進藤一生×香坂たまき
![]() 静かに寝息をたてるその顔を、進藤はじっと見つめていた。 頬には赤みが射し、そっと触れた肌は温かい。 それだけのことが進藤の胸をこれ以上ないほど満たす。 その場から離れられなくて。 離れたら、また消えてしまうのではないかと思って。 何時間も、何時間も… ただ、その安らかな寝顔を見詰め続けた。 ――― 瞼に当たる柔らかい陽射しを感じて、ゆっくりと目を開ける。 「…………」 白い天井。 暖かい空間。 此処は…? 「気が付いたか」 すぐ隣に、進藤が座っていた。 「…進藤先生?」 進藤は穏やかな瞳でたまきを見詰めている。 目を遣ると腕には点滴の針。 病室の片隅で、たまきはベッドに横たわっていた。 「覚えてるか?」 「…助かったの?」 「あぁ」 進藤が少し微笑む。 「…此処は?」 「保護された場所からいちばん近い病院に担ぎ込まれたんだ」 「………」 そうだったのか、とまだ覚醒しない頭でぼんやり思った。 「お前は脱水と疲労から意識を失った」 「…ずっと、付いててくれたの?」 「…あぁ」 戸惑いがちに進藤の瞳を見ると、少し真剣な眼差しで進藤は答えた。 「…貴方は?休んでないの?」 「点滴をしてもらった。お前、丸2日眠ってたんだ」 「え…そんなに?」 「よっぽど疲れたんだな。ゆっくり休んだほうがいい」 「…ええ」 天井を見上げて言う。 ずっと触れ合って支え合ったあの3日間が幻だったように、 進藤はたまきに触れようとはしないし、 たまきもそれ以上進藤に近づくことはなかった。 いつもの日常に戻ったのだ。 いつもの、ふたりに。 港北医大救命救急センター。 「よし移すぞ、1,2,3っ!」 「血ガス血算生化、モニター!」 スタッフの遭難事件も無事解決し、いつもの慌しい日常が戻ってきた。 進藤もたまきも体調に異常はないようで、 仕事をしながら他のスタッフたちはちらっと二人を見ては安心していた。 そのふたりは、今日も相変わらず息の合った仕事ぶり。 「肝臓と腎臓、どっちを先に?」 「俺が腎臓をやろう。お前は肝臓を頼む」 無駄のない会話で迅速な処置が行われてゆく。 いつも通り、と誰もが思った。 当の、本人達以外は。 その小さな違和感に、進藤は気付いていた。 「最近、香坂先生いねぇなー」 お昼の医局。 皆がほらちゃんの出前を食べている中、馬場が言った。 「外で食べてるんじゃないですか?」 「えっ、僕また匂う?レバニラ頼んでないけど」 心配気に言う神林に矢部が笑って首を振った。 「でもさー、昼以外もあんましいなくね?」 「そういえば、そうかも」 「たまにいたとしても、ずーっと怖い顔で専門書睨んでるんですよね〜」 「そうそう。なんか、話しかけられない雰囲気」 「なんかあったんでしょうか?」 「専門の勉強に必死なんじゃね?第一外科に戻るために」 皆が苦笑する。 「………」 医局長だけがひとり、複雑な顔をしている。 「………」 皆の会話を、進藤は無言で聞いていた。 屋上へ出てみる。 もしかしたら此処か、と思って来た。 しかし、たまきはいなかった。 煙草に火をつける。 たまきはいつも通り、ちゃんと仕事をこなしている。 患者の処置には救命に来て日が浅いとは思えないほど、目を見張るものがある。 進藤のやり方をよく見ているのか自分との息も合っていて、仕事のしやすい相手だった。 ただ。 あの事故以来、進藤と瞳を合わさない。 処置中すらもそうだし、それ以外では進藤を見ようともしない。 ふぅ、と進藤は溜息を吐いた。 白い煙が細く吐き出され、立ち昇って消えてゆく。 話さなければいけない、と思っていた。 このままではいけない、と。 それでたまきを捜しに屋上に来た。 だけど、彼女がいなかったことに、半分ほっとしている自分がいる。 何を言っていいのか、判らないのだ。 進藤の中で、何も結論は出ていなかった。 数日後。 進藤が資料室のドアを開けると、白衣に黒髪の後姿があった。 お気に入りのシエロのサンドイッチを頬張りながら、キーボードを叩いていた。 「香坂」 進藤の声に、気付いてたまきが振り返る。 進藤の姿を見て、すぐに視線を戻してしまう。 「…いつも此処にいたのか?」 「論文書いてるの」 「何も、食事中にまで」 「締切が迫ってるのよ」 進藤を見ずに軽く笑う。 「締切?学会か何かか?」 「…城南医大の心臓外科研究チームに空きがあってね。スタッフを募集してるの」 その言葉に、進藤の顔色が変わった。 「あそこも心臓外科では優れたところだし、申し込んでみようと思って」 「…うちを辞めるのか?」 「…ええ」 「…何故」 ふっ、と、可笑しそうにたまきは笑った。 「何故?判ってるでしょ?私は心臓外科医なの」 ずっと第一外科に戻りたがってたの知ってるでしょ、とたまきは言う。 「…なら、第一外科に戻ればいい」 「…神宮教授が許してくれそうにないもの」 「…いつか実力で戻るんじゃなかったのか」 「此処だけが病院じゃないわ」 そう言うとたまきは振り返った。 「これは私にとってチャンスなの。小田切医局長にももう話してあるわ」 いつもの強い意志を含んだ瞳で、整った表情で言い切った。 だがその瞳は、進藤を見ているようで見ていない。 「此処、使うんでしょ?」 たまきは席を立ち、資料室を出ようとした。 その腕を、進藤が掴んだ。 びくっ、と、身体を強張らせるたまき。 「…何?」 後ろを向いたまま言う。 「…俺のせいか」 進藤の言葉に、一瞬たまきは止まり、そしてすぐに振り返って言った。 「違うわ。」 真っ直ぐに進藤の瞳を見て言った。 進藤が戸惑うほど、強く美しい瞳だった。 緩んだ手を振り解き、たまきは資料室を後にした。 カラ―――ン 外来診察室の方から、金属が落ちるような音が聞こえた。 近くを通っていた進藤が急いで行ってみると、外傷患者の処置をしているたまきがいた。 眩暈を起こして、座り込んでいる。 「どうした?」 「急に、鑷子(せっし)を落とされて…」 ナースが心配そうに言う。 「香坂!?」 進藤がたまきの肩を掴む。 「…大丈夫よ」 たまきは額を押さえながら立ち上がる。 「なんでもないわ」 そう言うと、患者に謝り、治療を続けた。 「香坂!」 処置が終わるのを待って、診察室を出てきたたまきに声をかけた。 たまきは振り返らない。 「疲れてるんじゃないのか」 「大丈夫よ。少し寝不足なだけ」 進藤を見ずに笑うその姿に、理由の判らない苛立ちが募る。 「…根の詰めすぎなんじゃないか?」 「…しょうがないじゃない」 「此処は救命救急だ!」 急に、進藤が怒鳴った。 驚いて進藤を見るたまき。 「仕事に支障をきたすようなら、専門の勉強は辞めろ!」 「っ!………」 瞳を見張らせ黙り込んでしまうたまき。 プロとしての甘さを指摘され、何も言えない。 進藤の言うことは、いつも正しい。 …正しい、けれど。 「…もうすぐ、いなくなってあげるわよ。お望み通りね」 瞳を伏せて去っていこうとするたまき。 進藤の表情も見られない。 きっと、とても怒っているんだろう。 そう思いながら、足を進める。 そのとき。 どさっ 何か音がして、振り返ると。 進藤がその場に倒れこんでいた。 「進藤先生!?」 「過労だな」 血液検査の結果を見ながら、小田切医局長が言う。 時間外になった外来診察室のベッドで、進藤は眠っていた。 腕には点滴の針。 「…どうして、急に…?」 その傍らに座って、心配気にその顔を見つめながらたまきが言う。 「おそらく例の遭難事故の疲れが今頃出たんじゃないかな。進藤先生、あの事故の後も休みもせずずっと働いてたし」 「………」 そう、進藤はあの時も、ふらふらになったたまきをずっと支えてくれたし、 たまきが2日間眠ってる間も傍にいてくれた。 長引く事情聴取の間も一緒にいてくれて。 そして、帰って来たら休むこともなく仕事に復帰したのだ。 「…少しは、休んだらいいのに」 「進藤先生って仕事好きだからね〜。それに自分でも大丈夫だと思ってたんじゃない?自分の疲れ自覚できない男ってけっこういるからね〜。進藤先生 なんか、まさにそんな感じ」 「………」 ふっ、と苦笑するたまき。 「何かのきっかけで急に溜まった疲れが出ることがあるんだよね。なんかあったのかな?」 医局長が怪訝な顔をする。 「…え…」 何かのきっかけ…? たまきの胸の中が少し波立った。 が、すぐに思考を振り払う。 「とにかく今夜は一晩寝かせてあげよう。明日も休んでもらうか」 「…そうですね」 医局長の言葉にたまきも頷き、ふたりは仕事に戻った。 翌朝、目を醒まし点滴を終えた進藤は、医局長に帰るように指示を受けた。 夜中、何度か様子を見に行ったときは、よく眠っていた。 夜勤明けで帰る支度を整えたたまきが更衣室から出ると、医局長と、同じく服を着替えた進藤がいた。 「香坂先生、今日休みだよね?悪いけど進藤先生送ってあげてくれないかなぁ」 「え!?」 医局長の言葉に驚くたまき。 「検査結果は異常なしだけど、やっぱりまだ心配だからさ。頼むよ」 「………」 何と返事していいか判らない。 でもきっと、進藤が断るだろう。 そう思った矢先。 「…頼む」 進藤がぼそっと言った。 「え!?」 言葉を失うたまき。 「良かった〜。香坂先生が付いててくれるなら安心だね。じゃあとよろしく〜」 笑顔で去ってゆく医局長。 「………」 「………」 沈黙が続く。 進藤が無言で歩き始める。 おずおずと付いてゆくたまき。 ふたりは黙ってタクシーに乗り込んだ。 郊外の綺麗なマンションだった。 こんなかたちで、初めて訪れることになるなんて。 たまきがなんとなく見上げていると、5階だ、と進藤が言い歩き出した。 エレベーターに乗り、部屋の手前まで来る。 鍵を開けたのを確認して、 「じゃあ、私はこれで」 たまきはさっさと去ろうとした。 「中に入れ」 腕を掴まれた。 「…どうして?」 「まだ具合が悪い」 飄々と言うと、進藤はたまきを引っ張って中に入った。 「ちょっ…」 引っ張られるままに、慌ててたまきは靴を脱いで歩く。 何処が具合が悪いのよ?と思ったが、 リビングのソファに辿り着くと進藤はそこに倒れ込んだ。 「………」 その様子に、心配になるたまき。 「コーヒーでも淹れるわ。飲み終わったら、さっさと寝室で休むのよ」 初めて立つ彼のキッチンで、道具や材料を探し出しコーヒーを淹れる。 サーバーから液体が落ちてくるのを待っている間、ちらっと進藤の方を見る。 ソファに倒れ込んで目を瞑っている彼の後ろに、真っ赤な薔薇が活けてあった。 「………」 見なければ良かった、と後悔した。 そもそも、来なければ良かったのだ。 此処は、多分彼と亡くなった奥さんとの思い出の場所。 あれはきっと彼の趣味じゃない。 進藤は、今も亡くなった奥さんと暮らしているのだ。 彼の中で彼女は、今も生きている。 …分かっていたことだけど。 こんな風に突き付けられると、やっぱり胸が痛い。 差し出したコーヒーを無言で飲む進藤の顔は、いつになく覇気がなかった。 やはり具合が悪いのか、とたまきは心配する。 それとも、意外に家での進藤はこんな風なのかもしれない。 いつも、仕事で気の張っている彼しか見たことがないのだ。 「ほら、立って」 進藤の腕を掴み、寝室へと促してゆく。 広いベッドに横たわらせると、ふぅ、と溜息をついた。 「今日一日はちゃんと大人しく寝てるのよ?」 怖い顔をして念を押す。 「………」 覇気のない顔に苦笑し、帰ろうとするたまきの服の裾を、進藤が掴んだ。 「…傍にいてくれ」 「…え?」 「…いてくれないなら、大人しく寝てない」 「………」 子どものようなことを言う進藤に、言葉が出てこない。 そのまま進藤はぷいと少し顔を逸らせ、眠ってしまった。 やがて安らかな寝息を立て始めた進藤の顔を、たまきはただ見つめた。 …眉が下がってる。 仕事中の進藤からは想像も付かない、無防備な顔。 まるで、熱を出した子どもが泣き疲れて眠ってしまったようだ。 なんだか、可愛く思えてしまって。 そっと進藤の頬に、指で触れた。 母親のような気分になってしまうのは何故だろう。 こんな顔を見られただけでも、此処に来られて良かったのかもしれない。 最後に、こんな顔を。 進藤の掌を握り、そっと座り込んでベッドに顔を乗せた。 「………」 進藤が目を覚ますと、ベッドの傍らに座り込んでたまきが眠っていた。 進藤の掌を、ぎゅっと握っている。 そっと、手を伸ばす。 柔らかい髪に触れた。 温かくて、あの日触れた温かさを思い出して。 何度も、優しく髪を撫でた。 「…ん…?」 たまきが目を覚ます。 寝起きの顔が、あどけなさを感じさせる。 「…起きたの?」 「あぁ」 「気分はどう?」 「だいぶいい」 「そう、良かった」 柔らかく笑った。 眩しく感じた。 「…悪かったな。お前、夜勤明けなのに」 「…全くよ」 「今度は、お前が眠れ」 「え?」 「腹減っただろ。俺は何か買ってくる。お前が起きたら食べよう」 「ちょっと待って!私はもう帰るわ」 「今日一日俺の面倒見る義務がお前にはある」 「は?ど、どうして?」 「どうしてもだ」 「は!?な、何それ……!?」 怒りたかったが、上手く言葉が出てこない。 こんな道理の通らないことを言う進藤は初めてなのだ。 「疲れてるんだから此処で休んでいけ」 そう言って進藤はベッドを出、たまきをそこへ促した。 そのまま進藤は出ていってしまった。 「………」 今日の進藤は何処かおかしい。 しかも、それに振り回されている。 ふぅ、と溜息を付きながらベッドの中で目を瞑ると、進藤の匂いがした。 3日間だけ感じていた、進藤の匂い。 温もり。 まるで進藤に抱かれているようで。 決心が鈍ってしまいそうだと思いながらも、その温もりを手放すことが出来なかった。 そのまま、たまきは眠りに堕ちていった。 バタバタと遠くに物音を感じて、目が覚めた。 寝室のドアを開けると、なにやら食欲をそそる匂い。 進藤がキッチンに立っていた。 「…何してるの?」 驚いてたまきが問う。 起きたのか、と進藤が振り返る。 「何って、座禅組んでるようにでも見えるか?」 腹減ったって言っただろ、と進藤が笑う。 大きな身体を少し屈めて、フライパンを揺する。 「…わざわざ作らなくても。買ってくるって言ったじゃない」 「栄養のあるもの食べようと思ってな。すぐ出来るから、座ってろ」 「………」 無言でテーブルに座るたまき。 「…栄養のあるものって、これ?」 悪戯な瞳で見詰めながら箸を口に運ぶ。 「悪かったな。これくらいしか作れなくて」 少し剥れて進藤が言う。 進藤が差し出したのは、いわゆる焼き飯。 「これじゃ油分の摂取が多くすぎて健康には良くないわね」 たまきがしれっと言った。 「いつもこんなものばかり食べてるの?」 「普段は料理なんて滅多にしないんだ」 「そのようね。味付けもちょっと濃いわ」 「………」 「外食ばかりしてると味覚が麻痺しちゃうわよ」 「…解ってる」 「なら気を付けなさいよ。中年太りした進藤一生なんて可笑しすぎて笑っちゃうわ」 たまきがからかう。 「相変わらずたいした物言いだな。メシご馳走になっといて」 進藤が笑う。 ふたりの間に、久しぶりに穏やかな時間が流れた。 「…急に倒れるから、びっくりしたわ」 「…心配かけたな」 「…やっぱり、疲れてたの?あの事故のせいで…」 暗黙の了解のように、ふたりとも口にしなかったことを、ふいにたまきが切り出した。 「…それだけじゃない」 「…え?」 「このところ、毎日眠れなかった」 「どうして?」 「………お前のせいだ…」 思い詰めたような瞳を少し伏せて進藤が言う。 「………」 予感は当たっていた。 たまきは視線を箸に落とす。 「忘れて」 「………」 「私も忘れるから」 「…忘れられるなら、病院を辞める必要なんてないだろ」 「だから、それは違うって言ったでしょ」 可笑しそうに笑う。 「違わない」 しかし進藤は真剣な瞳をして言い切る。 たまきの笑った顔が少しずつ戻ってゆく。 「…何言ってるの?私が違うって言ってるのよ」 「お前の嘘は、すぐに判る」 「…随分、解ったようなこと言うのね?」 「解る。お前のことは」 「自惚れないでよ!」 高まった感情が爆発した。 「お前だって、俺が倒れた理由も判ってたんだろ?」 しかし進藤は怒鳴ったたまきを真剣な瞳で射抜き、静かに進藤が答える。 「………」 その言葉と瞳に、たまきは言葉を失う。 苦しそうに瞳を揺らせ、俯いてしまった。 どんなに演技をしても、顔を合わせなくしても、瞳を見ないようにしても。 お互いの気持ちが、筒抜けだ。 観念するしかない。 「………そうやって、悩まれるのがいちばん嫌なのよ!」 視線を合わせないまま、たまきが強く言う。 「責任感じる必要も、私に同情する必要もないわ。貴方は貴方らしくしてればいいのよ」 「………」 「新しい職場に行って、貴方のこと早く忘れたいの。報われない想いはもうたくさん」 「………」 「私だって早く私らしさを取り戻したいわ」 「…お前は、俺が必要じゃないのか」 思わぬ言葉に驚き、たまきは涙を溜めてきっ、と進藤を睨んだ。 「必要だって言ったら傍にいてくれるの?」 「………」 「もう、なんでもない振りして一緒に仕事するなんて、出来ないのよ…」 感情的になってしまった自分を恥じて、たまきは涙を拭き笑った。 「だからもう忘れて」 「………たまき」 はっと進藤の方を見た。 真剣な眼差しに射抜かれる。 「死んだ妻を大事に想ってる男じゃ、ダメか?」 その一言に、一瞬で様々な想いや葛藤が溢れ出す。 たまきの瞳がゆらゆらと揺れる。 少しの沈黙が流れた。 「…駄目よ」 たまきがそっと口を開いた。 「私、自分が一番じゃないと気が済まないの。知ってるでしょ?そういう女だって」 笑顔で告げると、箸を置いた。 「貴方と私じゃ合わないのよ。だからもう、終わりにしましょう。ご馳走様」 立ち上がって、荷物を取りさっさと出て行こうとする。 玄関へ続く短い廊下に差し掛かったとき、不意に進藤の手に引っ張られた。 腕を掴まれ、そのまま抱き締められる。 「……離して」 たまきが静かに言う。 進藤は、無言で抱き締める腕に力を込めた。 「離してって言ってるでしょう」 言いながらも、その胸の温かさをどうしても振り払えない。 「…責任でも、同情でもない。俺はお前に傍に居て欲しい」 抱き締めたまま、たまきの小さな頭の上で進藤が言う。 その言葉がたまきの胸に広がってゆく。 「あれからずっと考えてた。いい加減な結論は出したくなかったんだ」 「………」 「俺は、お前が居たから医者に戻ったんだ。それなのにお前は、俺の前から消えるのか?」 「…貴方は最初から医者だったわ。私がいなくたって、平気よ」 「平気じゃない。俺はそんなに強くない」 「…強いわ」 「お前だって、俺がいないとダメになる」 「………自惚れないでって言ってるでしょ」 そっと進藤が抱き締める腕を緩める。 強がりな言葉とは裏腹に、見詰めたたまきの頬には涙が伝っていた。 「俺はずっと、お前を追いかけてたんだ。お前のことを誰よりも見てきた」 その涙を長い指で拭いながら進藤が言う。 「その泣き顔だって、他の男には見せたくない」 「…誰のせいで、こんな顔になってると思ってるのよ…」 涙で光る瞳で切なげに進藤を睨む。 「お前を泣かせるのが俺だけだとしたら、俺はそれでもいい」 その言葉に、またたまきの涙が溢れる。 「……酷い男」 そう発音する口唇を、素早く塞ぐ。 一瞬の柔らかく熱い触れ合い。 そっと口唇を離して、進藤が呟く。 「酷い男で構わない。早紀を忘れられない俺の傍に居てくれ」 その言葉に目を見開き、また涙が溢れてくる。 その真剣な瞳を抱き締めたい衝動に駆られながらも。 たまきはきっ、と、進藤を睨んだ。 「貴方が苦しむって言ってるの!」 幾筋も涙を流しながら、たまきが言う。 「本気で惚れた男なら例え妻がいたって奪ってやるわよ私は!でも貴方は…っ…」 嗚咽とやるせなさで、言葉を詰まらせる。 「貴方っていう男(ひと)は、奥さんを忘れられないまま私を抱いたりしたら、二人への罪悪感と自己嫌悪にずっと苦しむでしょう…」 伏せた瞳からまた涙が溢れる。 そんなたまきを熱い瞳で進藤は見詰める。 「そんな貴方を見てるのはきっと辛いわ。どっちにしろ私たち上手くいかな…」 言い終わる前に、進藤はたまきの口唇を再び塞いだ。 強引に口唇を割らせ、舌を絡ませる。 「……っ……っ…」 息も出来ぬほどに、口付ける。 たまきの手が進藤の身体を突き放そうともがく。 そんなたまきを離すまいといっそう強く抱き締めて、逃げる舌を執拗に追う。 たまきの涙が進藤の頬に伝う。 それでも強引に口付けし、優しく舌を絡ませる。 お互いの想いがぶつかり合う。 やがてたまきの抵抗の力が弱まり、身体から力が抜けた。 それを感じ、進藤はそっと口唇を離した。 「もう何も喋るな。お前は黙って俺の傍に居ろ」 泣きはらした瞳で、たまきは進藤の瞳を見詰めた。 強く熱く、強引にたまきを射抜く瞳。 だけど、同時に今にも泣き出しそうな程切なげにも見えた。 あぁ、この瞳に溺れたい。 もう何度も、そう願ってきた。 抱き締めてあげたい。 独りで孤独に耐えるこの人を。 抱き締めて欲しい。 貴方を求めて止まない私を。 その瞳に、捕まった。 「…命令しないで」 涙がまた一筋、頬を伝った。 それを合図に、ふたりは再び激しく口付け合った。 さっきまでたまきが寝ていたベッドに、ふたりで倒れ込む。 息も出来ぬ程に、ふたりはお互いの口唇を貪った。 進藤の舌が優しくたまきのそれを絡め取ると、たまきの手は進藤の髪を激しく掻き乱す。 進藤の長い指がたまきの顔中をなぞり、頭を強く引き寄せる。 押し付けられる口唇が痛いほどに。 苦しくて嬉しくて哀しくて、気が狂いそうだった。 進藤の指がたまきのブラウスのボタンに掛かり、外すのももどかしくてブラウスを一気に引き剥がした。 瞬間、恐怖を感じる。 その気配を感じ、進藤が口唇を放す。 涙でぐしゃぐしゃになったたまきの顔を見詰め、進藤はそっとたまきの手を取った。 中指、薬指、小指…一本一本を丁寧に優しく舐めてゆく。 じっとたまきの顔を見詰める進藤の瞳は、優しく熱く淫靡で。 お前が欲しい、と言っていた。 ぞくぞくっと背筋が痺れ、瞳が潤む。 親指から掌の柔らかい部分を舐められると、頭と身体の芯が熱くなるのが判った。 心拍数が上がってゆく。 口唇がゆっくりたまきの細い腕を上ってゆく。 柔らかい二の腕から脇の下を舌がなぞる。 たまきの口から甘い吐息が漏れた。 「たまき…」 進藤の口がそう発音する。 酷く愛しげに、聴こえた。 「今日は、優しく出来ない」 艶めいた瞳でそう告げた。 再び口付けをし、そのままブラウスから覗いたブラを激しくたくし上げ、露になった乳房を鷲掴む。 「っ…痛…」 僅かに離れた口唇が呟いた。 その口唇をまた塞ぎ、少し力を弱め乳房を揉みしだいてゆく。 たまきが進藤の首に腕を回す。 進藤の口唇が降りてゆき、身体中に紅い華を咲かせる。 その度にたまきは甘い吐息を漏らす。 上の衣類を全て剥ぎ取り、腰を浮かせスカートを脱がせる。 立った脚を口唇がなぞり、たまきはびくっと身体を震わせる。 足の指を舐め、甲を辿り丁寧に口唇が移動してゆく。 たまきの身体は震えっぱなしだった。 進藤の口唇が内腿に滑り込んだとき、思わずたまきは声を上げた。 「やっ…」 丁寧に丁寧に、内腿を舐め回す。 ねっとりと舐めると、少し音がたった。 「…ぅぅ…」 快楽の波が背筋を伝って頭のてっぺんまで響いていた。 脚が震えているのを感じると、進藤は乱暴にショーツを引きずり下ろした。 そっと指を触れると、溢れ出しているのが判る。 抑えきれず其処に口唇を当てた。 「あっ…」 思わず上がったたまきの声に欲情し、もっと乱してやりたいと思う。 ぴちゃぴちゃと音を立てた。 「やっ…」 たまきは顔を横に逸らす。 敏感な突起に進藤の熱い舌先がそっと触れると、それだけで身体中が震えた。 「…っ…んっ…ぁっん…」 舌で転がされ、淫らな声が漏れる。 それだけで思考が麻痺し、また息が上がる。 「っん!」 突起を口全体で含み、少し強く引っ張られた。 足の先まで震え、踵が上がる。 その脚を手で支え、進藤の口唇は溢れ出す泉へと移った。 何枚もの襞を一枚一枚丁寧に舌で捲り、その度に快楽の波がたまきを襲う。 甘い吐息が咲き乱れる。 やがて泉の中心に辿り着き、そっと舌を挿し入れる。 「あっんん!」 たまきが顔を仰け反らせた。 その途端、進藤の口唇が離れた。 「ぁ…?」 瞳の端に涙を浮かべたたまきが思わず疑問の声を上げる。 「悪い。我慢できない」 熱い息をあげた進藤が、素早くズボンのベルトを外す。 そそり立ったものを素早くたまきの泉へと押し付け、一気に貫く。 「…ぁあ…っ…」 目を瞑ってそれに耐える。 濡れそぼった膣内がねっとりと絡み付いてくる感覚に、進藤は酔いしれた。 一度だけ知った、その感触。 熱さも襞の感触も、懐かしく恋しかった。 「ぁ…あ…」 瞑った目に涙を滲ませているたまきにそっと口付けすると、進藤は激しく動き出した。 「きゃ…っ…あっ…あんっ…はっ…」 あの夜のことが嘘だったように、進藤は激しかった。 休む間もなく揺さぶられ続ける身体に、たまきは身体だけでなく心も熱くなった。 これが、彼の本当の熱さ… たまきの腰を抱き、更に深いところを突く。 「ひゃっ!やっ…あぁん…っ…」 進藤の激しい息遣いが聴こえる。 たまきは霞む視界の中、必死に手を伸ばした。 その手をそっと掴み、掌に口付けする。 涙が一筋流れた。 「っ!」 進藤がたまきの最奥を突く。 声を上げる間もなく、昇りつめさせられた。 自分の中が激しく痙攣するのを感じていた。 「っ!?」 霞む意識を、無理やり起こされる。 息が上がったまま、気がつけば目の前に進藤の顔。 「ぁ………」 たまきは抱き起こされ、進藤の腕に抱かれていた。 自分の中にある熱い感触は、そのままに。 激しく漏らす進藤の吐息を間近で感じる。 とても、とても熱い。 理由も判らず涙が溢れてくる。 たまきは進藤に口付けした。 首に腕を回し、激しく舌を絡ませる。 進藤が優しくそれに応える。 背中を抱いていた進藤の片手が、そっと乳房に掛かった。 口付け合いながら、揉みしだいてゆく。 全体を揉みながら、指で突起を弄ぶ。 「…ん…っ…ン…」 甘い吐息が口付けの合間に漏れる。 繋がった部分から、また溢れ出すのを感じる。 進藤のものがまた中で動き出した。 ゆるゆるとたまきの中を掻き回している。 「ぁん…あっ…ぁあん…」 口唇を放すと、たまきが淫らな声で啼く。 その瞳は快楽と切なさに潤み、妖しく進藤を誘惑する。 掻き乱しながら、指で胸の蕾をくいっと捻った。 「やぁんっ」 顔を仰け反らせると、その白い喉に口唇を這わせる。 背筋に掌を這わせながら、動きを早めてゆく。 「あっ…あっん…ひゃっ…あぁん…」 啼きながら、それに合わせてたまきも動いた。 その淫らな姿が、進藤の欲望も心も支配する。 もっともっと乱してやりたい。 欲望のままに動くたまきをもっと見たい。 一緒に、乱れたい。 奥を奥を突き、胸の蕾を口に含む。 「ひゃあぁん…ん…」 堪らず背を仰け反らせ、涙を流す。 上がってゆく腰をしっかり捕まえる。 たまきも必死に進藤にしがみ付く。 脳天まで貫かれているようだ。 いっそ、自分を壊して欲しい。 いつ壊れるか判らないふたりの関係なら。 そう思って、また涙が流れる。 一度結ばれた後の別れは、きっと何も言わず離れるより辛い。 涙が頬を伝い、揺さぶられる身体から飛び散る。 零れた涙が進藤の頬にかかった。 「っ!」 鈍い痛みを感じた。 進藤のものが壁まで届いている。 「あぁ…っ…も…ぉ…」 たまきが限界を悟る。 進藤が律動を更に早める。 欲望と熱い想いの塊を、たまきの再奥に突き付けた。 届いてくれ、と強く願って。 「ああぁ…っ…ん」 進藤の腕の中で、たまきはまた果てた。 強く進藤を締め付けているのが判る。 「く…っ…」 その瞬間、進藤も達した。 熱い液体がたまきの中に放たれた。 その感触を身体で感じ、たまきはぐったりと進藤にしがみ付いた。 進藤はそんなたまきの背中に手を回し、強く優しく抱き締めた。 繋がったまま、ふたりは抱き締め合った。 上がり切った息が、優しく元に戻るまで。 お互いの心と身体で上がりきった熱を、全身に感じながら。 繋がった部分を離すと、たまきはどさっとベッドに倒れ込んだ。 激しい快楽の後の優しい波に揺られながらそっと瞳を閉じた。 この幸せの余韻にだけ浸って眠ってしまいたい。 今このときだけは、哀しい予感は忘れたい。 そう思った。 …が。 進藤がその身体を掴み、うつ伏せにさせる。 「え…っ?」 そっと項に口付ける。 「ちょっ…やめ…もう無理…!」 「嫌だ」 耳元で囁かれ、重なった彼の体重を感じた。 耳朶を噛まれ、手はもう片方の耳の裏へ。 完全に抱き伏せられ、逃げることも出来ない。 耳裏を撫でられながら、項を舐められた。 「…っ…」 また身体が震える。 2度も達したというのに、まだ身体は求めているのだろうか。 「お前だって、まだ感じてるじゃないか…」 耳元を犯す言葉と吐息に、羞恥を感じる。 「ちがっ…」 反論しようとするも、進藤の愛撫に言葉が詰まる。 「まだ欲しいだろ…?」 そう言ってそっと指を挿し入れると、まだ乾き切っていない泉からまた新しく溢れ出す。 「…や…ぁ…」 羞恥に締め付けられる。 そっとそんなたまきの頬に口付けする。 「俺だって、まだ足りない」 熱い吐息とともに漏れる進藤の言葉が、胸を熱くさせた。 いっそ何度でも快楽に溺れてしまえば。 その間は、何も考えないでいられる。 「もっと、お前が欲しい」 艶めいた声で囁く。 「だから、もう哀しいことは考えるな」 その言葉にはっとし。 そっと進藤を見上げると、強く優しい瞳でたまきを見ていた。 「言っただろ…?何度でも読んでやるって。たまき」 そっと口付ける。 また涙が溢れる。 「たまき。もう他の男には呼ばせるな」 呟くと、進藤の口唇は降りてゆく。 背筋をなぞり、肩甲骨のくぼみに口付けた。 掌が身体のあちこちを這う。 そっとたまきの身体を持ち上げ、重力で揺れている乳房を掴んだ。 「あ…」 また甘い吐息が咲き始める。 揉まれながら両の蕾を同時に摘まれると、甘い痺れが身体中に走った。 「ひゃっん!」 思わず身体が反り、腰が突き出る。 その腰に手と口唇は降りてゆき、手で臍の周りを撫でながらゆっくりと口唇が仙骨から腰骨の周り、そして臀部へと降りてゆく。 「んっ…ん…」 吐息が乱れ、びくびくと身体が震える。 脚を開かされ、口唇が再び泉に触れた。 「やぁあんっ!」 反応する身体に、正直に声を上げる。 先ほどとは少し違う角度から泉を舐め回される。 浅いところばかりを焦らすように舐め続けられ、たまきの欲望が羞恥に勝った。 「あぁんっ…あぁ…ねぇ、もぉ…お願い…」 その言葉を待っていたかのように、進藤がたまきの腰を掴んだ。 ゆっくりそれをたまきのそこにあてがう。 一気に貫いた。 「あぁぁぁぁっ!」 獣のようにたまきは叫ぶ。 「あっ…やっ…もっ…と、ゆっ…くり…っ」 たまきの懇願も届かず、進藤は激しく動いた。 絡み合う粘液の音が、くちゅくちゅといやらしくたまきの耳を犯す。 「あ…あ…っ…」 それだけで達してしまいそうだった。 進藤の手が伸び、激しく揺れる乳房を鷲掴む。 「ひゃぁあっ…あぁ…」 必死に進藤に合わせて動く。 激しすぎると思っていたそれが、やがてもっと大きな快楽のうねりを生む。 「あ…あぁ…っ!はっ…あぁん…」 獣の如く啼き叫ぶたまきの思考は痺れ、何も考えられなかった。 「あ…あぁぁ…も、…っとぉ…」 気がつけば淫らな懇願をしていた。 ただ、快楽に身を委ねたい。 理由も判らず涙が溢れた。 その言葉に、進藤も欲情する。 「こうか…?」 更に激しく、たまきを突き上げてゆく。 「あっ…あんっ…あぁあん…っん」 悦びの涙が飛び散り空を舞う。 力が抜け切り、繋がってる部分以外をくたっとベッドに押し付けた。 それでもたまきの中は、絡み付いて更に進藤を奥へと誘う。 「…く…」 乱れた進藤の息遣いが此処からでも強く響く。 限界が近いことを、お互いが悟る。 再奥をいっそう強く突き上げると。 「ひゃぁあああっ!」 「うっ…」 たまきもいっそう強く締め付け、ふたりは同時に果てた。 たまきの脳裏は真っ白になった。 何も考えられない。 何も考えなくていい。 彼が、全身でそう教えてくれたから―― そっと頬に指が触れたのを感じて瞳を開けると、 すぐ隣に進藤の顔があった。 熱い瞳で、頬に伝った涙の後を拭っている。 「俺は、お前を泣かせることの方が多いかもしれない」 真っ直ぐにたまきを見詰め呟く。 「でも、絶対に離さない」 まだ快楽を湛えた瞳が、また霞んで進藤の顔をぼかしてゆく。 その、熱く優しく激しく哀しい瞳に、捕まったことを知る。 いや、ずっと、もうずっと前から捕まっていたのだ。 愛すれば愛するほど辛くなると判っていて、それでもその瞳に溺れたいと願ってしまったのは、私。 「…本当に、酷い男」 そう言うと、進藤の胸に顔を埋めた。 そっとその背中を進藤が抱く。 「ねぇ…ちゃんと呼んで?」 「…たまき」 流れた涙が進藤の胸を濡らしても、その言葉を聴けばたまきは微笑むことが出来た。 「…好きよ、貴方が」 そっと進藤の背中に腕を回した。 言葉の代わりに、進藤は抱き締める腕に力を込めた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |