相談だったら、私で良ければ聞きますから」
「え…」
「あまり悩まないで下さい」
心配です。それは口には出さなかったけど、言ってからはっとした。これは生徒が先生に言う台詞じゃない。慌てて取り繕った。
「あ、一応先生だし…ほら、明日も学校あるし…」
先生は茫然と私の顔を見つめるばかりだ。何も言ってくれない先生と、この空気に居た堪れなくなって、私は苦笑いをして頬を掻いた。
「なーんて、思っただけです」
「」
「はい?」
意を決した顔の先生が夕日に照らされる。とても綺麗だった。ふいに切なくなる。それなのに私は気の抜けたような声で返事をしてしまって、少し恥ずかしくなった。
「本当は、ずっと考えないようにしてたんだ」
「何をですか?」
「立場が立場だし。だけどもう無理なんだ」
夕方の太陽に染まった先生の顔、その朱に染まった両眼が私の目を射抜く。今まで見たこともないような先生の顔だった。どきんと心臓が大きく跳ねる。隣同士の席をくっ付けると凄く近いってこと、この時初めて知ったよ。普段は何も思わないのに、先生だから、先生が隣でそんな顔をするから。
「好きなんだ」
椅子の上に置かれていた私の左手が、先生の右手に覆われる。大きくて、固い、大人の男性の掌だった。
「のことが、好きだ」
「、せんせ…?」
「ごめん、いきなり言われても引くよな。一応教師と生徒だしな、ごめん」
口で否定するより先に、私は頭を大きく横に振っていた。先生が驚いた顔をする。
「わ、私っ」
「え、うん」
「私も、好きです」
「え?」
「先生のことが、好きっ」
言い終わる前に先生の両腕が伸びてきて、私なんか先生の中にすっぽりと綺麗に収まってしまった。大きい、おおきい、先生の胸の中。叶わないと思ったの。もう無理だと思ったの。このまま胸の中に後生大事にしまって、墓の下まで持っていく想いだと思ったの。嬉しくて、ただ想いが叶ったそれだけが嬉しくて、涙が溢れ出て止まらなかった。
「、お前ドキドキいいすぎ」
「なっ、せ、先生だって!」
夕焼けの教室の中、ずっと、ずっと、抱き合っていた。体温が同じになる時まで、ずっと。
サザンクロス