其の十四「月夜の決闘」


 雛見沢村は今、淵ノ鬼神が覆った黒い瘴気によって外界から隔離されている。
 そのため昼でも夜のように暗かったが、恐らく日が暮れたのであろう。闇の深さはさらに増しているようだった。
「もう夜か……」
 圭一は顔をあげる。そこには、闇に必死に抗うようにぼんやりと輝く月の姿。
 だが、月明かりが村を照らすことは無い。
「時間が無い。急がないと!」
 タイムリミットは午前0時。古手神社の階段を上る。バットを持つ手に汗が滲む。

 階段を上りきり、古手神社の境内に辿り着く。
 その正面、社の屋根の上に黒い影が一つ。
 圭一は金属バットを構える。影が言葉を発する。
「良く来たな。贄はこの中だ」
「梨花ちゃんを返せ!」
「それは出来ない」影、淵ノ鬼神は首を横に振る。「大事な生贄なのでね。我が願い達成のために」
「てめぇの都合なんか知るかよ! 梨花ちゃんは俺達の大事な仲間だ!」
「そちらの都合も私は知らない。古手梨花は私の大事な生贄だ」
 圭一は唇を噛む。
 淵ノ鬼神は決して崩さない表情で、圭一を見る。
「古手梨花を返して欲しいか」
「当たり前だ!」
 バットを振る。風を切る音が境内に木霊する。
「ならば……我を倒してみよ。我を倒さぬ限り、贄は決して助からぬ」
「んなの解ってるよ。だからてめぇをぶっ飛ばしに来たんだ!!」
 バットの先端を淵ノ鬼神に向けながら、圭一は叫ぶ。
 そんな様子に薄く笑いながら、淵ノ鬼神は言う。
「ほう……我を倒すか。だが、残念ながらお前の相手は私では無い」
 後ろに下がる。同時、もう一つの黒い影が現れ、瞬間――跳躍した。
「!?」
 ズゥゥン……と言う衝撃音と共に、境内が揺れた。
 もうもうと立ち込める煙の中、一つの影がゆらりと揺れる。
 地面に突き刺さった何かを引き抜くと、ひた、ひたと足音を立てながらゆっくりと圭一に向かって近づいていく。
 煙が晴れる。深い闇は、しかしお互い至近距離のために顔を確認することは容易だった。
 それ故に信じられない。圭一の顔に、疑問が浮かぶ。
「……どう言うことだよ」
 嘘だ。これは何かの間違いだ。圭一はそう思いたかった。
 目の前にいる人物は、静かに佇んでいる。
 そこに、いつもの優しい瞳は無い。
「冗談だろ……?」
 半笑いになる。ああ、きっと悪い夢を見ているんだ。そうに違い無い。
 だって、こんな馬鹿なことがあるかよ。俺にそんな馬鹿でかいモン向けて……。
 その黒い服はなんだよ? いつもの白い服はどうしたよ?
 いつもの……いつもの可愛い笑顔はどうしたんだよ!
 ええ、おい!!
「何やってるんだよ……レナァァァァァァアアアアアア!!!!」
 圭一の怒号が響く。
 彼の目の前に立っているのは、紛れも無く竜宮レナ。
 だが、普段の彼女とは違っていた。
 頭の角、黒い服、そして巨大な……鉈。



「彼 女の心は気高く、美しい。だから私の中の鬼の血を竜宮レナに注入し、配下にした」
「……な、んだと」
「感謝して欲しいぐらいだ。私が彼女を鬼に変えなければ彼女は紛れも無く死んでいただろう」
「巫山戯るな!! そんなことして助かっても、レナが喜ぶわけ無いだろ! 元に戻しやがれ、今すぐに!!」
「無理だな」淵ノ鬼神は頭(かぶり)を振る。「一度鬼に変えた者を戻すことは出来ん」
「そんな……レナ」
 圭一の顔が悲しみに歪む。レナはそんな彼をただ、光の宿らない瞳で見据える。
「竜宮レナ……いや、鬼レナよ。その男を……殺せ」
「はい、淵ノ鬼神様」
 感情の篭らない、深く重い声。
 ゆっくりと、鬼レナは巨大な鉈を振り上げる。
「や、やめろよレナ……俺たちは仲間だろ?」
 地面に倒れ、震えながら圭一は言う。
「……知らない。私の主は淵ノ鬼神様だけ。その頭、一撃で叩き割ってあげる」
 淡々とした口調。そこには、普段の面影は微塵も無い。
「……畜生」


『梨花ちゃんを助けないと。……早く行ってあげて。大丈夫、これくらいレナ一人でやっつけられるよ』


 信じてた。


『圭一くんは梨花ちゃんを……仲間を見捨てるの? 違うよね。……圭一くん、わたしたちは仲間だよ。仲間同士で嘘なんか言わないよ……だから……仲間だか らこそ信じて。レナなら大丈夫だから。……これくらい、レナ一人でやっつけられるよ』


 信じてた。


『あ、ねぇ……この戦いが終わったら、圭一くんに言いたいことがあるんだ、聞いてくれるかな、かな?』


 信じてた、信じてた、信じてた!!


 レナなら必ず、必ず追いつくと信じていた!


「なのに……何やってるんだよ……お前」
 圭一の頬を涙が伝う。金属バットを握る拳に力が篭る。
「何やってんだよ……」
 鬼レナはそんな彼の様子を気にも止めずに何の躊躇いも無く鉈を振り下ろす。
 それを金属バットで受け流し、圭一はあらん限りの大声で怒鳴る。
「何やってんだよ、お前はぁぁぁぁぁああああ!!!!」
 びりびりと空気が振動する。僅かに木々が揺れる。
 それは圭一の怒りの声。
 レナに対してではなく、レナを守れなかった己自身に対しての怒りの言葉。
「良いぜ……そっちがその気なら、俺も相手になる」
 金属バットを構える。
 鬼レナも同じように鉈を構える。瞳にはやはり、光は無い。
「うおおおおおおおっ!!」
 猛然とダッシュする圭一に対し、鬼レナは1ミリとも動かない。
 空気を吹き飛ばすように振り下ろされる金属バット。弧を描きながら、一直線にレナの頭部を捉える!
 だが、鬼レナは僅かな動作でバットの攻撃を弾く。
 圭一は攻めるのをやめない。縦に、横に、斜めに、時に突き、鬼レナを攻撃する。
 その全ての攻撃を、鬼レナは鉈で弾き、流し、防御する。

 神社の境内の中、金属と金属のぶつかり合う音がする。
 それは一つの音楽を奏でていた。
 時に緩やかに、時に激しく、時に熱く。そして、悲しく。
 観客は淵ノ鬼神ただ一人。彼は両者の戦いを屋根の上で見続けているだけ。

「はぁ!!」
「……ふっ」
 風を薙ぐように振り下ろされる金属バットの攻撃を静かに弾く。
 少ない動作で確実に。

 ――分校の屋根の上の映像が映像がフラッシュバックする。

 ガキィンと甲高い音がし、しかし圭一の攻めは止まない。
 鬼レナも負けじと反撃する。

 ――少女と少年が屋根の上でぶつかり合う。

「……!」
「ぐっ」
 鬼レナの持つ巨大な鉈は厄介だった。金属バット程度では受け流すのが精一杯。
 
 両者は離れ、一度体勢を整える。
 息が乱れる。いや、乱れているのは圭一だけ。
 あれだけ激しく打ち合っているのに、鬼レナの表情は変わらない。息すら上がっていない。
「なぁ……レナ」
 圭一がぽつりと呟く。
「……斯う言うことさ、どこかでやった覚えが無いか?」
 鬼レナの表情は変わらない。しかし、僅かに眉がぴくりと動いた。
「お前と打ち合っている時にさ、頭の中で別の世界の記憶が過ぎったんだよ。IFの世界……否、これはきっと、現実に起こった記憶なんだ」

 それは狂気によって暴走したレナが、教室にガソリンを撒いて篭城する世界。
 圭一は屋根の上でレナと激戦を行い、レナの心を狂気から救った。
「あの戦い……凄かっただろ? 部活の水鉄砲対決みたいでさ……燃えたよな」
 圭一は訥々と語る。
 レナとの戦闘中に過ぎった記憶は紛れなく事実。
「部活……戦い……う、ううう」
 鬼レナの表情が僅かに歪む。片方の手で頭を抑え、唸りだす。
「思い出せレナ。お前は鬼なんかに負ける弱い奴じゃない筈だ! あの世界でお前は自分の過ちに、間違いに気づけた! 狂気に走って仲間を殺した俺とは違っ て……お前は自分で気づけた!! 今度も気づける筈だ! お前は強いから! 誰よりも強いから!! それに、俺はまだ……お前が言いたかったことを聞いて もいない! 目を醒ませレナ!!!」
「あ……あああっ……け、い……いち……く……あああああっ!!!」
 苦しそうに頭を抑え、もがきだす。右手の鉈が地面に落ちる。
 両手で頭を抑え、レナが苦しそうに喘ぐ。
「はぁ……ああ……はぁ……けいいち……くん?」
 焦点の合わない瞳。だが、先ほどまでの光の無い彼女の瞳とは、どこか違っていた。
「レナ……レナなのか!? 元に戻ったのか!?」
「違う……私……わたしは……鬼……淵ノ鬼神様の……下僕(しもべ)……違う、私は圭一くんたちの……な、なかま……うああああああああっ!!!」
「レナ、しっかりしろ、レナ!」
「ダメ!!!」
 圭一はすぐさま駆けようとする。だが、それはレナによって制せれられる。
「ダメ……近づいちゃ駄目。レナの中の鬼の血は残ったまま……。いつか私の自我は完全に消えて……鬼レナとしての心が残る……」
「そんな……どうすれば良いんだよ!?」
 レナはすっと、人差し指を圭一のズボンのポケットに向けた。
「鬼殺……弾」
「……え?」
「鬼殺弾をレナに撃って。鬼殺弾は鬼の細胞を瞬時に死滅させる弾……。だからきっと……うっ、れ、レナの中にある鬼の血を……消滅させることが……で、出 来る……筈」
「馬鹿! 鬼殺弾は確かに鬼の細胞を破壊する。だけど、同時に雛見沢症候群をレベル99まで上げるんだぞ!! レナは死ぬ。間違い無く……」
「レナは死なないよ」
 真っ直ぐな瞳。黒い瞳が、しかしいつものレナのような瞳で圭一を見詰める。
 圭一は顔を伏せる。地面に膝を折り、拳を思いっきり地面に叩きつけた。
「出来るわけないだろ!! そんな……そんなこと……出来るわけが!!」
「大丈夫だよ」
 柔らかい声が圭一の耳に聞こえた。
 顔を上げる。レナは変わらぬ表情で圭一を見る。
「レナは死なない。だって信じているから。圭一くんを」
「レナ……」
「だからね、圭一くんも信じて。……レナを……信じて」
 すっと両手を広げる。
「……解った」
 圭一は銃を取り出す。銃口をレナの胸の中心に向ける。
「レナ……必ず、必ず帰ってこいよ」
 涙が視界をぼやかせる。レナも動揺に、瞳から涙が溢れている。
 圭一は静かにゆっくりと、銃の引き金を……引いた。


『圭一くん、レナね……




 圭一くんのこと………………大好きだよ』