ひぐらしのく頃に




贄漆し編




其の11「竜宮レナの死」




「はぁ……はぁ……はぁ」
 既に、いつ倒れてもおかしくは無かった。
 きっと誰もが、もうやめた方が良いと止めるに決まっている。
 戦うための武器はもうほとんどボロボロで、彼女自身もボロボロだった。
 残された武器は鉈が一本。けれど、それも何回か打ち合うと砕けるだろう。
 そしてそれを振るう竜宮レナ自身も、全身傷だらけだった。

 ――否、傷なんて生易しいものじゃない。
 額から流れる血で片目は塞がれ、左脇腹にドス黒い血が溢れ、それを痛々しそうに抑えている。
 胸元から上にも切られたような後があり、深い。
 服はもう下着を隠すのが意味無いほど破れていて、それでも彼女は立っている。
 まだ、動ける。
 約束したから。
 大好きな彼と約束したから。
 鬼を倒して古手神社に向かうと。
 彼は信じてくれている。
 レナが来ることを、信じている。
 だから戦える。
 だから力が衰えない。
 たとえ鉈が使えないようになろうとも。
 まだ、必殺の拳がある!
「やあああああっ!!!」
 迫る下鬼に向かって瞬速、否、神速のストレートを繰り出す。
 鈍い音と共にレナの拳が下鬼の腹部にめり込み、悶絶させる。
 止めとばかりにレナは手にした鉈の峰部分を使って吹っ飛ばす。
 ピシっと、鉈にさらに罅が入る。
 レナは体勢を立て直し、残りの鬼に立ち向かおうとした、その時だった。
 下鬼達の動きが、ぴたりと止まる。
 今まで知性も何も無く、ただ本能の赴くままに動いていた、下鬼が。
 無数の影が、渦を巻いて舞っている。
 それはまるで小さな竜巻のように。
 やがて黒い竜巻が終わると、中から何かが現れた。
 黒いマントを羽織り、鋭く尖った一本の角に赫い両眼。胸の部分に眼のような飾りを纏い。
 鬼達全てを統べる者が今、竜宮レナの前に存在している。

「あなたは……淵ノ鬼神」
 レナが、苦虫を噛み潰したような顔をする。
 どうして、どうしてこいつがこんな所に。
「ほう……これだけの下鬼をそんな武器でここまで倒していたのか。……おもしろい少女だ」
 淵ノ鬼神は屍骸と化した下鬼の山を眺めるようにして見、感心するような口調で言う。




 レナはそんな彼の言葉を無視して問いかけた。
「どうしてここにいるのかな…かな? 梨花ちゃんの所にいなくてもいいの?」
「贄には上鬼を5体張らせている。問題はない」
 事も無し気に言う淵ノ鬼神。まるで勝利は揺るがないとでも思っているかのように。
 レナは口元を弓に曲げると、まるで挑発するかのように言葉を紡ぐ。
「へぇ。じゃあ、あなたと1対1でやりたいな。ここにいる鬼たちを全員倒すよりそっちのほうが簡単そうだし」
 それを聞いて淵ノ鬼神は「おやおや」と言うような顔をする。
「そんな武器で私と戦うと?勝算があるようには見えないのだが……」淵ノ鬼神はレナの全身を足から頭部まで舐めるようにして見て「ふふ……万が一勝てたと しても、その傷……出血量……確実にキミは死ぬぞ」
「勝負のあとのことはどうでもいいよ。それに、レナは勝つ気マンマンだよ」
 まるで本当に勝つ気であるかの如く、レナは自信を持ってはっきりと言う。
 淵ノ鬼神はそんな彼女の言葉を聞き、笑みを浮かべる。
「ふふ…………不屈の精神、気高き心、キミの目を見ていると解る。殺すには惜しい……良いだろう、その勝負受けよう。名はなんと言う?」
「……レナ。竜宮レナ」
「『竜宮レナ』……その名、覚えておこう。――では、行くぞ」
「いつでも!」

 レナは手に持った鉈を構え。対照的に淵ノ鬼神は構えも取らず、ただじっとしている。
 何故構えない? 考えるだけ無駄だ。レナは無粋に突っ込むことはせず、距離を保ちながら接近のチャンスを伺っている。

 ……だが。

(隙が……ない)
 一切構えて無い淵ノ鬼神だが、それが逆にどの構えよりも一切の隙を打ち消している。
 どこから来るのが、どんな攻撃を仕掛けてくるのか、一向に読めない。
(だったら)
 レナは大地を蹴って淵ノ鬼神目掛けて突進する。
 鉈を大きく縦に弧を描くように振り上げ、先制の一撃を鬼神に喰らわせようと跳躍する。
 だが、淵ノ鬼神は避けるどころか決して動かない。
 そのまま鉈が振り下ろされ………………る直前、バチィっと、火花が飛び散ったような激しい音と共に鉈がレナもろとも弾き飛ばされた。
「っ!?」
 なんとか地面に着地するも、今の衝撃で鉈の刃の半分以上が砕け散り、最早武器としての役目は果たし終えた。
「今の……何」
 何か見えない壁のようなものに弾かれたような感覚がした。
「今のは『霊子黒結界』。私が身につけているマント、『黒霊子』の力はあらゆる物理的、霊的攻撃を無効化する物でね。『霊子黒結界』はその力を霊子エネル ギーとして放出し、結界……君達の言葉で言うなら『バリア』のような役割を果たしているのだよ」
 淵ノ鬼神は淡々と説明する。
「これで君の武器は何も無い。どうやらその『鬼殺弾』と言う弾はもう無いようだしね。こうも簡単に決着が着いてしまうとはね」
 どこか面白くなさそうな口調の淵ノ鬼神。レナはそんな彼に不満の声を投げかける。
「勝手に終わらせないで欲しいな。レナはまだまだ戦えるよ……!」
 
 それは虚勢に近かった。
 先の結界に弾かれた影響により、レナの脇腹の傷が更に広がったのだ。
 実際、こうして立つだけでも辛い。息をする度に、言葉を話すだけで激痛が来る。
 時折、何度も意識が飛びそうになる。その度にレナは己を奮い立たせてきた。

 負けない。負けない。負けない!

 淵ノ鬼神が手をかざす。瞬間、レナの体が無残にも斬り刻まれる。
 服はもう存在するのが無意味なほど破かれ、かろうじて胸元が隠せる程度。
「解った筈だ。もはやお前に戦える力は……私を倒すだけの力は無いと」
「まだ解らないよ。レナは勝つの。……勝って……圭一くんとの約束を果たすんだもん。……そして……げふっ、げほっ! ……はぁはぁ……そして……お願い を叶えてもらうん……だから!」
 赤い血を口から吐き出しながらも、レナは強い眼差しを鬼神に向ける。
 
 何故だ。何故この少女はこうまでして立つのだ。
 淵ノ鬼神に過ぎるは疑問。
 レナの気高い眼差しはどんなに傷付けられようとも、決して汚れ無い。
 どれだけ全身が真っ赤な血で汚れようとも、彼女の不屈の心だけは決して汚れない。

(……なんと言う人間だろうか。ここまで心の強い人間は他にいない)

「ああ、惜しい。実に惜しいよ。君を殺すのは……」
「安心して。私は簡単には殺されないから」
「済まないね。……私は君が欲しくなった」
「え……」
 



 ずぶり




 あれ? いつの間に彼、私の懐に入って来たのだろう。
 それに……あ、あれ? ギチギチと何かが痛い。

 何かが、私の胸を貫いている? あ、あれ……あれ?
 彼が何か言っている。よく……聞き取れないや。
 突き刺さっているのはきっと彼の鋭くて大きな……爪……で……。
 レナの体の中を、何かが流れ込んで来る。
 全身を行き渡るこれは……何?

「竜宮レナ。お前は本当に素晴らしい逸材だ。私は……君のような鬼が、君のように気高くて不屈の心を持った鬼が必要なのだ」

 鬼? 違う。レナは鬼じゃない。鬼じゃない……。
 でも、体が動かない。ぴくりとも。

 意識が薄れていく。それと同時に、大切なことまで薄れていってしまう。




 ……け……い…………いち……くん―――――。




 ごめんね。…………約束………………、守れない……かも。






「安心しろ。…………あの少年との約束は果たしてやろう」



 誰かの声が脳から響く。

 ああ、レナの中を、レナじゃない誰かが駆け巡る。
 
 どくどくと体の中を熱い何かが。

 私はきっと次に眼を醒ましたら、きっと私じゃなくなっているだろう。

 その日、私……竜宮レナは…………………………死んだ。








(続く)