ひぐらしのなく頃に
贄漆し編
其の一「狙われた村」
「梨花ちゃんが……行方不明?」
雛見沢分校の教室の隅で、椅子に座っている圭一が若干驚きを含んだ声色で呟くように叫んだ。
彼を囲むようにして立っているレナ、沙都子、詩音が固唾を飲む。
圭一の前の椅子に座っている魅音が、肯定するように頷いた。
「それに羽入もなんだよ」
「一体二人とも、どこ行っちゃったんだろうね……」
「私が考えるに、梨花ちゃまと羽入は何かに巻き込まれたと思います」
詩音が真面目な声で言う。
「何かって……まさかまた東京とかか?」
圭一の言葉を、詩音はかぶりを振って否定する。
「いいえ、恐らく東京よりも……もっとやばいかも知れません。飽くまで勘ですけど」
「そう言えば沙都子は詩音のマンションに泊まってたんだっけ?」
魅音が確認するように尋ねると、沙都子は僅かな泣き顔でこくりと頷く。
きっと、他の誰よりも一番心配なはずだ。そして多少の責任も感じているのかも知れない。自分があの時いれば、梨花を守れたかも知れないのに、と。
沙都子は詩音の腰に抱きつきながら、しかし泣くまいと涙を堪えている。
ここで泣いてなるものか。
「兎に角……今日青年団を派遣して村全体で捜索しようと思う」
魅音の提案に全員頷く。
その日は部活無しに下校となった。ひぐらしの声を感じながら、全員で帰路に着く。
「にしても、今日はやけに暗くないか?」
圭一が仰ぐように空を見上げる。みんなも彼に倣うように空を見、同意するように頷く。
「うん、そうだね。……それに、ちょっと不気味かも」
圭一の隣を歩いていたレナが声を震わせながら言う。
「それにさ……いつもとちょっと空気が違う気がするんだよね」
魅音の言葉は、きっと雛見沢でずっと過ごしてきた人間だからこそ言えること。
圭一も、肌で感じる雛見沢の空気とは多少違っていることに、言われて気がついた。
「確かに……。なんだ、この禍々しさは」
圭一が考えていたその時だ。前方で雄叫びと銃声が聴こえたのは。
「何ですの、今の声?!」
沙都子が叫ぶ。
「それに銃声……行ってみよう!」
魅音の声に皆は頷き、一斉にその場に駆け出していた。
――あれは?!
俺達がその場に辿り着いた時、そこは夢かと思われる光景が広がっていた。
銃を構えて無造作に撃っている人物には見覚えがある。確か、以前梨花ちゃんを狙っていた鷹野さんの部下の山狗のリーダーだった奴だ。それがどうしてこん
な所に?
「ち! しぶとい奴さんだぜ!!」
男が履き捨てるように叫ぶと、もう一丁の銃を構えてトリガーを引く。
しかし目の前の物体には、傷一つ付いていない。
(……なんだ、あれは?)
それはきっと、俺達全員が共通して浮かんだ疑問だろう。
男が銃を撃っている相手は、およそ人間とは思えない。もし人間だと言う奴がいるなら、眼科か精神科に行くことをお勧めするぜ、俺は。
「あんた、何してんのさ?!」
魅音が男に向かって叫ぶ。おい、この状況で声を掛けるのかよ?!
「お、お前等は……」
一瞬動きを止め、男は俺達に向き返る。それこそが好機、とばかりに、謎の物体が大きく手を振り上げる!
「危ない!!」
「なっ、があああああああああっ?!」
魅音が叫ぶがもう遅い。謎の物体の鋭い爪が、男の背中を切り刻んだ!
男は地面に突っ伏すように倒れる。慌てて掛けよる魅音。
「だ、大丈夫?! ……えーと……小此木」
魅音が男――小此木を抱き抱えながら、名前を呼ぶ。
きっと魅音は、自分の所為で彼を傷つけたと思っているのだろう。あの時自分が叫ばなければ……。
「久しぶりだな……部長さんよ」
「ごめん、ごめんね。私が叫んだりしなければ」
「気にするな。……く。古手梨花の居場所を教えに学校に向かおうとした途中で奴等に襲われて、この様とはな……」
「梨花ちゃんの居場所、知ってるの?!」
「……ああ。古手梨花は古手神社の社内にいる。気をつけろ。……あそこ……は」
しかし最後まで言い終える間もなく、小此木は目を閉じた。
「彼をこんな風にしたの……あんた?」
魅音が、怒りを孕んだ声で顔を上げる。その先にいるのは、小此木を倒した存在。
口は大きく裂けて両側には長く鋭い角。赤い両眼がぎらぎらと光っている。
それはまさに「鬼」と呼ぶべき存在。正真正銘の鬼が、鬼の血を引く魅音と対峙している。
「……詩音、彼をお願い」
魅音は静かに、小此木を詩音に預ける。
「お姉、何を?」
詩音の言葉は、しかし風のように消え去っていく。
暴風、とでも言うべき速さで正面の敵に向かって魅音は突進する!
「死に、さらせぇぇぇっ!!!」
叫びと同時、足を大きく振り上げて渾身の一撃を鬼に喰らわせる。
だが、鬼の体は丈夫なのか、びくともしない。
「くっ……こいつ!」
悪態を吐きながら後退する。
間違いない。魅音は怒っている。自分の所為で彼が傷付いてしまったことに。そして、彼を傷つけたあの鬼に。
「皆、魅音を助けるんだ!」
俺は咄嗟に叫ぶ。レナと沙都子は頷くと、それぞれ鬼を囲むように駆け出す。
「一人で戦おうとするな、魅音。お前の怒りは俺達全員の怒りだ」
「圭ちゃん……」
「お姉、彼は私に任せて、思いっきりやっちゃってください!」
びしっと、詩音が魅音に向かって親指を立てる。
「OK! 行くよ、圭ちゃん! レナ! 沙都子、サポートお願い!」
「おう!」
「うん!」
「お任せですわ!」
頷き合い、俺達は鬼と距離を稼ぐ。
武器は無い。だけど、やるしかない。
「たぁっ!」
魅音が右拳に力を篭め、鬼の腹部に一撃を当てる。だが、それで倒れる鬼ではない。
「まだまだぁ!」
背後に周り、俺も渾身の力で鬼に右ストレート!
「やああああっ!」
どこから拾ってきたのか、角材を手にしたレナが鬼の後頭部にきつい一撃を与える!
しかし、鬼はまだ倒れない。ゆらりとレナの方を振り向き、鋭い眼光を露わにする。
鬼が一歩を踏み出したその時、突然何かに足元を引っ掛けたように見事に素っ転んだ。
「をーっほっほっほ! レナさんには触れさせませんですのことよー♪」
右方向の木の陰から、沙都子がひょいっと顔を覗かせて笑っている。トラップ沙都子全開だな!
「ナイスだ、沙都子!」
これが好機(チャンス)とばかりに、俺達は鬼を袋叩きにする。いくら防御力の高い奴でも、これだけ攻撃を喰らえば致命傷は免れないだろう。
「来たれ、破壊の風刃(ふうば)よ」
止めを差そうとしたその時、風に乗って誰かの声が俺達の体を通り抜けた。
瞬間、全身を斬られながら俺達は後ろに鬼諸とも吹き飛ばされる。
「うわあああああああっ?!」
「きゃああああああっ?!」
「み、皆さん! な、なんですの……あれは?!」
沙都子は攻撃を免れたみたいだな……よかった。
ほっとしつつ顔をあげると、そこに立っていたのは俺達が先ほど相手にしていた鬼より、格段に位の違う奴だと言うことが解った。
……何だ、こいつは?
「ほう……私の攻撃を受けても立つか。流石だな」
「だ、誰だ……お前は?」
「私の名は、淵ノ鬼神」
淵ノ鬼神は流暢に喋ると、俺達を見据えた。その眼は先の鬼よりもずっとずっと鋭く、威圧的で、そしてそんな眼に……俺は少なからず――恐怖した。
「あんた? 梨花ちゃんと羽入をどこかにやったのは?」
魅音?
魅音は……まるで恐怖など感じてはいなかった。周りを見る。……レナもだ。
くそ、くそ! 恐がってるどうする、前原圭一!! 立て、立つんだ。うおおおお!!!
「贄のことか。……如何にも。彼女は我の計画を遂行するために必要な」
「そんなことはどうでも良い。早く梨花ちゃんと羽入を返しな」
淵ノ鬼神の言葉を遮り、魅音が低く唸るように言う。
「羽入のことは私も知らぬ。贄が逃がしたのでな。だが、贄を渡す訳には……」
「さっきから贄贄って五月蝿いな! 梨花ちゃんは贄なんて名前じゃないよ!」
びりびりと、空気が振動するような轟声が響く。しかし、淵ノ鬼神はそんな魅音の声に少しも退かない。
「……簡単に渡せると思っているのか?」
「……あんたの目的は何?」
「私の目的、それはこの村を、真の鬼ヶ淵村に戻すことだ」
「なんだと?」
「真の……鬼ヶ淵村?」
レナがオウム返しで尋ねる。淵ノ鬼神は軽く頷き、言葉を続ける。
「そうだ。真の鬼ヶ淵村。雛見沢に住む村人全てを、鬼に変えることだ」
「鬼にだって?! そんなこと、させるものか!」
「圭ちゃんは黙ってて。……それと梨花ちゃんと、どんな関係が?」
「……贄――古手梨花は雛見沢村の人間を鬼に変える『『鬼宿ノ主(おにやどりのぬし)』だ。彼女を生贄に捧げることにより、村人を鬼に変えることが出来
る」
「なるほどね。この村が薄暗いのもあんたの仕業?」
「如何にも。外界と隔離させてもらった。儀式執行は9月12日の午前0時。それまで何人足りとも邪魔はさせない」
「そうはいかないかな……かな」
レナが静かに、振り返りながら言う。
「梨花ちゃんはレナたちが助ける。絶対に」
「そうですわ」
沙都子がレナの隣に立ちながら、腕を組む。
「梨花は大事な親友ですの。そう簡単に生贄にしてたまるものですか」
「ええそうです。あなたの思い通りにはなりませんよ」
小此木を抱えながら、詩音が淵ノ鬼神を睨みつける。
「ああ。俺達は個として最強の部活メンバーだぜ? てめぇら鬼なんかに負けるかよ!」
「そう言うこと。私たちはあんたなんかには負けない。お前を倒して絶対に梨花ちゃんと羽入を救い出す!」

「たったの5人で……我々に立ち向かおうと言うのか?」
淵ノ鬼神が言うと同時、彼の後ろには数え切れないほどの鬼の影が蠢いている。
十、二十……いや、百はくだらない!
「今からこの村は……我々が支配する。安心しろ。殺したりはしない。一つゲームと行こうじゃないか」
「ゲーム?」
「ああ。お前達が9月12日午前0時までにこの私を倒し、古手梨花を救うことが出来たらお前達の勝ち。出来なければ私の勝ち……どうだ?」
「良いねぇ解りやすくて。その話乗った!」
魅音が人差し指を立てて同意する。
「我等に控えるは下鬼(げおに)、中鬼(ちゅうおに)、上鬼(じょうおに)の配下。これら全てに打ち勝つことが出来るか、楽しみにさせてもらうとしよう」
淵ノ鬼が僅かに口元を緩ませる。まるで楽しくて仕方無いかのように。
それは俺達の部長、園崎魅音も同じのようだった。
そう、これは部活なのだ。それもただのゲームじゃない。まさに、命がけの部活!
「11の日。日の出が昇ると共に我等の仲間が村を支配する。……行け」
合図と共に、鬼たちが村に散ってゆく。
明後日にはこの村が地獄と化すって言うのかよ。……上等じゃねぇか。
「それじゃ、私たちは行くよ。……この鬼は貰っていくよ。……良いよね?」
魅音は、もう動かなくなった鬼(きっと下鬼だろう)を指差して言った。
「……良いだろう。何の対策も無いまま戦っても、詰まらないだろうからな」
「くっくっく、言うねぇ!」
「果たして人間如きがどこまで私を愉しませてくれるのか……期待しているよ」
そう言うと、黒い煙と共に淵ノ鬼神は姿を消した。
続く。
SS:SEENA
挿絵:テナガエビ様