ひぐらしのく 頃に

漆し編


其のY「うた かたの願い」






 富竹さんからの答えは非常に解り易いものだった。
 鷹野さんはあの後、雛見沢症候群に感染しているものとされ、3年間の保護観察と言う立場になったのだ。その監視をするのは他でも無い、富竹さんと言うわ けだ。
 何故3年なのか、それは雛見沢症候群の研究が3年で打ち切られてしまうからである。
 研究が打ち切られたら雛見沢症候群を撲滅する手立てが無い。
 だけど、鷹野さんの場合は3年で完治する十分な期間なのだそうだ。
 尤も、富竹さんは笑いながら「まぁ、鷹野さんが感染していること自体が嘘なんだけどね」と笑いながらあっさり俺達に言ったのだが。
 元山狗のリーダーである小此木が雛見沢にいた理由も富竹さんが説明してくれた。
 彼は山狗を抜け、偽造職業であった小此木造園の仕事を本格的にやり始めたのである。
 恐らく昨日の夜に古手梨花を目撃し、跡をつけているうちに鬼達に気付かれ、襲われたのだろう。

 鷹野さんは俺達に申し訳なさそうな顔を浮かべ、しかし確固たる決意で言った。
「これは私にとっての罪滅ぼしだわ。梨花ちゃんを何としてでも助け出しましょう。そして、羽入ちゃんもね。あの子にはバケモノなんて酷いことを言ってし まったから、ちゃんと謝りたいしね」
「大丈夫ですよ、鷹野さん。羽入はきっと赦してくれます。いや、もう鷹野さんは赦されていますよ」
 そう、鷹野さんの罪は6月のあの日に全て赦されている筈だから。
「前原君……」
「そうそう。それに、鷹野さんがいると百人力です!」
「ありがとう、詩音ちゃん」
「それで鷹野さん、あの鬼達を倒す方法、何かある?」
 魅音が腕を組んで言う。鷹野は軽く頷いた後、監督が言った。
「”鬼殺弾”を使います」
「”鬼殺弾”?」
 部活メンバー皆の疑問を、鷹野が応えた。
 鬼殺弾(きさつだん)とは、麻酔弾を改良したもので、中身はH-170番台をさらに強力にしたもの。監督曰く雛見沢症候群L99のようなものでそれをさ らに強制的にLを上げることで鬼の細胞が死滅する弾丸のことである。
 始めは雛見沢症候群のレベル数値の限界を調べるために作られる予定であったが、今となっては危険とされ、実験段階にまでは至らなかったと言う。
 雛見沢症候群の末期レベルが5で死を迎えることから、これ以上のレベルは上げても意味が無いと言う理由もあるのだが。
 そんな中、鷹野さん、富竹さん、監督の三人は小此木さんの連絡を受け、封印されていた実験を再び再開させた。少しでも彼らを倒す力を得るために。
「ですが、どうしても鬼の細胞の分析を得ることが出来ず、完成は無駄かと諦めてました。ですが、貴方達が持って来てくれた下鬼の細胞を調べれば、鬼殺弾を 完成させることが出来ます」
「ですが監督、奴等は明後日にはこの村を制圧するために攻めてきます。間に合いますか?」
 俺の問いに監督は不適な笑みを浮かべて、眼鏡をくいっとあげて言う。
「大丈夫ですよ。間に合わせます。必ず鬼達を倒す武器を貴方達に与えましょう!!」
 監督のその言葉はとても力強かった。
「君達はもう休んだ方が良いだろう」
「そうね。今日はしっかりと休んだ方が良いわ。来るべき戦いのために……」
「そうだな、皆、一旦うちに帰ろう」
「うん、そうだね。私たちは今までとは違う、もっともっと危ない戦いに身を置くことになる。もしかしたら死んじゃうかも知れない。けれど――」
「何言ってるのさレナ。私達は死なないよ。死んでたまるか。……違う?」
 魅音の問いに、レナは苦笑して、それを肯定するように頷いた。
「うん、そうだね。レナ達は無敵の部活メンバーだもんね」
「梨花を助け出すまでは、いいえ、助け出した後でも、死んだりはしませんことよ」
「よーし皆、明後日の朝、診療所前に集合だ!」
「「「おおおおおおお―――――っ!!!」」」





 ここが、どこにあるのかは解らない。
 雛見沢村にあり、しかし雛見沢のどこでもなかった。

 薄暗い祠の中を、一人の血だらけの少女が佇んでいる。
 長い紫髪を腰まで誑(たら)し、ノースリープ(肩出し)の巫女服を身に纏い、しかし人とは明らかに違う二本の角を頭に生やした少女、羽入がそこにはい た。

 羽入の目の前には一本の枝の様な物が置かれていた。
 いや、枝ではない。それは先が三つに分かれた刀のようだった。
 羽入はその刀に向かい合って祈るように両手を握っている。
 目を閉じ、血の痛みか、それとも薄暗い祠の中と言う閉鎖空間の為か、羽入の額には汗が滲み、流れ出している。

「……お母さん」
 ふと、そんな呟きが羽入の口から漏れた。
 そして彼女の頭を過ぎるのは、まだ自分が幼かった頃の記憶。
 そしてこの刀に名前が与えられた日の記憶。

 ……羽入の心に呼応するかのように、一本の刀もまた輝きを増していく。
 まるで薄暗い祠を明るく照らすかのように。







「羽入、中に入ったら駄目だってば――!」
 梨華の叫びも羽入には聞こえていないのか、古ぼけて今にも崩れそうな廃屋の中に入っていく。
 今にも崩れそうな割には掃除はしっかりしていて、まるで誰かがずっと掃除していた印象が残っていた。
 ……いや、誰が綺麗にしているのかは、羽入と梨華は大体想像がつくのだが。
「うわあ……何、ここ?」
 梨華が驚きに満ちた声をあげる。それでも小声なのはやはり母親にバレて怒られるのを避けるためであろう。羽入の姿を見つけるが早いか、梨華は手を招いて 呼ぶ。
「羽入、見つかったら怒られちゃうよ〜。はやく〜」
 しかし羽入はただ一点の場所を見詰めたまま動かない。流石の梨華も怪訝に思い、そっと彼女に近づいていく。
「何見てるの、羽入?」
 質問に、まっすぐ指を伸ばすことで答えた。梨華がその指の先を辿れば、そこにあるのは一本の刀。
 ……しかし、幼い少女である梨華には、それが刀だとは最初は思えなかった。
 まるで枝のように刃が3つに分かれていて、一見するにそれはとても刀には見えなかったから。
「誰かいるの?」
 その時、ガタガタっと戸が開く音と同時に、巫女装束を身に纏った一人の女性が入って来た。
 音にびびったと言うか入って来た女性に驚いたと言うか。梨華は羽入の後ろに隠れてびくびく震えながら、いつ怒鳴られるか解らない恐怖を耐えようとしてい る。
 羽入はしかしまったく隠れようようともせず、やはりただじっと形が不思議な刀ばかりを見詰め続けるばかり。
 そんな様子に女性は気付き、羽入の隣に立って訊いた。
「どうしたの、羽入?」
 ぎゅっと女性の右の手を握りながら、羽入は応える。
「……この刀、なんだか不思議な感じがするのです」
 梨華も女性の手を羽入とは反対側の左の手を握りながら訊ねた。



「おかあさん、これは?」
「うん……元々はただの刀だったんだけどね。とある時からこんな形になったんだ」
 おかあさん、と呼ばれた女性、里はどこか寂しげな感じで答えた。
「へぇ……変わった形。なんだか柳の枝みたいだね、それに鍔の部分が桜みたい」
 梨華は怒られる恐怖をすっかりなくしたのか、それとも忘れたのか、無邪気な声で不思議な刀に対する感想を述べる。
 しかし羽入は何も言わず、じっと刀を見詰めるばかり。
 里は僅かに首を傾げる。
「羽入? どうかした?」
「………………女の人がいるのです」
「……え?」
 僅かな沈黙の後、呟くように言う。梨華は疑問符を撒き散らすが、里には僅かに心当たりがあるのか、必死な顔で羽入に問い詰める。
「羽入、見えるの? 誰が見えるの?……教えて、羽入」
「桜色の……長い髪の女の人が……語りかけている」
「わたしにはみえないよー。きこえないよー?」
「そ……それで?」
 梨華が里の袖をぐいぐい引っ張りながら文句を垂れる。しかし、里は梨華の言葉は聞こえていないのか、羽入に続きを促す。
「えっと……『わたしの大切な人がいつか大きな過ちを犯す時が来る。その時に……その人はもはや人ではなく……この世の武具で討つことは出来ない。――― 私は、その人を救うために……この刀に宿り…………その人が現れるまで待ち続ける……。……その時が来た時は……私を……解き放ってください……』って」
 里は羽入の言葉に何を思ったのか、僅かに目尻に涙を溜め、呟くように言う。
「……お、おう……か……。そう……いるのね。……その刀に、……そして羽柳は……」
「おうか? はりゅう? だれ、その人」
「おかあさんは知っているのですか?」
「そうね、知っているわ……今はまだ教えてあげられないけれど。でも、いつか話してあげないといけない時が来る」
 里は羽入と梨華の両手を優しく包み込むようにぎゅっと握る。
 そして目の前の一本の刀を見詰め、決意する。
「この刀は古手家のみの禁具に……いえ、禁宝にしましょう。決して誰の手にも渡らないように」
 いつか来る、彼の大きな過ちを正す時のために。
 もう決して、大切な人を悲しませないように。

 いつか人ではないものとして現れる羽柳、その羽柳を救うための桜花の宿り刀――






「……鬼狩柳桜」
 羽入の呟きと共に、世界は過去から現在へと戻る。
 あの時の母の言葉を、今でも羽入は忘れたことがない。
 結局母は、最期まで何も言わずにあの世に旅立ってしまったけれど。
 いつかきっと、理解(わか)る時が来るのだろう。


 今は、この刀の力が必要だから。


『わたしの大切な人がいつか大きな過ちを犯す時が来る。その時に……その人はもはや人ではなく……この世の武具で討つことは出来ない。―――私は、その人 を救うために……この刀に宿り…………その人が現れるまで待ち続ける……。……その時が来た時は……私を……解き放ってください……』


 その時が今来たのだ。
 だから僕は、あなたの声に、想いに従って封印を解く。
 大切な人を助けるために。


 羽入はじっと両手を合わせてただ一点、一本の刀『鬼狩柳桜』を見詰めている。







 続く。