ひぐらしのく頃に




贄漆し編




其の]「激突の音・参」





 その頃、北条沙都子は下鬼達を上手く陽動しながら裏山を目指していた。
 あそこの山は彼女の庭当然であり、一番有利な地形でもある。
 山狗との戦いで全てを使い切った裏山のトラップだが、僅か2ヶ月で既にあの時以上のトラップを仕掛け終えている。
 番犬が沙都子のそのあまりに見事なトラップの仕掛け方に、本気で彼女を番犬の特殊チームに入れようと考え込んでいるようだ。もっとも沙都子はそんな気は さらさら無いのだが。
「をーっほっほっほ! 鬼さんこちら〜手の鳴る方へ〜♪ですわ〜」
 沙都子がスカートをひらひらと翻しながら下鬼の攻撃を躱しつつ、裏山の中へと入っていく。
 ここから沙都子は足を徒歩に切り替えた。
 刹那、下鬼の一匹が沙都子の柔肌目掛けて鋭い爪を突き立てる。
 触れれば真っ赤な血飛沫が飛ぶのは必然であろう一撃が沙都子に到達する寸前、下鬼の体がぐるりと反転した。一瞬何が起こったのかわからず、下鬼は暫し呆 然とする。
「あらあら、逆さまになってどうしたんですの?」
 沙都子が立ち止まり、笑みを浮かべながら顔を上げる。
 その目の先には、何やらピアノ線のようなもので体をがんじがらめにされた下鬼の姿があった。
 動けば動くほどピアノ線が絡まり、下鬼の体に傷が付いていく。
「あんまり動かない方が宜しくてよ……って、聞いてませんわね」
 呆れを含んだ短い溜息を吐きながら、沙都子はくるりと踵を返してさらに奥へと進む。
 その間にも下鬼は次々と攻めてくる。だが、その度に次々と沙都子の罠の餌食となっていく。
「鬼と言うのも対したこと無いですわね。……さて、私が引き受けた下鬼達はここでなんとか足止めしないといけませんわね」
 今頃梨花はきっと苦しんでいるだろう。圭一とレナが助けに向かっている。きっと彼らなら、簡単に救い出すことが出来るだろう。
 でも、出来ることなら自分の手で親友を救い出したい。沙都子はそう思っていたのだ。
「あら?」
 やけに静かですわね? と思い沙都子は振り返る。後ろを追っていた下鬼の姿は忽然としていた。
「私のトラップにもう全員へばったんですの?」
 なんだか面白く無いですわね……と沙都子はひとりごちた。
「以前お相手した山狗の……えーと雲雀さんでしたかしら? 何やら数字があったような気がしますけど忘れてしまいましたが。あの方の方がよっぽど根性あり ましてよ」
 そう言うと沙都子は向きを右に変えて歩き始める。
 瞬間、正面の木々が真横に切断された。
「……え?」
 唖然となる。木が数本、ドミノ倒しのようにバタバタと倒れていったのだ。
 沙都子の目の前に、黒い影が姿を現す。
『小娘…………コロス』
「……どうやら、ボスの登場のようですわね」
 僅かに沙都子は後ずさる。先程木を数本切り落としたその威力はきっと計り知れないし、下鬼とは違う様子を感じていた。
(あれが上鬼って奴ですの? 参りましたわね……)
『我が主ノ祈願達成の為ニ。消えテもラうゾ』
 低く、二重に響く口調で上鬼は言う。爪を立て、ゆっくりと足を進める。
「そう簡単に消えるわけには参りませんの。それにここは私の庭。私の掌で踊り遊ばせ!」
 ばっと手を横に薙ぎるようにした瞬間、上鬼の足元が割れ、巨大な穴がぽっかりと空いた。
 落とし穴だ。
 そのまま行けば重力の法則に従い上鬼は穴に落ちる。しかもその深さは上鬼の2倍ほどあり、落ちたら中々抜け出せないであろう。一体どうやって沙都子が 彫ったのかは謎だが。
 だが、上鬼は落ちる瞬間跳躍し、穴のある地点より前に着地した。
「な、なんですってぇ――――――っ!?」
 さすがのこれには沙都子も愕然とした。ある意味反則に近い。
「ちょっとそこのあなた! 空中でジャンプってありですの!?」
『黙レ。……劣等ガ!』
「んま! レディに向かってなんと言う口ですの!」
『黙レと言っテいル』
 上鬼は大きく手を振り上げ、そのまま弧を描くようにして振り下ろした。
 刹那、見えない突風が沙都子の全身を斬り刻む。
「――がっ?!」
 胸元、肩口、スカート、タイツが破れ、沙都子の肌が露わとなる。
 上鬼がさらに一歩進める。
「こ、今度こそ!」
 全身が痛い。でも、ここで負けてなるものか!!
(ここは私のフィールド。私の地形。全てが私に味方しているのですわ!)
 沙都子は身を翻すと一度来た道を逆走する。
 一旦ここは体勢を立て直すのが筋。沙都子はそう考えた。
『逃ガサん』
 沙都子は時折振り返りながら、手に鬼殺弾の入った銃を構えてそれを撃つ。
 当たれば一撃必殺の鬼殺弾。下鬼や中鬼程度程度はトラップでも十分なのだが、上鬼にトラップは通じない。そう思ったため、鬼殺弾の使用を決意したのだ。
 自慢のトラップが効かないのは悔しい。こう言った飛び道具を使った正面でのやり方も得意じゃない。でも、やるしか無い状況に沙都子は追い込まれてしまっ たのだ。
 放った鬼殺弾が真っ直ぐ、噴煙を上げながら上鬼へと向かう。
 だが、上鬼はさっとマントを翻し、鬼殺弾を弾いてしまった。
「嘘ですわー!?」
『コのマントは「黒霊子」。我ガ主と同じモノ。アらユる物理的、霊的ナ攻撃を一切受け付ケなイ』
「そ、そんなの卑怯ですわー!!」
 沙都子は喚くように叫ぶ。
 ぜーはーと息をし、そして落ち着こうと深呼吸を開始。
 こんなところで立ち止まってはいられない。



 再び沙都子はあちらこちらへと逃げるように走り出す。
「それにしても……厄介ですわ……」
『コ娘が……ちょこまカト……腹立タしい』
「鬼とか言うのはわりと簡単にトラップにかかりましたし、監督特製の銃もよく効いてたんですけど。――上鬼というのはなかなかやっかいですわね」
 こうして森の中をあちこち逃げながらも、上鬼は襲ってくるトラップを難なく躱していく。
『ハぁぁ……捕マエたらぐチャぐちャに引キ裂いテ下鬼のエサニしてクれる』
「あら、おっかないですわね。女性を怖がらせる方はモテませんわよ」
 背後でとんでもなく物騒なことを言う上鬼に対し、極めて冷静にツッコむ沙都子。
(早くしないと梨花が危ないですわ。さて……どうしたら……)
 今日の夜には梨花の命が奪われる。空は暗いため、時間の感覚はわからないが、早くしないと間に合わないかも知れない。
 圭一とレナが助け出していることを願うしか無いが……。
(! そうですわ。あれなら)
 その時、天恵が閃いたのか。沙都子は再び背を向けると山を下っていく。
 自分はまだこんなところで負けられない。負けたくない!!
 梨花のために。仲間のために!
『無駄ダ、何ヲしヨうトな』
「最後まで私は諦めませんわ。奇跡と言うのは起きるのを待つんじゃない。自分で起こすんですのよ!」
 沙都子はなおも山を駆けていく。果たして、彼女に策はあるのだろうか。


 ―――その頃。レナは傷付きながらも、下鬼の半分以上を撃破していた。
 しかし、まだ下鬼は残っている。
 赤い瞳をぎらつかせ、その大きな口を開き、唾液を垂らし、残りの下鬼達がレナに迫る。
 鬼殺弾の弾数は0。最初に入れていた10発分は全て撃ち切った。残りの三十発分は詩音に預けたからだ。
 鉈と斧はもうボロボロで、いつ砕けてもおかしくない状態。
 否。斧の方は既に砕け散り、粉々になっていた。今彼女の手にあるのはもう使い物にならない鉈が一本。
 もう、立ち上がる力すら無いはずなのに。それでもレナは立ち向かう。大切な人との約束を果たすために。


 その様子を、淵ノ鬼神は興味深そうに眺めていた。




 続く