昨夜、隣の部屋の天井裏から、小動物の転がりまわるような音がした。それに合わせて神楽の興奮したような声も聞こえ、とうとうアレが彼女に見つかってしまったのだと、銀時は眠りにつく前のぼんやりした頭で理解し、賑やかな一日の終わりに目を閉じた。
 そして、今日。涼しい風の入り込む和室で、仰向けに寝転がりジャンプを読む自分の横には、昨夜の興奮冷めやらぬといった様子の神楽がいる。夕方まで外で遊んでおきながら、まだまだ元気を持て余しているらしかった。
「銀ちゃん、銀ちゃん、かくれんぼしようヨ!」
 鬼は銀ちゃんネ、と付け加える神楽の誘いに、本当にわかりやすいやつだなと銀時は微苦笑する。昨夜の秘密発見は、好奇心旺盛な年頃の少女をたいそう刺激したらしい。
「今、忙しいからまた今度な」
「ジャンプを読むのが忙しいアルか」
「そうそう。とっても忙しいの」
「そんなこと言わないでさ、ちょっとくらい付き合ってくれてもいいじゃねーかヨ」
 どこで見聞きしたのだろうナンパ男のような台詞を口にする神楽に、銀時は頭を抱えたくなる。
「ちょっとって言葉は信用ならねーからな」
 遠回しに教えを説いてやりながら、銀時は神楽に背を向けた。だが、
「銀ちゃんがデキる男ならすぐに終わるアル!」
「あ?」
 聞き捨てならない言葉を背に受けて、銀時は首を捩じり、顔だけ神楽に向ける。
「銀ちゃんが私をすぐに見つければいいだけの話ネ。それとも自信がないアルか?」
 随分と挑発的な態度だが、昨日、少女が手にした秘密のことを思えば、その気持ちはわからないでもなかった。おそらく、自分だけしか知らない秘密基地を手に入れたような気持ちになっているのだろう。誰にも見つけられないと思っているからこそ、こうして自信ありげな態度をとっているに違いなかった。
 しかし、神楽は大事なことを忘れているのだ。挑もうとしている相手は、この家を知りつくした主なのだという事実を。
 売り言葉に買い言葉。銀時は受けて立つことにした。
「……バカ言ってんじゃねーよ。俺を誰だと思ってんの」
「じゃあ、やるアルか」
「…… ハァーしょうがねーな。付き合ってやるよ」
 まっすぐな目に、呆れた声を混ぜ入れて返事をしてやれば、神楽は嬉しそうに笑った。素直に聞き入れるのもむずがゆく、心にもない文句のひとつでも言ってやろうかと思っていたが、それらは喉元から胃へと滑り落ちていく。
「銀ちゃん、ちゃんと私を見つけてネ!」と笑顔で告げて、神楽は部屋を出て行った。
 神楽の言葉に一時停止ボタンを押され、銀時は暫し固まってしまった。かくれんぼという遊びをしている以上、言葉通りの意味には違いないが、なんと意味深長な言葉だろう。見つけられるものなら見つけてみろと言わんばかりの態度をとってみせたくせに、少女の望みは別のところにあるのだ。
 胸を小さく叩かれるような衝撃を覚え、銀時は自分で自分が信じられなかった。
「もーういいーかーい」
「まーだだよー」
「もーういいーかーい」
「もーういいーよー」
 お決まりのやり取りを終えても、銀時はなかなかその場から動き出すことができなかった。
 開いたまま自分の胸に乗っていたジャンプを、持ち上げる。神楽がどこに隠れたのか、その答えを確信した自分は、挑まれた遊びとはいえ、本気になってはいけないような気がした。
 意図して立てられる音はひとつもない、静かな時間が流れていた。台所からは、今日の食事当番である新八が料理をしている音。自分の手元からは紙をめくる音。神楽が息を潜めている場所からは、時折、木造住宅ならではの軋む音が聞こえた。
 家の中にいるのが自分だけではないと実感できる心地よい音をBGMに、ジャンプを読み進めてしばらくして、自分へと近づく音がある。それを意識してすぐに、新八の声がジャンプの上へと降ってきた。隣室に誰もいないことを不思議に思ってこの部屋にやってきたのだろうが、あともうひとりの姿が見えないことを心配したようだ。
「銀さん、神楽ちゃんは?」
「神楽なら今、かくれんぼの真っ最中」
 ジャンプを読みながら答えると、頭上で小さく笑う気配がした。
「かくれんぼかァ……懐かしいな。僕も小さい頃、姉上と一緒に家の中でよく遊びましたよ」
 新八は昔を懐かしむような声で言う。新八の頭のなかでは回想シーンが繰り広げられているに違いなかったが、そこでふと何かに気づいたようで、アレ? と首を傾げた。それは、この場に居合わせてしまった者ならば誰もが抱くだろう、当然の疑問といえた。「でも、誰が鬼なんですか?」
「俺」
「……」
 頭上で、新八の笑みが消える気配がした。
「どこに隠れたのか丸わかりなんだよアイツ」
「だから、こうして時間を稼いでいるわけですか。探していると見せかけるために」
 やけに淡々とした口調で新八は言う。その内容は、当たらずとも遠からずであったため、そういうことにしておこうと銀時は思った。
「そうそう。俺ァ、デキた大人だろ」
 盛大な新八の溜息が、ジャンプの表紙にぶつかる。
「――もうすぐ晩御飯ですから、そろそろ見つけてあげてくださいよ」
 呆れた声に、「しょーがねーな」と立ち上がった。……こうした形で大義名分を手に入れた自分は、決してデキた大人などではない。
 隣の部屋へ行き、神楽が寝室にしている押し入れの襖を開ける。「よっこいしょ」と押し入れの上段に上がり、その天井に手を這わせた。少し重みのある天井板を持ち上げ、スライドさせる。
「押し入れの天井に、こんなのがあったんですね」
 自分のあとを追ってきた新八が、興味津々といった様子で、押し入れの外から見上げてきた。
「まァな」
 天井裏の入り口となるそこへ頭を突っ込み、首から上だけを覗かせた状態で銀時は天井裏を見渡す。部屋の明かりが漏れて入ってきているため、暗くとも全体を見渡すのに支障はなかった。ところが、視界を一周させても、そこにいるはずの少女は目に映ってこなかった。
「……神楽ちゃん、いないんですか?」
「……」
 額から汗が一筋流れるのを感じた。
「ハンデはいらなかったみたいですね」
「……」
「晩御飯までにはちゃんと見つけてあげてくださいよ」
 寺門通の歌を口ずさみながら、新八はスタスタスタと去って行った。
「……オイ、嘘だろ」
 銀時は押し入れの外へ出る。電気の眩しい光が、眼を刺激した。
 神楽の声は、確かにこの場所から発せられたものだった。全く疑ってもいなかった答えを真っ向から否定されてしまい、じわりとした緊張が外から内側へと伝ってくる。
 静まり返った部屋は何の変化も見せない。部屋の隅で丸くなっている定春の耳がピクリと動いただけだった。
 焦りが、銀時を突き動かすのに、時間はかからなかった。
 家中を駆け回り、少女が隠れられそうなありとあらゆる場所を探す。収納家具の中身もおかまいなしにぶちまけていると、派手な物音に気づいた新八が呆れた声を上げ、階下からも静かにしろとお登勢の声が上がった。その声に、はたと銀時は動きをとめ、思案する。隠れる場所の範囲は決めていないが、外に行ったとは考えにくい。家の中というのが暗黙の了解というものだ。ならば、一階もその条件に含まれるのではないだろうか、と。
 思い立ったら即行動という言葉の通り、すぐさま階下へ駆け下り、非難の声を浴びながらもおかまいなしで、銀時は神楽を探す。堪忍袋の緒が切れたお登勢から追い出されるまで、それは続いた。――神楽は、見つからなかった。
 二階へと続く階段を上がる足が重い。完全なる敗北感を踏みしめていると、小さく耳を掠める声があった。慌てて玄関の扉を開き、部屋へなだれこむ。
 何事もなかったかのように、ソファの上には神楽がいた。対面のソファには新八もいる。テーブルの上には、夕食が用意されており、自分たち三人に食されるのを、今か今かと待っているようだった。定春も餌を前にして「待て」の姿勢を貫いている。
「遅かったアルな」
「神楽、お前……」
 一体どこに隠れていたのかと問おうとして、踏みとどまる。
「銀ちゃんの負けアル。でも惜しかったヨ」
「……惜しい?」
「最初は押し入れの天井裏にいたアル」
「……」
「でも銀ちゃんがなかなかこないから、隠れ場所を変えたネ。気持ちよくて途中からうっかり寝ちゃったけど。ネー定春ぅ~」
「ワン!」
「……」
 銀時は、部屋の隅で丸くなっていた定春を思い出した。確かにあれだけ大きければ、この小さな少女を隠すのは容易いだろう。
 重力に逆らう気力もなく、銀時はガクリと項垂れる。
 もっと早くにあの場所へ向かっていれば、自分の勝ちで終いだったという予測は正しかった。しかし、そうしていればよかった、という後悔はない。それよりも、待つ時間を積み重ねている間に――自分の知らない間に、自分の気づかない場所へ行ってしまったという事実が、今まで触れずにいた胸奥を打ちのめしていた。
「銀ちゃん!」
 神楽に名を呼ばれて、銀時は顔を上げる。
「……なんだよ」
「次は、ちゃんと見つけてネ!」
「……オ、オウ……」
 少女の屈託のない笑顔に、銀時は思わず頷く。そうして返事をしてしまったあとで、「次」が約束されてしまったことに気づき、銀時は苦笑せざるを得なかった。
 いつかまた少女を探す日のことを思い、虚空を仰ぐ。――次はきっと、待ってはやれないだろう。



 日常の一コマとして、ささやかに記憶に刻まれたあの日の「かくれんぼ」は、神楽の成長とともに、呼び起こされる機会を失われてゆく。
 ――「次」が訪れることのないまま、季節は二巡した。
「銀さん、神楽ちゃんは?」
 ぼんやりと虚空を仰いでいたところへ、新八が台所から顔を覗かせた。部屋を見渡し、ここにいるはずのもうひとりの姿がないことを心配して、問いかけてくる。
 銀時は、真っ赤な顔をして自分の腕から飛び出して行った神楽を思い出し、微苦笑した。彼女が逃げ込んだ先は、見当がつく。その場所は、男である自分が立ち入ることを許されなくなって久しい彼女の領域でもあった。襖によって閉ざされるその空間は、逃げるより隠れる場所にこそふさわしい。
「神楽なら今、かくれんぼの真っ最中」
 新八にそう答えてすぐに、懐かしい記憶が銀時の脳裏を掠め、瞬く間によみがえった。それは新八も同じだったようで、言葉の節々に懐かしむような声が混じる。
「かくれんぼかァ……懐かしいな。そういえば、前にもこんなことがありましたよね。あのときは銀さんの負けだったけど。――それで、今回も鬼はやっぱり……」
「俺」
 新八は笑う。
「……もうハンデはいらないでしょ。早く探しに行ってあげてくださいよ」
「――まだ心の準備ができてないんだと」
「……心の、準備?」
 首を傾げる新八に、銀時はひとつ笑って、声を張り上げる。懐かしさに胸が高揚して、遊び心のようなものが芽生えた。
「もーういいーかーい」
「まだダメアル!」
 律儀に返事をしてきた神楽に、銀時は我を忘れて破顔した。
 神楽と自分のやり取りに、新八も笑みを絶やさない。新八なりに状況を理解したのか、「晩御飯までには決着つけてくださいね」そう言って、寺門通の歌を口ずさみながら、再び台所へと戻っていった。
 銀時は隣の部屋へ行き、神楽が寝室にしている押し入れの襖に背を預けた。
「もーういいーかーい」
「ダメアル! ……あともうちょっとだけ待ってヨ」
 互いの距離が縮まっていることに気づいたのだろう。神楽の声には、焦りの色が含まれている。襖に隔てられてはいるものの、呼吸音が聞き取れるほどの距離だ。ヒッヒッフーと息をしながら自身を落ち着かせようとしているらしい神楽の声が聞こえるが、深呼吸のやり方としては正しくない。彼女が緊張しているのが手にとるようにわかってしまう。それでも、もう、待ってはやれないと銀時は思った。
「……もう、いいだろ」
「……」
 無言は肯定だ。小さく身じろぐ音がしたあと、そろりそろりと襖が開かれてゆく。それを手伝ってやるように、銀時も襖に手をかけた。神楽と目が合い、銀時は微笑みながら、かくれんぼの終わりを告げる言葉を紡ぐ。
「見ィーつけた」
 顔をさらに赤らめ、俯こうとする神楽の頬に手をかけると、銀時はそっと自分へ引き寄せた。





FIN




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