ひぐらしのく頃に


贄漆し編



其の12「奇跡の再会」




 入江は診療所の地下の中で椅子に腰掛け、すっかり冷たくなったコーヒーを啜る。
 きぃ、と椅子の軋む音が静かな部屋に響く。
 彼の表情は僅かに沈んでいて、ただ一点、とあるベッドを見詰めている。
「……大丈夫でしょうか、彼らは」
 そんな入江の不安の色を含んだ声に、鷹野は柔らかく微笑みながら、どこか自信に満ちた口調で言う。
「大丈夫ですわ。あの子達なら。いいえ、あの子達だからこそ……では無いかしら?」
 後ろで髪を束ねる時に使っていたリボンを外す鷹野。
 入江はそんな彼女の仕草にも目を向けず、ぽつりと呟く。
「そうですね。それに……今、最強の助っ人達が向かってますし」
 そう言う入江は今、白衣は着ていなかった。


「参りましたね……こりゃ」
 たらりと冷や汗が流れる。僅かだが、躰が震えている。
 ああもう、お姉にあんなかっこいいこと言った手前だと言うのに。
 服もすっかりボロボロですし、こんな姿、悟史くんには見せられませんね。
 見られたらもう、恥かしくて死んでしまいそうです。
「けど、これを切り抜けないと、先に行って貰ったお姉に申し訳が立ちません」
 鬼殺弾の弾数は残り五発。やれるか?
 ……やれるか、じゃない。やるしかないんです!
「さあ、残るは中鬼が一匹と上鬼が一匹だけ。覚悟して貰いますよ!」
 中鬼の一匹は首にナイフを刺し、動けなくなった所を鬼殺弾を撃ちこむ形で倒した。
 残るは二体。しかし、上鬼がかなり厄介な存在だ……。
 まず、上鬼は黒いマントっぽいのを身に付けていて、ほとんどの物理攻撃を遮断する。それは私が今持つ鬼殺弾も例外ではない。
 中鬼も知性とかは下鬼とさほど変わらないにしても、皮膚があまりにも硬いのだ。
 先の中鬼はなんとか倒すことが出来たが……。

 ……考えても拉致が開かない。ここは……

「特攻するのみ!」
 私は左足を蹴るようにして、中鬼の正面に飛び出す。咄嗟のことに判断が遅れ、中鬼の動作が僅かにブレる。
「はっ!」
 懐にしまってあった予備のナイフを投擲。しかし、硬い皮膚に弾かれてしまう。
「くっ!」
 着地。そしてバックステップ。
 乱れた前髪が額を打ち、しかし私は顔を上げて前を見る。
 トスっと、先ほど投げたナイフが地面に刺さる。
『小娘ガ……。何をシよウともムダだ』
 上鬼が言葉を発した。
 なんて言う下品な喋り方なんでしょう。淵ノ鬼神……でしたっけ? 彼の方がよほど紳士的でしたね。
「無駄かどうかは私が決めることです。あなたには関係ありません」
 腰に手を当て、銃をひらひら振りながら私は言う。
「私はあなた達を倒します。絶対にね」
 言葉と同時、痺れを切らしたのか、中鬼が真正面から突っ込んでくる。
 やれやれ、もう少し待てないものですかね。……ま、所詮は馬鹿な鬼ですか。
 私は心の中で揶揄しながら、腰に当てていた腕をぐっと後ろに引っ張った。
 瞬間、地面に突き刺さっていたナイフが抜ける。
 そのまま掬うように腕を上へと振り上げる。
 地面から離れたナイフはそのままこちらに向かっていた中鬼に当たり、僅かに中鬼の動きが止まった。
「止めです!」
 銃を構え、一片の迷いも無く弾丸を二発、中鬼の単眼目掛けてぶっ放す!
 ドン! と言う銃撃音と噴煙が舞い、二つの弾丸が中鬼の単眼を貫通。
 激情な声と断末魔のような雄叫びの後、中鬼は頭から地面に倒れ、死滅した。

「……ふぅ」
 と、一息。
 薄暗い森の中、ナイフを再び握る。
『ナぜ、ナイフが戻ッテ来た?』
「簡単ですよ。ナイフのグリップに透明な糸を結んでおいたんです。地面に突き刺さってもすぐに引っこ抜けるぐらい強力な……ね」
『ナるホド。人間ノ癖に中々デキる』
「鬼に誉められても、あまり嬉しくありませんね」
『ダが、コレで勝ったト思ワナいことダ』
 ばっと上鬼が右腕を振り上げた。大きくて、禍々しい腕が露となる。
 刹那、上鬼の背後から現れるのは中鬼。それも3体。
「おやおや、せっかく1対1(サシ)で勝負かと思いましたのに……」
『甘イな。小娘……』
 上鬼が振り上げていた手を一気に振り下ろす。
「っ!」
 斬撃と言う名の突風が全身を打ち付け、私は背後の木まで吹っ飛ばされた。
「がっ!!」
 背中に鈍い音が響いた。……口が鉛のような味……。凄く、気持ち悪い。
 吐き出すと、濃く赤い液体が出た。……これは……拙いかもですね。
 脇腹……背中……あと肋骨が少々持っていかれましたか。

 上鬼が静かに、新たに現れた中鬼とこちらに向かって歩を進める。
 もう、これで終わりなのだろうか。
 鬼殺弾はまだ三発残っていると言うのに。
 躰が最早、言うことを聞いてくれない。

 こんな時だって言うのに、否、こんな時だからこそ……空を見た。
 時間的にはまだ夜じゃない筈なのに……空は暗くてどこか寂しげで。

「ごめんね……お姉……皆……」
 約束、果たせそうにありません。
 そして……ごめんね、悟史くん。


『沙都子のこと、頼むからね』


 悟史くん、約束果たせそうに無いです。沙都子のねーねー失格ですよね。
 大丈夫ですよ、沙都子には……皆がいますから。

 上鬼が中鬼が、私を取り囲む。
 あ、あはは。嫌ですね。なんだか暴行されそうなシチュですよ?
 きっと次の瞬間には、私は肉一つ残らないんでしょうか。
 こんな不細工な鬼達の餌になるなんて、私真っ平御免ですよ……。

『  ■■■―――――!!!』

 刹那、中鬼の一体が激しい雄叫びを上げた。
 それは襲うための気合の雄叫びではない。……これは、苦しみの咆哮。
 雄叫びと同時に聴こえた銃撃音はどこから?

『……何?』
 上鬼が僅かに後ずさる。そしてキョロキョロと辺りを見回す。
 私は一瞬何が起きたのか解らなかった。解るのは、私はまだ生きていることだけ。
「大丈夫、詩音?」
 え!?
 私は思いっきり振り返った。背中が痛いのも構わず。
「ああ……あ」
 これは、夢なのだろうか?
 そんな、そんなことって。ああでもでも、そんな!!
「むぅ……ボロボロじゃないか。酷いなぁ」
 でも、間違い無い。
 こんな風に、ちょっと困った顔で「むぅ」なんて言う人物は……世界中探しても一人しかいない。
 もうこの際夢でもなんでも構わない。
 今私の目の前に……悟史くんがいるなんて、これを奇跡と言わずして何と言うのだ!!



「悟史……くん?」
 私はおそるおそる訊ねる。彼はゆっくり微笑んで、言った。
「うん、そうだよ。……お待たせ、詩音」
 瞬間、啖呵を切ったように目から涙が溢れ出す。
 悟史くんは困ったように、しかしそっと優しく目から溢れ出す涙を拭う。
「悟史くん! 悟史くん悟史くん悟史くん悟史くん悟史くん!!!」
 思いっきり抱きつき、私は悟史くんの胸の中でわんわん泣いた。
 後ろに鬼達がいると言うのに。いや、そんなの知らない。
 鬼だろうがなんだろうが、私と悟史くんの再会の邪魔はさせない!!
「ごめんね詩音。遅刻しちゃった。……でも、安心して。僕も一緒に戦うから」
「悟史くん。……ひょっとして、今の狙撃は悟史くんが?」
 私が尋ねると、悟史くんは手にしていたライフル銃に視線を向けながら言う。
「うん、まぁね。ちょっと怖かったけど、詩音を守らなきゃって思ったら、そんな気持ち吹っ飛んでた」
「悟史くん……」
「詩音は下がってて。後は僕がやるから」
 そう言うと悟史くんは立ち上がり、着ていた白い上着を私の肩にぱさりと被せる。
 ……この白い服、どこかで見たような……。あ、
「これひょっと……監督の?」
「うん。監督がきっと詩音さんの服はボロボロでしょうから持っていって着せてあげなさいって」
 ……全く。監督も余計なことをしてくれます。
「で、でもどうして……。悟史くんならまず、沙都子のところに行くはずでしょう?」
「むぅ、沙都子は裏山にいるんだろ? なら、沙都子には何か考えがある筈なんだ。たとえ危機に陥っても、そこで諦める沙都子じゃない。きっと状況を打破す るトラップを考えつく。そこに僕が行ったら逆に沙都子の作戦の邪魔をしてしまうことになるよ。それに僕はあの裏山はちょっと苦手でさ……。だから、詩音の ところに来たんだよ」
「悟史くん……」
「詩音は大切な……大切な友達だから。だから守るよ、僕が。僕が君を守る!」
 悟史くんのその言葉は、とても強くて、猛々しくて。
 私はもう、嗚咽を堪えきれなくなり、再び彼の胸の中で泣いた。
「む、むぅ……泣かないでよ、詩音……」
「だって……だって…・・」
 その時、背後から地面を思いっきり踏みつける音がした。
 振り返ると、上鬼が僅かに苛立ちげに爪を鳴らしている。
『……貴様カ。我が配下ヲ殺っタのハ?』
「うん、そうだよ。……それより」
 悟史くんが、私の時とは違う、冷たい口調で言う。
「詩音をこんなにしたのは誰……? お前?」
 上鬼をきっと睨みつける。その顔は、どの悟史くんの顔よりも……怖い。
『我ダが、ソれガどうシタと言ウのダ』
「そう、君が」
 悟史くんが、ライフル銃を構えた。刹那、中鬼二体が一斉に襲い掛る。
 反射的に私が目を伏せた瞬間、一匹の激しい断末魔が木霊する。
『……真逆(まさか)』
 上鬼が驚きを含んだ声を出す。
 私も、不本意だけど上鬼の驚きには同意せざるを得ない。
 悟史くんが、寸分の違わぬ正確さで見事に中鬼の眼(まなこ)を撃ち抜いていた。
 しかし、もう一匹の中鬼がこちらに向かって来る。
「甘いよ」
 再び銃を握り、何の躊躇いも無く、悟史くんはトリガーを握る。
 パァンと言う破裂音と共に、中鬼が後ろに仰け反るように吹っ飛んだ。
『貴様……』
 上鬼が憤怒を露にする。けれど、悟史くんはそんな上鬼に向かって一切の慈悲も無くライフルを構えて弾丸を放つ。
 中鬼が死滅したと言うことは、悟史くんが持っているライフルの弾は「鬼殺弾」だろう。
 照準を上鬼に向け、数発の破裂音が黒い海に木霊する。
『無駄ダ。我のマントは『黒霊子』。物理的な攻撃ハ勿論、霊的なダメージも無効ニすル。貴様がイくラ鬼殺弾トヤラを撃とウとモ、我ニ届くコトはなイ』
「それはどうかな」
 悟史くんが不敵に笑う。わわ、悟史くんかっこいい〜!
『何ダト?』
 何を思ったのか、いきなり悟史くんが上鬼目掛けてダッシュする。
『!?』
「詩音、ナイフを!」
 悟史くんが叫んだ。
 ……ナイフ? 今ナイフには見えない糸……糸……そうか!
「はい!!」
 私は上鬼の足の横目掛けてナイフを投じる。瞬時に腕を水平に。
 投じられたナイフに巻かれていた糸が上鬼の足に絡みつき、バランスを失った上鬼が地面に背中から倒れた。
『な、ナんダとオオオオオ!!!』
「覚えておくんだね。僕の仲間を傷つける者は、誰であろうと許さない」
 そう言うと悟史くんは上鬼の胸の上に立ち、銃をその単眼に突き当てる。
『き、キさっ――』
 上鬼の鋭い爪の生えた右腕が振り上げられた瞬間、上鬼の眼が撃ちぬかれる。
 破裂音の数はざっと十発。
 鬼殺弾を注入され、上鬼の中の鬼の細胞は死去、振りあがっていた腕からどろっと泡のように融解した。
「……勝ったん……ですね」
 ぽつりと呟く。そんな呟きに応えるかのように、悟史くんは柔らかく微笑んだ。