ひぐらしのく頃に


漆し編




其の四「出逢いの組曲」








 それからと言うもの、俺は毎日のように桜花に会いに行くようになった。
 桜花は俺の他愛無い話にも、耳を傾けて頷いたりしてくれた。また、桜花が笑顔で笑ってくれるのが、俺には溜まらなく嬉しかった。
 そして今日もまた、俺は桜花に会いに古手神社へと入る。
 やはり閑散としている神社の境内の中、桜花は社の賽銭箱に腰を掛けていた。
 両手は腰の上に置き、眼を閉じ、僅かに空を仰ぎ見ている。……いや、感じている。
「罰当たりだぞ、巫女のクセに」
「……羽柳様」
 僅かの間の後、俺に気付いた桜花は微笑みながらこちらを向いた。
「どうせ誰も来ませんから」
「だからって、賽銭箱の上に座るのはどうかと思うんだが」
 俺がそう言うと、桜花はちょっと小首を傾げて「そうですね」と頷いた。
 やがて目の前までやってくると、そっと俺の頬に手を伸ばす。
「……何?」
「―――頬っぺた、どうなさったのですか?」
 優しく、包み込むように……桜花の温かい手の平が俺の頬に触れる。
「別に……なんでも無い」
 僅かに目を反らす。
「また村人に……やられたのですか?」
「違うって。大丈夫だから」
 そっとその手を下ろすと、俺は横を向く。
 本当はきっと、桜花も気付いているだろう。頬だけじゃなく、体のあちこちに傷があることを。
「羽柳様がそう仰られるなら……解りました」
 桜花は頷くとそれ以上は詮索しては来なかった。……ありがとう。俺はそう言おうとした、その時だった。
「お〜〜〜う〜〜〜〜かぁ〜〜〜〜〜〜!!!」
「ぐはっ!!」
 いきなり後頭部に衝撃が走り、そのまま横の草むらへと突っ込みながら倒れてしまった。
 ……な、なんだ?! 一体いきなり何が起きたんだ?!?!
「あ、里ちゃん」
 桜花はまったく動じていないようだ。……と言うか、俺が吹っ飛ばされたことには気付いているよな?
「桜花、元気にしてた〜? さっきなんか突き飛ばしちゃったけど、あれ何?」
 あれって俺のことか? 俺は草むらから起き上がると桜花達のいる方へと歩き出す。
 それにしても良い蹴りだった……いや、背後だからな。拳と言うことも有り得る。
「こちらは羽柳様という方です。最近、私のお話し相手になってくれているんですよ」
 と、俺を紹介する桜花。俺を突き飛ばしたであろう少女が値踏みするように見てくる。……そんなに見るな、おい。
「へ〜、桜花の友達は私の友達だからね。あたしは北条里。よろしくね」
 屈託の無い笑みを浮かべながらすっと自分の右手を差し出してくる里。
「ああ……」
 その手を握り返しながら、俺は訊ねた。
「お前。……俺のことをなんとも思わないのか?」
 角が生えているのに、そう言おうとしたが、里が先に口を開いた。
「お前じゃなくて里だって! ああ、その角のこと? あたしは小さい頃から霊や物ノ怪を見まくってるからそんなことじゃ驚かないよ」
「里ちゃんは多少なりとも霊力がありますから」
「そ…………そうなのか」
 そう簡単に言われては、俺も納得するしか無い。
 里は桜花と違って目は見えている。だけど、桜花と同じで俺の角を恐がったり忌み嫌ったりはしない。
 慣れている……と言うのもあるのかも知れない。それでも、俺は嬉しかった。
「ところで、俺の後頭部に一撃加えただろ? 何を入れた?」
「ん? 飛び膝蹴りだよ」
 里はしれっと答えるのだった。



 それはある日のことだった。
 古手神社の裏庭で桜花と話している時、背後からいきなり里が桜花を軽く突いたのだ。
「きゃっ!」
 桜花は突然のことでバランスを崩し、俺の腕に収まる形で倒れこんで来た。


「おっと」
 なんとかそれを抱き抱えたのは良いんだが……
「あ……ご……ごめんなさい、羽柳様。……あぅ」
 少し頬を朱色に染めて、桜花が上目遣いで見上げてくる。その可愛さに内心ドキドキしつつ、俺は元凶に問う。
「おい里。今、わざとにやっただろ」
「え? おじさんしらないよ〜。いや〜、照れてる桜花かわいいねー。お持ち帰りしちゃおうかな〜」
 と、惚けた表情で知らん振り。さらに両手をわきわきさせながら薄気味悪く笑っている。と言うか、一人称変わっているし。
「さ……里ちゃん、ひどいです」
 しかしそれよりも、俺の腕は今大変なことになっているわけですが。
 こう……むにゅんと言うかぷよんと言うか……俺の腕に桜花のその柔らかい二つの何かが現在絶賛密着中で……。
「お……桜花」
「え? あ、はい?」
「えっ……と、その……俺の腕にだな……その……胸が――」
 当たっているんだが、と言い終える俺。桜花は状況確認の為に俺の腕と自分の体を見て、さらに顔を真っ赤にさせる。……ぼっと言う効果音を俺は初めて聴い た気がしたぞ。
「はっ?! あうぅぅぅぅぅぅ!!!」
 ばっと勢いよく離れる。俺はちょっと照れ臭そうに頭を掻きながら訊ねた。
「あー……その、大丈夫か? 桜花」
「あ…………はい。羽柳様の御陰で」
 まだ顔を赤くした桜花が両手を胸の所で握り締め、俯きながら言う。
「二人ともずいぶんぎこちないね〜。はぁ〜青春青春、おじさんうらやましいなぁ〜」
 その後ろでは里が両手組んで「してやったり」と言った顔を浮かべながら笑っていた。
 こいつ、後でどう始末してやろうか。



 古手神社 境内 夜。

「また……来たのですか?」
 桜花は眼が見え無い。だが、変わりに自らの体の内にある「霊子」を周囲に張り巡らせ、人や物、霊さえも認知できる『周知(しゅうち)』という能力を持っ ている。
 だから、彼女の目の前に現れたのは里でも、羽柳でも無いと判断する。
「桜花様。――お願いがあります」
 彼女の目の前にいるのは、四、五人の村人だった。全員男で、しかし何か思いつめたような表情をしている。
 その中の顎に長い髭を生やした白髪の老人がしわがれた声で桜花に言う。
「あの男を……そなたの手で……殺して欲しいのじゃ」
 彼は鬼ヶ淵村の村長であり、一番の高齢者である。
「そのお話は以前もお断りした筈です。……あの人は悪い人ではありません」
 桜花の言葉に、村長は首を横に振る。そう言う事ではない、と付け足して。
「近頃……鬼ヶ淵村は自然災害が相次いでおる。それは知っておるな?」
「ええ。そしてその原因を……あの人に当て付けていることを」
「あの男は呪われた男だ。そんな男、さっさと殺した方が良い!」
 気性の荒いちょっと筋肉質の男が、声を荒げて叫んだ。老人がすかさず制する。
 だが、他の村人も筋肉質の男と言いたいことは同じだと、桜花は感じ取った。
「何度も申し上げますが、私は誰も殺めたくありません。……お引取りを」
 桜花は閉じられた瞳で真っ直ぐに村人達を見詰める。やがて彼等は諦めると、踵を返して神社を後にするのだった。


「羽柳様……」
 桜花は誰もいなくなった夜の神社に佇みながら、ぽつりと洩らす。
 星が輝き、半月が夜を優しく照らしていた。




 ―――続く