ひぐらしのなく
頃に
贄漆し編
其のZ「それぞれの明日」
9月10日
「父さん、母さん、話があるんだ」
圭一は大事な話があると言い、父と母をリビングに呼んだ。
いつになく真面目な息子の表情に親は何を感じ取ったのか。父、伊知郎と母、藍子はただ黙って彼の言葉に耳を傾ける。
「明日は、家に出ないで欲しい。信じてくれないかも知れないけれど、沢山の鬼達がこの村に攻め込んでくる。奴等は雛見沢村の人達を鬼に変えようとしている
んだ」
いきなり鬼が攻めてくると言われて信じる人はまずいない。
だが、圭一の言葉に嘘は無い。それは伊知郎と藍子も感じ取っていた。
「圭一はどうするんだ?」
伊知郎の問いに圭一は僅かに俯き、ぐっと拳を握って応える。
「俺は古手神社に行かなければならない。大切な仲間を助けるために」
「でも圭一……」
何かを言おうとした藍子の言葉を、伊知郎が右手で制す。
何を説得しようとしてもきっと意味はない、そう彼は判断したのだ。
だって、息子の目は何よりも真剣だから。
伊知郎は圭一の両肩に手を乗せて言う。
「……圭一、お前は私達の自慢の息子だ。だからこそ、私はどんなお前の言葉でも信じる。だから、これだけは約束して欲しい。――きっと帰って来い。生き
て」
「……ああ!」
圭一は力いっぱい頷くと、二人で拳を握り合うのだった。
「ねぇ、お父さん」
「なんだい、レナ?」
新聞とにらめっこしていた父が、台所に立っているレナの方を向いた。
レナは背中を向けたまま、「もしもね」と言いながら訊ねた。
「レナが死んだら……どうするかな…かな?」
「え?」
父は怪訝な顔でレナの背中を見た。
「何を馬鹿なことを言ってるんだい。そりゃ……悲しむに決まっているじゃないか」
娘の死を悲しまない父親なんていない、そう答えると、レナは満足した笑みを浮かべる。
「ありがとう、お父さん」
「変なレナだな」
「あっ、あのね。明日はその……外には出ないで欲しいな……駄目かな?」
「どうしてだい?」
新聞紙を折り畳んで床に置いた。
レナは包丁で人参を切りながら、ちょっと緊張した口調で言う。
「明日ね、とっても恐いのが雛見沢の村に攻めてくるの。……外に出てたら危険だから……」
動かしていた右手がぴたりと止まる。
「……家の中にいれば安全なのかい?」
「保障は無いけどね」苦笑しながら「でも、外を歩くよりはマシだと思うから」
「……解った。レナがそう言うなら、そうしよう」
「ありがとう、お父さん」
再び包丁で人参を切り始めながら、レナは嬉しそうに呟くのだった。
「……明日か」
魅音は頭首の間の畳の上に正座し、目を閉じ、考えていた。
いよいよ明日、きっと命を賭けた勝負が始まる。
相手はゲームと言ったけれど、死んだらおしまい、やり直しなんて無い一度きりのゲーム。
敗者には罰ゲームなんて無い。あるとしたら「死」だけ。
……これはゲームだけど、「部活」じゃないんだ。
「それでも」
それでも、大切な仲間を助けるために、魅音は部長としての力を出す。
圭ちゃんとレナがいれば、先陣は切れる。
詩音と私がいれば鬼に金棒。
沙都子のトラップは奇襲や陽動に役立つ。
監督に富竹さん、そして鷹野さんが強力な武器も作ってくれている。
私たちだけでもきっと大丈夫。けれど、今度の相手は人間じゃない。
もしかしたら死んじゃうかも知れない。
……でも、仲間達と一緒なら、そんな恐怖も無い。
目を見開き、決意に満ちた表情で魅音はすくっと立ち上がる。
「……………(・3・)アルェー」
足に電気が走ったように痺れてしまい、動けなくなったのは言うまでもない。
ここは梨花と沙都子が住んでいる防災倉庫の二階を部屋として扱っている所である。
現在この部屋には沙都子が一人でいる。
明日の決戦のため、トラップの準備をしていた。
梨花が攫われたと聞いて一番ショックを受けたのが沙都子だった。
彼女の親友なのに。友人が困っていたのに。
どうして、彼女を助けることが出来なかったのだろう。
そんな思いが、沙都子の頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。
後悔しても仕方無いことだけれど。
今度の相手は人間である山狗とは格が違うことを、沙都子は理解している。
自慢の罠が効かない不安はあまり無い。
他の仲間と違い、自分はまだ子供で、力も未熟だ。
圭一のように口も長けてないし、レナのように強い意志を持っているわけでも、魅音のようにリーダーシップを持っているわけでも、詩音のように銃の扱いに
長けているわけでもない。
でも、それでも。
助けたい人がいる。助けたい、大切な友がいる。
「待っててくださいまし、梨花!」
「悟史くん、私ね……ちょっと危ないことをしちゃうんですよ」
入江診療所の医務室の中。
ベッドで静かに眠っている悟史を見詰めながら、詩音はぽつりと呟くように言う。
ここは部活メンバーでは詩音のみが入ることを許された部屋であり、妹の沙都子はまだこのことを知らない。
監督の話によると、悟史の症状はゆっくりだが、回復に向かっていると言う。ここ三ヶ月の間で比較的穏やかになり始めたらしい。
でも、悟史の病気が完全に回復しているとは言い切れないのが現状だ。
それでも詩音は、毎日診療所に通っては悟史に今日一日の事を話して聞かせていた。
いつか、目覚めることを信じて。
また、困った顔で「むぅ……」と言ってくれることを願って。
「心配させちゃうかも知れませんけど……大丈夫ですよ。お姉達が付いてるんです」
……だから、見ていてくださいね。
詩音のそんな呟きが、心電図の電子音と共に響く。
点滴が一滴一滴ゆっくりと落ちていく。
「なんとか出来ましたね」
入江がコーヒーを運び、それを鷹野が礼を言って受け取る。

「ええ、あとは少しでも多く量産しないといけないわ」
「鷹野さんがいてくれて助かりました。私ひとりではここまで早くは出来なかったでしょう」
と、入江は柔らかい笑みを浮かべる。
鷹野はそんな彼に微笑み返すと、コーヒーを一口啜る。
ミルクも砂糖も入れてないブラックだが、この苦味がまた格別だと鷹野は思う。
「うふふ、入江先生こそさすがですわ。先生は誰かを救うために研究するときはいつもの何倍も冴えますもの、以前発症した沙都子ちゃんを救った時のように」
「いえ……そんな……」
誤魔化すようにコーヒーを飲み、謙遜する入江だが、彼は確かに誰かの為に研究する時はいつも冴えている。
それは詩音と沙都子のために北条悟史の病気を治しているように。
そして、村を救うために鬼殺弾を作っている時のように。
「ジロウさんもいま鬼殺弾用に銃を改造してくれている。……さぁ、量産にかかりましょう、少しでも時間が惜しいわ」
鷹野はそう言うと、コーヒーを飲み干して机の上に置いた。
「そうですね。少しでも彼らの役に立てるように」
明日までに間に合わせる。
入江達の決意は堅い。
鷹野も富竹も協力して、研究に取り掛かる。
彼らの思いに応えるために。
「いよいよ……明日」
淵ノ鬼神は社の中で、瞳を閉じている。
古手梨花は疲れ果てたのか、鎖に繋がれたまま眠っていた。
「……桜花」
淵ノ鬼神の呟きは、闇の中へと熔けていく。
その呟きに応えるものは誰もいない。
彼はただじっと、時が来るのを待ち続けている。
続く