悲しげに歪んだ顔で君は僕に笑いかけてくれた。それからありがとうと、これまた悲しそうに言った。僕からしてみればお礼なんて言って貰えるようなことは、何一つした覚えがないのに。どうしてと首を傾げて問うと、君は照れたように笑った。照れてるのにどこか悲しげだ。そんな曖昧な表情、僕には到底真似できなかった。だけど真似ができたら、色んな事から逃げることができるんだろうと考えた。だってそれは、相手に言葉を失くさせるような顔付きに他ならなかったからだ。笑うのなら僕も笑おう。泣くのなら僕も泣こう。怒るのなら僕も怒ろう。喜びも悲しみもその他諸々の感情でさえ、分かち合えるのならば共有し合おう。だけどその表情を真似することは僕にはできなかった。二つ以上の感情が混ざり合っている君の、の表情はとても切なくて、だけどとても美しく僕の瞳のそのまた更に奥にまで映った。盲斑の部分にまで色が映ったようだ。ああ、きれいだね。だけど僕は何も言えなかった。言葉を失くして、掻き集めても散らばる一方で、だけど笑うことも泣くこともできなかった。そして君はまた笑った。
「どうして、って?何が?」
肩から下がった鞄がずり落ちそうだ。僕は撫で肩。僕は自分自身でこれがどうしても気に食わなくて、恥ずかしくなって鞄の紐を急いで肩の上に掛け直す。ふふっと空気の漏れたような笑い声が聞こえた。目の前にいるが手で口を押さえながら含み笑いをしている。いっそのこと大声で笑って欲しかったなんて思った。だけど大声で笑われたらそれもそれで癇に障るんだろう。僕は本当にちっぽけな人間。ちっぽけな存在。どうしてと言ったに、だからねと付け加えるようにもう一度言ってやった。
「何で、ありがとう、なの?僕は別に」
「いいの」
「え?」
「気にしないで」
かぶりを振ってはそんなことを言った。ありがとうの意味さえ教えて貰えず、そして気にしないでとそれを放棄した。僕は混乱する。君は一体何が言いたいんだ。どう言う理由があってありがとうなんだろう。どう言ういきさつでその言葉に辿り着いたんだろう。また鞄の紐がずり落ちる。もう掛け直すのも厭になった。僕はそのまま鞄を地面に捨てる。動かなくなった。まるで投げられた後のように、その投げた理由もその存在すら忘れ去られた石ころのように何も言わなかった。僕が捨てたことを何とも思っていないように無言だ。
「うん、ごめんね」
「ごめんね?何で」
「何でって、理由がいるの?」
「いや、別に」
「いいの。は気にしないで」
僕以外だったら気にしてもいいのだろうか。否、そんなことはこれっぽっちも無関係だ。風が吹いて、お互いの風が靡いた。の髪が透き通る。僕はそれを細めで眺める。何となく、が眩しかったんだ。眩しくて、目が眩んで、ああ、眩暈。くらくら。君に酔う。いつも自然体。女子にも男子にも同じ態度、同じ言葉遣い、同じ表情。こんな、僕でさえ同じ声のトーン。くらくら。名前を呼ばれる度に、ああ、眩暈。くらくら。
「…溺れそう」
「え?」
「あ……いや、」
「何に?」
「いや、別に。何でもないよ」
首を傾げて不思議そうな顔。どうしよう。どうしよう。お願いだからそんな顔しないで。拳を握り締める。顔が熱いよ。気持ちが高ぶる。足が自然と前へと進みだす。ストップ、止まって、そのまま、動かないで。熱い、熱い、何だこれ、やめてくれよ。
「?」
名前、呼ばないで。
「どうしたの?」
が一歩近付く。
「!」
「……―――ないで」
好き、好き、大好き、大好きだよ、どうしようもなく大好きだよ、抑えられない、どうしたらいいのか分からない。でも、大好きだよ。両腕に初めて抱いた体温。少し小さなの頭が、すっぽりと僕の腕の中にある。
「…え??」
「どこにも、行かないで。行くなよ、…」
「なに、どうしたの?」
「好きなんだ」
いつからか、なんて覚えている訳もなく。気付いたらだけを見ていた。に釘付けだった。他の男の名を呼ぶのが許せなくなった。醜い嫉妬心。だから、放課後、部活を休んで彼女を連れだした校舎裏。ただ茫然と立って、何を言う訳でもなく、何をする訳でもなく。連れ出したことを大後悔。だけどは笑って帰ろうと言った。僕の大馬鹿野郎。に、気を遣わすなんて。
「好きだよ…。でも、自分でもどうしたらいいのか分からない…」
「…ありがとうって、さっき言ったよね」
「え?」
「連れ出してくれて、ありがとう」
また、笑った。今度は、悲しそうな顔じゃなくて、本当に照れた顔。僕も同じ顔をしようとして、涙が流れた。
「」
「…?」
「大好きだよ!私ね、どこにも行かない」
恋はするものじゃなくて、溺れるものだとどこかに載っていた一説を思い出す。もう放さない、もう二度と放せない。この涙に誓うよ。影が、重なった。
「この瞬間が、酷く幸せで」