声がする。その声を聞く度に胸がズキズキと痛み、不安な感情が誤魔化せない。 古手梨花は両手両足を拘束された状態で、ただじっと眼を閉じている。 遠くで、誰かが泣いている声がする。 誰の声なのか、なぜ泣いているのかは梨花には解らない。 けれど、声は叫んで叫んで、だけど別の誰かの声に掻き消されて。 涙は悲しみで溢れ、なんだかとっても苦しくて。 声が、名を呼ぶ。 その名は霞んで聞こえないけれど。 やがて声は消える。音が消える。何もかもが消える。 それが誰かの夢だと気づいたのは……眼を醒ましてからだった。 映像も何も無い、声だけの不思議な夢……。 其の十五「涙の果てに」 圭一の放った一発の銃弾は、しかしレナに届く寸前で地面に落下した。 無機質な金属音が境内に響き、同時に圭一の顔が驚愕に歪む。 「余計なことはしないで貰いたいな」 見上げると淵ノ鬼神が神社の屋根の上で右手を手前に出し、人差し指と中指を伸ばしていた。 圭一は判断する。恐らく何か力を使って銃弾を落としたのだろう、と。 「くっ、余計なことをしてるのはそっちだろうが。俺はレナを戻す、鬼殺弾でな!」 「馬鹿者が」 吐き捨てるように言い、淵ノ鬼神は一瞥する。 「その鬼殺弾の性能は私も把握している。だからこそ止めたのだ。貴様は……仲間が死んでも良いのか?」 「死ぬわけねぇだろ。お前は知らないだろうけどな、レナはとっても強いんだ」 「知っている。一度刃を交えたからな」 「心も、体も、何もかもだ」 「知っている。だから私はレナを鬼に変え、配下にした」 「はっ、お前何も解ってねぇな」 どこか嘲笑うかのような圭一の言葉に、淵ノ鬼神は若干表情を険にする。 「……どう云う意味だ」 「レナはな、ただ心が強いだけでも、体が強いだけでも、気高いだけでも無い。レナはな……仲間なんだよ。配下とか、鬼とかじゃねぇ。レナはレナだ! 手前 (てめぇ)はレナのそう言った部分だけしか見てないようだけどな、俺はレナが可愛くてちょっと変で料理が上手くてかぁいいものに目が無くて、それでいてよ く気が付いて、優しくて、怒ると厳しくて、嘘が嫌いで、そして誰よりも強い女の子だってことを、俺は一番良く知っている! 手前(てめぇ)はレナのことを 解った積もりでいるだけだ!!」 「なればこそ何故撃つ! 鬼殺弾を使えば竜宮レナは確実に……!!」 「死なねぇよ。レナは死なない。必ず人間に戻って、『ただいま』って言って戻って来るんだ。それがレナの強さなんだよ。全てをひっくるめた”強さ”なんだ よ」 淵ノ鬼神はレナの方に視線を向ける。 レナは黒い瞳で、ただじっと立っていた。その瞳から溢れる涙は悲しさか。 「……お前は……否、お前達は何故、そうまでしてお互いを信じられる」 視線を戻し、暗く覆われた空に浮かぶ月を見上げながら言葉を紡ぐ。 「この戦い、決して勝ち目のある戦いでは無い筈だ。お前達は武器のお陰で何とか戦えているが、それでも無傷とはいくまい。それでも……何故だ」 淵ノ鬼神が理解出来ないのも納得だった。 彼は過去、角が生えていると言う理由で迫害を受け、自然災害による被害のスケープゴートにされた。さらには愛する人を村人に痛めつけられ、村人の暴走に より、愛する人自らに命を絶たれてしまった。 そして彼はたった一つだけの感情を残して全てを捨てた。仲間と、信頼を。 だからこそ理解が出来ない。仲間と信頼にどれほどの価値があると言うのか。 「……その答えはこの銃の中にある」 圭一は静かに、まるでビデオのスローモーション再生のように銃口をレナに向ける。 レナは一歩も動かず、ただじっとしている。まるで撃たれるのを待っているかのように。 「俺はレナが、元に戻ると信じてる。そしてレナも、俺が元に戻せると信じてる」 一方的な信頼だ……と淵ノ鬼神は思った。だが、レナの方もそれを受け入れている。今は辛うじて人としての理性が残ってはいるが、それでも時間の問題だろ う。 残り僅かな理性で、レナは圭一を受け入れている。 「そうか……これが信頼……か」 「ああ。そして俺は信じてるぜ、奇跡って奴をな。その奇跡は偶然を願って生み出されるんじゃない。俺とレナの信頼の絆によって生み出されるんだ」 トリガーに指を掛ける。 静かに、ゆっくりとトリガーが引かれる。 今まで以上に五月蝿く聴こえる激音が響き、銃口から奇跡と言う名の弾丸が射出。 「帰って来い、レナ」 弾丸は竜宮レナの胸の中心を貫き、レナは地面に倒れた。 声が聞こえる。 暗い暗い空間(せかい)のハテで、まるで太陽のように眩しい声が。 ここは何処だろう。どうして私はこんな処で膝を抱えているのだろう。 声はとても懐かしい感じがした。 私はこの声を……知っている。うん、知っている。 私はゆっくりと手を伸ばす。けれど、暗い空間(せかい)は何処までも暗くて、手を伸ばしても何も掴めない。 ――イヤ。 私は叫ぶ。イヤだ。此処に居たくない。 こんな何も無い処はイヤだ。私には……そう、仲間がいるんだ。 光有る処に帰りたい。――帰りたい!! 「なら、帰ろうぜレナ」 声が聞こえた。 今度はおぼろげではなく、はっきりと。 「皆待ってるぜ、仲間の所に帰ろう」 うん、うん! 私は首を何度も何度も縦に振る。 瞬間、何も無い空間に光が満ち溢れる。厭な感情が全て消えてゆく。 私はぐっと手を伸ばす。 ―――がしっと、力強くその手が握られた。 「―――ナ、レナ!」 圭一はレナを抱えながら、名を呼ぶ。 「う……うん?」 レナはゆっくりと瞼を開き、視線を僅かに泳がせた後、圭一の方へと向き直った。 「あれ? ……わたし」 まだ意識がぼんやりしているのか、レナはまだ状況が掴めていないらしい。 「おはよう、レナ」 「……圭一くん、泣いてるの……?」 見ると圭一の眼には、一滴の雫が零れていた。それはぽろぽろ、ぽろぽろと、次々と頬を伝って流れていく。 「ば、馬鹿! 泣いてないってば!」 ゴシゴシと片手で涙を拭うも、しかし止まらない。 「私……そうだ、淵ノ鬼神と戦って…………負けて鬼にされて……それから」 レナは全てを思い出した。 圭一と戦っていたこと、圭一は最後まで諦めずに私を信じてくれたこと。 そして、彼の言葉で僅かに意識の戻ったレナが、自分に鬼殺弾を撃って欲しいと頼んだことを。 「レナ、やっぱお前は凄いよ。ほんとに凄い。さすがは俺たちの仲間だ……!」 ぎゅっと、いきなり圭一はレナに抱きついた。 「け、圭一くんっ?」 驚くが、それでも抵抗はしない。暖かい温もりが体を包む。 「よかった、レナ……本当によかった!!」 「圭一くん……圭一くぅん!」 やがてレナの眼にも、雫が溢れ出す。次々と流れる雫をしかし拭わずに。 「お帰り、レナ……」 「ただいま、ただいま、うわああぁぁぁあああぁああんっ」 雫はやがて滝となりて、レナはただただ、大声で泣き続けた。 「奇跡……か」 淵ノ鬼神はじっと、二人の少年少女が抱き合う姿を見て、呟いた。 鬼殺弾はレナの胸の中心を貫通したが、レナに一切の出血は無かった。 どころか、鬼殺弾はレナの中にある鬼の血のみを消滅させ、彼女の体はほぼ無傷で終わったのである。 全く以って、奇跡としか言い様が無い。 「だが……仲間を信じているからこそ……奇跡は起きた」 淵ノ鬼神はそっと地面に降り立つと、抱き合っている二人を見詰めるのだった。 続く。 |