ひぐらしのく 頃に


贄漆し編




其の三「月明かりの序曲」







 古手梨花を部下に見張らせ、私は境内へと出る。
 空は夜となっており、幾千の星の輝きは黒い瘴気によって見えない。だが、月だけは薄くその存在を輝かせていた。
「月か……満月ではないが……月を見るとあの日のことを思い出すな…………」
 あれはもうずっとずっと前の事だ。この村がまだ、鬼ヶ淵村の名を冠せていた頃の。
 あの日……あの時……この場所で……私は彼女と出会った。
「古手……桜花」
 私は深く目を閉じるとあの日の出来事を思い浮かべるのだった。






 約1000年前 鬼ヶ淵村
 一人の青年が草原で大の字に寝転がっている。
 紫の腰まで伸びた長い髪を首元で縛り、やや整った顔立ちは、しかしどこか憂いを帯びた表情。
 少年の名は羽柳。鬼ヶ淵村に住む村人であるが、同じ村人から迫害を受けて来た。
 その理由は……両側についている、二本の角。
「……ま、仕方無いけどな」
 そう、羽柳は割り切る。もっとも、自然災害の多い近年の鬼ヶ淵村では、その恐怖による当て付けが必要なのも事実である。
 反英雄……と言う存在がいる。それは人々の代わりにこの世全ての罪を背負うことにより救う、自らが悪となることで人々の心を助ける反面教師的な英雄。
 羽柳はまさに、そんな存在であった。
 相次ぐ自然災害の原因を、全て羽柳の所為にすることで村の均衡が保たれていたのである。
 羽柳もそのことは知っていたし、別に今更考えても仕方無いと思った。
 村人には嫌われているが、それでも羽柳はこの鬼ヶ淵村が大好きだから。
 最も、村人が彼に迫害を加えるのは自然災害によるあてつけにしたいだけじゃない。
 生まれた時から付いている角が、彼が迫害を受ける最大の理由。
「ふぅ……」
 軽く息を吸い、深呼吸。
「それにしても……」
 目線を右に向けると、どこまでも広がる緑。
 風が草花を揺らし、のどかな気持ちにさせてくれる。
「……おや?」
 何か見えたのか。羽柳は起き上がると歩き出す。
 彼が向かった先は神社だった。
 よほど古い神社なのか。しかし参拝客は居らず、どこか閑散としている。
「なんでこんな所に……」
 不思議に思い、境内の中を歩いてみる。地面は舗装されてはいないが綺麗に掃除されている。
 やがて裏側に入り込むと、先ほど彼がいた草原と同じような場所に踊り出た。
「ここは……」
 羽柳が驚きを含んだ声を出した。と、がさっと言う草の音と同時、少女の声が耳に届く。
「風が気持ちいいですね」
「……お前は?」
 羽柳は振り返り、目の前の少女に尋ねる。少女はにこりと微笑むと応えた。





「この神社の巫女です。お参りに来たのですか?」
 巫女。なるほど確かに巫女の格好をしている。羽柳は心の中で納得すると、しかし彼女の後半の質問に首を横に振った。
「……いや、ただふらっと。足が勝手に向いたというか…………はは、なんだろうな。この村でずっと育ってきたのにここに来るのは初めてなんだ」
 初対面の女の人になんでこんなこと言っているんだろう俺……とは思いつつも、少女の雰囲気がそうさせてしまうから不思議であった。
 何より彼女は、羽柳を恐れてはいなかった。まるで、彼の頭の角が見えていないようで。
 羽柳は「まさか」と言う思いの中、少女に問う。
「お前……目が見えないのか?」
「はい、生まれつき見えておりません」
 しっかりと頷く少女。なるほど、これで説明がつく。
「……だからか、俺なんかに気安く話しかけたのは」
 どこか自嘲気味に羽柳は言った。
「その、頭の角を気になさっているのですか?」
 不思議そうに、少女は訊く。羽柳ははっとなって驚いた顔で見つめ返した。
「!! ……見えてないんじゃないのか?!」
「私は少々特殊な力がありまして。視ることは出来なくても感じることが出来るんです」
「・・・・だったら・・なんで話しかけた?気持ち悪くはないのか?角が生えているんだぞ?」
 村人なら、俺と会っただけでいきなり逃げ出すのに。
「あなた様が気持ち悪かったら私も十分気持ち悪いですよ。目が見えないのに認知はできるのですから」
 それは彼女の持つ、自らの体の内にある「霊子」を周囲に張り巡らせ、人や物、霊さえも認知できる『周知(しゅうち)』という能力のことである。
「……お前は……他の奴らとは違うんだな。村の連中は俺を『バケモノ』と呼ぶぜ。度重なる厄災はお前のせいだってな」
「村の人達ですか……近年、鬼ヶ淵村は自然災害が多いですからね。誰かのせいにしなければ心の調和を保てないのかもしれません。非常に悲しいことです」
 少女は顔を伏せ、僅かに唇を噛み締める。
 が、すぐに顔を笑顔に戻し、羽柳を見る。
「……でも、あなた様は違いますね。罵られ、蔑まされ、迫害されても、心の芯の部分は非常に強く、気高い」
「俺はそんな人間じゃ……」
「いいえ、あなたは清き心の方です。巫女である私が言うのですから間違いありません」
 その言葉は少女の真実だと羽柳はわかった。
 揺らぎの無い瞳、口調。何より目の見えない瞳でまっすぐに、彼を見つめている。
「……そんなこと言われたのは……初めてだ」
 ああ、本当に初めてだ。
 今までは、とても誉め言葉とは思えない罵倒ばかりを受けて来た。
 けれど……彼女の言葉は羽柳の胸に深く深く残っていく。
「もしよろしければ、これからもここに顔を出してくださいますか?お話し相手になってほしいのです」
 と、少し頬を朱色に染めながら少女は言う。
「羽柳」
「……はい?」
 突然のことに、少女は小首をきょとんと傾げた。
「羽柳。羽の柳と書いて『はりゅう』。俺の名前だ。これからちょくちょく来るなら名前を知っておかないと駄目だろ」
「はい。私は鬼ヶ淵村、古手神社の巫女をしております……桜花(おうか)……古手桜花と申します。宜しくお願いします、羽柳様」


 これが二人の出会い。これから始まる悲しい物語の、ほんの序曲……。


 続く。