ひぐらしのく頃に 

贄漆し編


 其 の二「捕われの巫女」




「取り敢えず……これからどうしようか」
 魅音が、すでに動かなくなった鬼(下鬼)を一瞥して言った。
 皆は道の端の石垣や木の幹に背を預け、考え込んでいる。
「明日、鬼達がこの村を襲うなら……何か対策が必要だ」
「対策って、どうやって?」
 圭一の言葉に、魅音が振り向きながら尋ねる。
「ん……」
 すぐには浮かばないのか、圭一は僅かに視線を反らした。その時、鬼の死体と視線がぶつかる。が、すぐに目を離す。
「お姉、圭ちゃん、対策も必要ですが、今は彼を診療所に運ぶことが重要じゃないですか?」
「そうだよ。それに、監督に相談したらもしかしたら良い知恵が出るかも知れないよ」
 そう言うレナと詩音に、二人は頷く。
「そうと決まれば早速監督の所に行きましょう! ……ところで、この物体はどうするんですの?」
 沙都子がちょっとおっかなびっくりな感じで鬼に向かって指を指す。
 恐がっている割には興味津々と言った様子で……例えるならホラー映画が苦手な人が恐い恐いと言いながらも興味本位でつい見てしまう心理、と言った所か。
「大丈夫だよ沙都子。そいつもう死んでるだろうし」
 ”だろう”と断定語で無い辺り、ちょっとだけ不安だが。しかし沙都子はその言葉で安心したのか。調子に乗って鬼の近くでしゃがみ込み、木の枝でつんつん し始めた。
「を、をーっほっほっほ! ざまぁ無いですわねー」
 刹那、鬼の死体が僅かにびくん! と動いた。
「わきゃきゃきゃきゃきゃきゃ!!!」
 その突然の動きに吃驚した沙都子が木の枝を放り投げ、数メートル後ろに後ずさる。
「い、いき……生きてててて!!」
 言語能力がおかしくなったかのように、沙都子は人差し指を指しながらぷるぷる震えている。
「大丈夫だよ沙都子。沙都子がつんつんするからちょっとだけ姿勢が崩れただけだって」
 と、魅音が鬼の死体を覗き込みながら言う。
「ほ……本当ですの?」
「本当だって。ね、圭ちゃん?」
「おう。なんだよ沙都子、恐がりだな!」
「そ、そんなことありませんでしてよ! べべ、別に恐くなんかありませんわ! ええ、全くこれっぽっちも恐いなんてこと、ございませんでしてよー!!」
 圭一の言葉に反論するように、喚きながら沙都子は叫ぶ。
 その様子を見て苦笑する圭一、レナ、詩音、魅音だった。
「まぁ兎に角、この鬼の死体を監督の所に運ぼう。何か、あいつらに対して有効な武器を作ってくれるかも知れない」
「うん、そうだね…だね」
「ここでこうしてても仕方ないし、小此木さんの治療もあるしな」
「それにしても……どうしてこの方は鬼と戦ってらしたのでしょう?」
 沙都子の疑問に、僅かに無言が訪れる。ほんの数秒程度の無言だが、それを壊したのは魅音だった。
「ま、目が覚めてから聞けばいいよ」
 沙都子の頭の上に手を乗せながら、魅音はそう言うのだった。

 それから皆はリアカーを借り、小此木は圭一がおぶって診療所へと運ぶこととなった。
 最初は入江も驚いていたが、しかし魅音から事情を聞き、すぐさま彼の治療に当たるのだった。
 鬼の死体は診療所の地下へと運ばれ、部活メンバーと入江は現在、そこにいる。
「小此木君なら大丈夫です。背中の傷が激しいですが、命に別状はないでしょう。しかし、暫くの間は安静にしてないといけませんね。それに……」
 と、入江は手術台に乗せられている鬼の姿を見て、言葉を続ける。
「これからどうするかも、考えないといけないでしょう」
「明日、奴等はこの村を支配するため、行動を開始します。それまでに何としてでも……」
「鬼達を倒す強力な武器が欲しい……そうかしら?」
 突然した聞き覚えのある声に、全員が振り向いた。
 そこに立っていたのは、長いブロンドの髪が美しい白衣の衣装を着た鷹野三四だった。
「鷹野さん……どうしてここに?」
 圭一が、皆の疑問を代表して言う。鷹野は腕を組み、優しい笑みを浮かべている。
「それについては、僕から説明するよ」
 鷹野の後ろから軍服を来た眼鏡の男が姿を現す。
「あの……どちら様で?」
 今度は魅音が、皆を代表して質問した。すると軍服の男は「あっはっは!」と笑い出す。
 その、どこかで見た感じのする笑いに、皆は気がついた。いや、面影はある。でも……そう、彼等は軍服姿の彼を見るのは初めてだったのだ。
「もしかして……と、富竹さん!?」
 全員一致、見事なシンクロでハモらせる。
「はっはっは。そうだよ。こんな格好だから解らなかったかな」
 愉快そうに笑う富竹に、皆はただ、唖然とするしか無かった。


 場所は変わって、ここは古手神社の社の中である。
 いや、そもそも神社なのかすら定かではない。中は薄暗く、しかし無駄に広く。
 蠢く影は鋭い爪と角を持つ鬼達。中には人に近い体系をしたものまでいる。
 空気中に瘴気が漂い、鬼達……下鬼による咆哮や雄叫び、そして薄気味悪い笑い声が、神聖な神社の社内に充満している。
 そんな鬼に囲まれている中心点に、両手両足を光る鎖で縛られている古手梨花の姿があった。
 両手の掌には杭が打ち込まれ、しかし不思議なことに出血は無い。
 服は無残にも破かれ、肌蹴た胸の中心には、何やら紋章のようなものが浮かんでいる。





「どうかね、体の具合は?」
 声が、目の前からする。
 古手梨花は痛む体に僅かに顔を歪めながら、しかしすぐに表情を戻す。
 彼女の正面に立っていたのは、淵ノ鬼神。
 鬼達のリーダーであり、雛見沢村を真の鬼ヶ淵村にしようと計画する鬼だ。
「……まったく、私は大事な生贄なんでしょう? ずいぶんと手荒なことをしてくれるわね」
 先ほどまで、かなりの数の鬼に痛めつけられた。命まで奪われなかったのが不思議なくらいだ。
「ふふ……私の部下は少々気性が荒い者が多くてね。いや、すまなかった。私から詫びよう」
 そう言って頭を下げる淵ノ鬼神。梨花はそんな紳士的な態度の彼に、しかしさらに言葉を掛ける。
「詫びるくらいならちゃんと部下の教育くらいしときなさい」
「そうは言っても私の部下達は知が足りない者がほとんどなのでね。なかなか教育は難しいのだよ」
 と、肩を竦める淵ノ鬼神。
「…………あんた、そんな奴らばかりで楽しいの?」
 梨花の冷たい言葉が、淵ノ鬼神の耳に響く。
「……何?」
 淵ノ鬼神の声が低くなる。しかし気にせず、梨花は言葉を紡ぐ。
「楽しくなきゃ生きててもつまらないでしょう? 私はあんたに捕まる前までは楽しかったわよ。毎日が充実してた。特に変わったことが起こるわけじゃないけ ど。何気ないこと、ささやかなこと、それらすべてが私には楽しかった。もう繰り返す毎日じゃない。何が起こるかわからない毎日。その日々の中に、大切な仲 間達がいたから」
 そう、昭和58年6月を超えることが出来たのは、何より仲間達の存在があったから。それから、本当に毎日が楽しかった。何も変わらない日常。だけど、だ からこそ幸せだと胸を張って言える日常。それは一人では決して味わえない、仲間達がいるからこそ味わえる最高に幸せな毎日。
「仲間……?」
 淵ノ鬼神の声が、僅かに震える。傍らにいた単眼で黒いマントのような物を羽織った鬼が、僅かに首を傾げる。
「そうよ、仲間。命を懸けてでも護りたい、助けたい大切な人たち。あんたには……そういう人はいなかったの?」
「いないな……そう言う……”人”など。私は人間を憎んでいる。……だからこそ」
「雛見沢村の全てを鬼に変える……と。でも、だったらどうしてあんたは私の言葉にそんなに動揺しているのかしら?」
「……動揺なんかしていない!」
 動揺していないなら、そんなに言葉を荒げたりはしないだろう。古手梨花は尚も畳み掛ける。
「一人ぐらいいたんじゃない? 命を賭けてでも護りたい……大切な人が」
「命を……かけ……て、でも……護りたい……ひ……と…………ぐっ」
 淵ノ鬼神が自らの顔面を抑える。膝を付き、抑えた右手の指と指の隙間から、梨花の顔を覗き見る。
「ぐっ…………ううぅぅううぅうぁああぁ……っぁああぁぁぁあああああ!!!!!」
「淵ノ鬼神サマ、どウシましたカ?!」
 先ほどの単眼の鬼が、淵ノ鬼神に駆け寄る。上鬼は人語を解する鬼である。
 叫び、吼え、淵ノ鬼神は瞳孔を見開き、贄である古手梨花の顔から逸らさない。
 瞬間、頭に浮かぶは一人の少女の柔らかな笑顔。
「あ………ぉ……お……ぅか…………ぁあ……」
「……?」
 淵ノ鬼神の呟きは、しかし梨花には疑問であった。それは周りの鬼達にとっても同じ。
「……はぁ、はぁ、……じ、上鬼、贄を……引き続き見張って……いろ。私は……少々休む」
「ハい。……カしコまりマシた」
 一礼する上鬼と、唖然とする梨花を一瞥しながら、淵ノ鬼神はその場から姿を消した。
(淵ノ鬼神……一体……)
 梨花の心の呟きは、しかし再度聞こえた雄叫びによって掻き消されるのだった。

 


 続く