其の十三「森の中の決着」
森の中を、一人の妖精が舞っている。
踊るように、靡くように、ステップを踏みながら、森の中を。
そんな妖精を追う一匹の鬼。禍々しい気迫を発しながら、木々をなぎ倒しながら。
「グヌヌヌ……チョこまカト!!」
鬼の中でも上位に位置する上鬼が、憤怒と焦りの交えた声で叫ぶ。
上鬼は僅かにプレッシャーを感じていた。追い詰めている、其の筈だ。なのに、あの少女の余裕は何なのだ。
森の中を舞う妖精、ちらりとこちらを伺う時に見せる表情は笑み。
「鬼さんこちらーですわ♪」
ぱんぱんと頭上で手を叩きながら、踊る。走る。
「キサマ……舐めルな……人間風情ガ!!」
上鬼の怒りは最高潮に達していた。乱暴に大地を踏み荒らしながら、獲物を追う。
だが、一向に距離は縮まらない。縮んだと思ってもまた距離を離される。
まるで雲と虹。近くて遠い虹。空を漂う雲。掴もうと思っても、掴めない。
――ソんナ馬鹿なコトがアルか!!
上鬼は拳を握る。鋭い爪が掌を突き抜け、甲を貫通する。
流れ出る血。それすら気にせずに走る。走る。走る。
「そろそろですわね」
沙都子が足を止めた。それはダンスの終わり。森の妖精の休息であろうか。
「ふん、足を止メタなァァァァァア!!」
これがチャンス、とばかりに上鬼は加速した。
だが、沙都子の表情は焦りどころか、余裕の笑み。それは踊っていた時からしていた、あの時の表情のまま。
上鬼はそれに気づかない。ただ、真正面の獲物を仕留めることのみに神経を集中させる。
血の滲んでいる腕を大きく振り上げる。
「死ネェ―――――――!!!」
「チェックメイト、ですわ♪」
パチンと指を鳴らすと同時、上鬼の躰が何か糸のような物で絡め取られる。
ギシギシと黒霊子ごと皮膚に喰い込み、上鬼は悶絶する。
「グ……アァァァアア」
何が起こったのか、上鬼は理解出来なかった。
相手が動きを止めた。そのはずだ。其の筈だった。
改めて辺りを見回す。そこは森の中でも最も暗い場所だった。
上鬼は二本の木の間に挟まれる形で動きを止めて……否、止められていた。
「何ダ……コレハ……」
「テグス、釣り糸ですわ。この辺りは私のトラップの中でも最高傑作ですのよ。最も、あまりに危険過ぎるので仲間が引っ掛からないように、近寄らせないよう
にしてるんですわ」
他のトラップに引っ掛かるのなら沙都子としても良い。
だが、ここだけは別だった。
「このテグストラップはもしもの時のために作りましたの。山狗のような方々がまた梨花を狙った時のために。相手も人間ですから、出番無い方がよかったので
すけれども」
腕を伸ばす。メジャーのような物が握られていた。
「ですが、貴方のような外道に遠慮は要りませんわね。流石の黒霊子もそうなってはただの黒いマントですもの」
「ダ、だガ! 我にハ霊子黒結界が有ルことヲ忘レたガァ?!」
ぐいっと沙都子がメジャーを引っ張る。上鬼の躰を絡めていたテグスが全身を締め付ける。
「そんなの関係ありませんわ。このまま貴方の体をバラバラにすれば宜しいことですもの」
「馬鹿ガ。この黒霊子がこンな糸如キに破られるものカ!」
「それはただのテグス……釣り糸ではございませんわ」
「……何?」
「この糸は番犬の方に頂いた特別性ですのよ。どんなに硬い物でもすっぱりと切ってしまう優れもの且つ危険な物ですの」
本当は欲しく無かったのですけれど無理矢理に……と一人ごちる。
「我の黒霊子は……如何なるモノの攻撃モ……」
「跳ね返し、無効にする……でしたわね。ですが、それは飽くまで鉈での攻撃とか銃による向かってくる攻撃に対してのみ、ではございませんこと?」
沙都子は人差し指を立てて言う。
「こんな風に捕らえられては、何も出来ないのではございません?」
「グ……」
黒霊子は確かに、物理的、霊的な攻撃を受け付けない。
だが、それは「攻撃」に対してのみ。
相手を捕らえる、捕縛する物に対しては効果を発揮しない筈と沙都子は踏んだのだ。
「ですから、チェックメイト……なのですわ」立てていた人差し指を上鬼に向ける。
沙都子の笑みは勝利を確信した笑み。
「グ……ハハハ……ハ―――っハハハハハハハハハ!!」
「何が可笑しいんですの!?」
「ァア……我の負ケダ。認めヨウ……。久方振リに良イ戦いガ出来タ。悔いハあルが、満足ダ……」
「……貴方」沙都子が僅かに目を細める。
「サあ、殺れ」
沙都子は静かに、しかり力強くワイヤーを引っ張った。
「私は、梨花を……友人を傷つけた貴方方を絶対に許しませんわ!」
テグスが上鬼の四肢を引き千切る。黒霊子ごとバラバラに四散する。
沙都子はくるりと背中を向ける。ボロボロの衣服。肌蹴た胸元を抑えながら。

上鬼を撃破した辺りから離れ、沙都子は森の中を歩く。
静かだった。先ほどまで戦っていたのが嘘みたいに。
でも、外ではまだ戦いが続いている。愚図愚図してはいられない。
「早く梨花の元に行きませんと」
そう呟いた瞬間、どこからか知った声が聴こえた。
「沙都子、やっと見つけたよ〜」
ガサガサと茂みを掻き分けて現れたのは、銃を二つ構えた魅音だった。
「魅音さん、どうして此処に? それに、その姿は何ですの、レディーとしてはしたないですわよ」
「沙都子だって似たようなものじゃん……」苦笑しながら言う。「それより、大丈夫?」
「をーっほっほっほ! 私を誰だと思ってますの? 上鬼ぐらい楽勝ですわ!」
それを聞いた魅音の表情が驚きに変わる。
「嘘!? 上鬼を倒したの!? 沙都子やるじゃん!!」
「当然ですわ! ……ところで」
ちらりと視線を魅音の背後に向ける。
「どったの?」首を傾げる魅音。
「後ろにいらっしゃる方々はお友達ですの?」
「へ?」くるりと後ろを向く。「じ、上鬼!? しかも三体も!!」
「はぁ……着られていることに気づかなかったんですの?」
「あちゃ……どうしよっか」
苦笑いをする魅音だが、それは沙都子も同じだった。
「一難去ってまた一難……ですわね」はぁ……と深い溜息が出る。
「ゲゲゲゲ、小娘ダ……美味そウな小娘ダ……」
「アアア……その綺麗で柔らカそウな肌をグチャグチャに引き裂キてェ……!」
「覚悟シテもラうゾ……娘どモ」
一体だけちょっとまともかな、と思う魅音と沙都子だった。
「魅音さん、鬼殺弾は?」
「ごめん……此処に途中でほぼ使っちゃった。残りは一発ぐらい……」
「私の助けに来たと思われますが、どうして弾を温存しておかないんですのー! 空気ぐらい読んでくださいですわー!!」
「読んでるもん沙都子の馬鹿――!!」
「読んでませんわ魅音さんの馬鹿――!!」
こんな時に言い合いは余裕があるからなのか、追い詰められて切羽詰っているからなのか。まぁ、後者だろう。
そうこうしている間にも、上鬼三体が一斉に襲い掛る。
刹那、三発の銃音と共に上鬼三体が一斉に消滅する。
「何!?」
魅音が音のした方、詰まり自分達の後ろを振り返る。
そこに立っていたのは、銃を構えた一人の男。小此木だ。隣にいるのは、葛西。
「あんた……それに葛西まで!」
「部長さん、借りを返しに来やしたぜ」