「私ね、決めてるの」
 と、は言った。西の空が紅く、紅く染まっている。はその西日をバックに、とても綺麗にわらった。でもとても悲しそうなかおで。とても切なそうなかおで。俺はそんな彼女の名前を呼んだ。また同じように彼女はわらった。まるでこの夕日みたいだった。明るいのに、鮮やかなのに、綺麗なのに、地平線に沈んでゆく。もうすぐ何もかもが見えなくなる、なにもなくなる。そんなかおで、はわらった。
「……?」
 の顔がだんだんと近付いて来て、俺の唇にのそれが優しく触れた。そしてそれは一秒もしないうちに離れていく。背伸びをした足を地に着けてまたは優しく微笑んだ。そして、私決めたのと、また小さく呟いた。
「私ね、ファーストキスの相手とは、付き合わない」
 西日がさっきよりも鮮やかになった。オレンジ色の空。俺の背後から、暗闇が迫ってくる。徐々に、徐々に、それはだんだんと大きくなっていった。
 の目は俺を捉えて放さない。瞳の中の俺は、とても情けない顔で俺を見ている。お前、それでも男だろう、何、泣きそうな顔してんだよ。俺はそんな風に瞳の中の俺に問いかける。瞳の中の俺は、悲しそうに表情を歪ませた。
 ちょっと、待ってくれよ。そんなこと今更言われても、どんな反応を、すれば、
「今の?」
「そ、今のが私のファーストキス」
 と、言うことは、俺とは付き合わないと決めたってことか。
「何で?」
 意味が分からない。そんな決意、必要ないじゃないか。決めたのって、お前、どういうプライドなんだ。おかしい。別にそんなこと大して重大ではないのに、関係ないのに、は切なそうにまたわらう。
「何でって、決めたから」
 融通の利かない所はいつもと同じ。だけど俺は、のこんな笑顔は知らない。
 俺はを嫌いになるはずがない。もう嫌いになれって言う方が無理だ。それと同じように、俺はに嫌われることはないと言い切れる自信がある。嫌われる意味が分からない。それほどながくの時間を共にして、隣でわらい合ったから。だからこんなこと言われる筋合いもないと思うし、ましてや、キスをされる理由すら俺には分からないわけで。
「じゃあ、何でキスしたの?」
「でもね、私のファーストキスは、世界で一番大好きな人にあげようって決めてたの」
「は?もうお前、意味分かんねェ」
 だって、言ってたじゃないとが言った。もう辺りは薄暗い。
「俺は一番好きな奴にファーストキスをあげるって」
「で?」
「夢、叶ったでしょ?」
 そうさ。俺のファーストキスはに捧げるためだけにあった。その夢はたった今叶ってしまった。それと同時にの夢も叶ってしまった。理不尽。この世は理不尽だ。理不尽だけでなりたっているのか。そりゃないだろ、馬鹿野郎。
「俺は、お前が好きだよ」
「でも、私じゃを幸せにしてあげられない」
「別にそんなこと、俺はどうでもいいよ」
「ううん、には、幸せになって欲しいの」
 の言ってることは、滅茶苦茶で支離滅裂だ。理不尽さも含んでいる。俺が幸せになるためには、お前がないと困るのに。お前がいなきゃ、俺は幸せになんてなれないのに。馬鹿野郎、何で分からねェんだ。何で、何で、
「なんで、泣かねェんだよ」
「え?」
「泣けよ、そしたら俺は救われる」
 泣く代わりにはわらった。薄暗い中の唯一の灯。俺はそれを失くしてしまう。もう、失くしてしまうんだ。どうやって夜道を歩けばいい?分からない、分からないよ、分かりたくもない。けど、
 サヨナラ、しなきゃいけない。

「ん?」
「愛してたよ」
「うん、私も。世界で一番好きだよ」
 日は沈んで月が出ていた。雲一つとない満点の星空。

 あの日の夕日のいろはもう忘れてしまったけれど、の笑顔だけは、忘れられなかった。
キス