「そうね」と、私は言った。
「確かにやりづらいかも」
そしてが銜えている煙草を取ると、足で踏んで火を消す。
「最後だったんだけど」
「煙草は体に害なのよ」
「それくらいは知ってるさ」
君は今にも雨が降りそうな空を仰ぎ、「ああ、神様」と呟いた。
「神様なんて存在しないわよ」
「それも知ってる。ただ、信じる神がいてもいいと思ってさ」
「信じる神?」
「そうだな…」と、はポケットからライターを出した。風に乗ってやって来た、誰かの書類を手に取ると、カチッ、と火打石に点火する。
「例えば、火の神とか」
「空想ね」
「そうさ。でも空想だとしても、夢を見るのは悪くない」
書類に点いた炎は、湿気の多い今日の空に高く高く昇って行く。君は書類が燃え尽きるまで手を離さなかった。指先に火傷の痕ができる。
「馬鹿ね。もっと早くに手を離しなさいよ」
「最もだ。これからはもっと早く手を離すようにするよ」
君は先程まで煙草を銜えていた口で、その傷を癒そうとする。私は溜息をついた。
「それで?あなたは今も夢を見ていると言うの?」
「いいや、夢を見るのは仕事が与えられる前までだよ」
「そう。仕事中は神に祈っても仕方がないしね」
私が言うと、君は「いや…」と呟いて持っていた折り畳み傘を開いた。ポツリポツリと雨が降り出す。
「仕事中は戦いの神に祈るさ」
「何て祈るの?」
「戦いが終わったあとの幸福を、ね」
「あなたらしいわ」
傘に当たる雨粒の音がする。雨は傘から落ちて、私達の足元に水溜りを作った。
「で、の祈る神はいないのかい?」
「昔信じていた神はいたわ」
と言っても、物心をつく前の話だけど。今は信じたくても信じることができないだけ。
「どんな神様?」
「愛の神様よ」
は不意打ちを喰らったように笑い出した。笑い声が雨に混じって、溶け込んで行く。
「なぜ笑うの?」
「ああ、君は外見よりも可愛い発想をするんだな、と思って」
「失礼ね」
謝りもせず、君は傘の外に手を出して雨の勢いを確かめた。跳ねる雫、流れる滴、強くなった夕立。
「…神様の話のことだけど」
「何?」
「お互い殺されないようにしないとな」
お前、すぐ殺られそうだから。は私を見て笑いながら言った。
「大丈夫よ。私は天才だから」
「よく言うよ」
「でも…ま、相手によりけり。その場の状況と判断能力ね」
更に強くなる雨に顔を顰めながら私は答えた。
「でも…私一人が失敗したくらいじゃ、会社に支障は出ないでしょうよ」
「社長が揉み消してくれるからな」
「そういうこと」
火傷した指先を雨で冷やしながら、君は私を見て優しく微笑む。
「でも、がいなくなった俺が困るよ」
「果たして本音かしらね」
「ははっ…こんな恥ずかしいこと、冗談じゃないと言えないよ」
ムッ、と顔をしかめる私に、もう1度君は微笑みかけた。
「嘘だよ」
「それこそ嘘でしょう?」
愛しそうに髪を撫でるの掌が、頬に来て止まった。私の唇に君の唇が触れたとき、君は呟いた。
「本気だから、」
離れた君は言った、「傘はが持ってなよ」と。雨のもと、走るの背中を見つめながら、私は私の唇に触れた。先程の暖かい感触が、もう消え失せようとしている。
「…優しいんだから」
私は小さく呟いた。雨雲の隙間から、太陽が顔を出していた。
私と君と