ラジカセの録音スイッチが気になったのは、毎日聞いているラジオ番組の『星座別恋占い』がきっかけだった。
 ラジオ番組の内容は、主に恋愛相談で構成されている。今日の相談者は、自分と同じ年の女の子だった。番組でアドバイスをもらった彼女は、意中の相手にラブレターを送ることを決意した。
 夢中になって聞いていたからか、時間が過ぎるのはあっという間で、気がつくと、番組は星座別恋占いのコーナーへと移っていた。
『さそり座のあなたのラッキーアイテムは、丸い形をしたモノ。ラッキーカラーは、赤色です』
 自分の星座になると耳を傾けはするが、いつも神楽は聞き流している。条件に合うものを探して、運気が良くなることを祈ったりもしない。ところが、ちょうど目の前のラジカセに、条件を揃えたものを見つけてしまっては話が別だ。
 赤い丸印が刻まれたスイッチ。普段、使うことのないスイッチであるため、用途も不明。謎であることが、神楽を幾分興奮させた。
 カチ。そのスイッチを試しに押してみるが、変化はない。カチカチカチ。カチカチカチ。何度押してみても、まるで気づかないフリでもしているかのように、ラジカセは何の反応も示さなかった。代わりに、銀時が反応してくれた。
 赤い丸印の刻まれたそれは、録音スイッチなのだと銀時は言った。再生と録音スイッチを同時に押せば、音声を録音できるのだということも彼が教えてくれた。
 録音された自分の声を神楽は聞く。
 これまで知らなかった自分と出会えたかのような感覚があった。自分以外の人間が、自分には馴染みのないこの声を聞いているのだと思うと、不思議だった。これが、自分の声――銀時が聞いている自分の声なのだと思うと、これまで意識したことのなかった自分自身の声が、ひどく気になった。
 自分の声は、どんな風に彼に届いているのだろう。回転するテープに、その声をふきこもうとしたところで、台所から新八の声がかかった。
「銀さん、神楽ちゃん、ご飯にしますよ~」
「おう」「ウン!」
 カチ。銀時が停止スイッチを押す。テープの回転が止まるのは一瞬で、余韻すら持たない。
「このカセットテープ、お前にやるから好きなだけ使え」
 ラジカセを見つめていると、彼の声が上から降ってきて、神楽は顔を上げた。
 嬉しいという感情に混交する何か。その感情の正体を、神楽はすでに知っている。
「ウン! アリガト、銀ちゃん!」
 銀時に教えてもらった録音の方法と、銀時にもらったカセットテープ。神楽は、自然と頬が緩むのを感じた。
 夕食を終えるとすぐに、神楽はラジオを聞く目的以外でラジカセを使うことにした。
 誰にも聞かれてはいけないと、神楽は押し入れの中へラジカセを持ち込んだ。念には念を、と襖も閉める。
 自分と同じ年の女の子が、ラブレターで相手に想いを伝えることを決心した話。ラッキーアイテムとラッキーカラーの条件を満たす録音スイッチ。ラジオで聞いたそれは、神楽の胸裏に居残りを決め、ついには神楽の背を押した。――先延ばしにしてきた告白の決断は、一本のカセットテープへと向かう。
 襖のわずかな隙間から零れ入る光を頼りに、神楽は手探りでラジカセのスイッチを押した。流れる静寂の長さを、意識する。緊張が声を震わせた。
「銀ちゃん」
「私、銀ちゃんのこと、ずっと……す、す、す、すゥゥゥ」
 呼吸の仕方が思い出せないほどに、声を出すことに集中してしまっていた。心臓が暴れて、息苦しい。
「スーハースーハー。……銀ちゃん、私、ずっと、銀ちゃんのこと、す、す!」
 何度繰り返しても、うまく言葉にすることができなかった。
 上手に表現することができないのは、まだ言うべきではないと決心が鈍りはじめているからなのか。それとも、その告白のあとに押し寄せてくるだろう情動に、抗える自信がないからなのか。
「銀ちゃん、私、銀ちゃんが……。――ダメアル。ちゃんと言えないネ」
 目の前にあるのは、テープを回し続けるラジカセのみ。それでも、目の前に銀時がいる時のように、神楽は緊張した。
 神楽は、視界を巡らせる。周りを見渡し、行き着いた先は押し入れの天井。神楽は暗闇に浮かぶ木目を見つめた。
「……どうすればイイネ。――どうすれば、銀ちゃんに好きになってもらえるアルか?」
 誰に問うでもない声が、神楽の内から零れた。
 心の内を大きく占める願い事がある。それは、これまでもこれからも、ずっと胸に抱いていたい大切な気持ちだ。たとえ、叶わずとも――。
 明日にはきっと言葉にできるはずだと自分に言い聞かせて、神楽は停止スイッチを押す。
 押し入れの中の熱気を追い出すために、片手でそっと襖を開けた。
 部屋の灯りが目に眩しい。部屋の奥には彼がいる。銀時は、事務机に足を乗せ、器用な姿勢で眠っていた。


 翌朝。神楽は鳥の鳴き声で目を覚ました。空には夜の色が残っている。まだ朝早い時間だ。銀時もまだ眠っているだろう。
 神楽は起き上がり、両手を頭上に掲げて大きく伸びをした。目を擦り、視界を遮っていた手を寝癖のついた髪へやったところで、ラジカセの存在に気づく。
 思考をうまくまとめてくれない起きたばかりの頭でも、昨夜の決意は覚えている。まずは録音した自分の声を聞いてみようと神楽は考えた。テープをほんの少しだけ巻き戻し、再生する。朝の静寂を邪魔したくなくて、音量も下げた。
 小さなノイズのあとに流れる静音は、ぼんやりと朝霧に覆われていた脳裏を、少しずつ晴らしてゆく。巻き戻した間隔が足りなかっただろうかと、神楽は停止スイッチに指を伸ばした。そこで、再び小さなノイズがあった。反射的に小さく震えた指が、スイッチに触れる前に固まる。
『あーあーあーマイクテスト、マイクテスト』
 スピーカーから流れる銀時の声。神楽は、はっきりと目を覚ました。と同時に、朝の冷えに触れていた顔が、一気に熱くなる。
 彼が声をふきこんでいるということは、これまで自分がふきこんだ声も聞かれてしまっているに違いない。
 一体、いつ聞かれてしまったのか。彼は、いつ録音したのか。恥ずかしさに逃げ出したくなる気持ちをおさえながら、神楽は頬をおさえた。
 耳元で鳴っているかのような自分の心音。スピーカーから流れるのは無音の間。時刻の経過とともに、回転する過去の記録。
『……そのままでいいから、直接言いに来い。クソガキ』
 わざとらしい咳払いのあとで、ブツッと途切れる音があった。クソガキといいながらも、彼の声は、心からそうは思っていないことを告げてきた。
 震える指で、停止スイッチを押す。その音に重なるように、聞き慣れた足音を近くで感じた。
 眠そうに欠伸をしながら部屋へ入ってきた銀時と目が合う。どう顔を合わせればよいのか考える時間も与えてはもらえなかった。
 太陽が水平線から顔を出せば、あっという間に空が明るくなるように。一台のラジカセを挟んで、自分たちの関係は目まぐるしく変わろうとしている。
 彼の視線はラジカセに向けられあと、再び自分へと戻ってきた。
「……聞いたのか」
 彼の声に波紋があった。
「……ウン」
 一度伏せた目を上げると、再び目が合う。
 どうすれば自分を好きになってくれるのだろう?
 その答えは、他ならぬ彼が教えてくれた。
 彼の言葉を伝えてくれたラジカセ。その取っ手を、鉄棒で逆上がりするときのように一度固く握りしめて、汗に滲んだ手を離す。
 神楽は、押し入れの上段から降りて、銀時の前に立った。
 ラジカセの前で言葉にしたときとは比べものにならぬほどに、緊張していた。録り直すことはできない。たった一度きりだ。
 彼の言わんとしたことが、神楽にはわかった。美しく言葉を整えることよりも、大切なことがあるのだと彼は教えてくれているのだ。
「ぎ、銀ちゃん、わ、私、ぎ、銀ちゃんのことが……銀ちゃんのことが……」
 テープに残されていた彼の声を反芻する。そのままでいいのだと、彼は言ってくれた。その言葉通り、自分を見守ってくれている彼の表情は、柔らかな笑みをそこに湛えて、これまで辿り着けなかったこの恋路の行く先を促してくれる。
「――私は、銀ちゃんが、大好きアル!!」
 鳥の鳴き声が聞こえなくなった。自分の鼓動の大きさに、今、この空間にあるすべての音がかき消されているのだ。
 銀時が掌を上に向けて手を差し出したので、神楽も彼に向かって重ねるように手を伸ばす。すぐに手を握りこまれて、強く抱き寄せられた。呼吸がうまくできなくなった。銀時の手が背中にまわり、神楽も応えるようにそろそろと彼の大きな背中に手を伸ばす。
 トクトクトク。どちらのものかわからぬ心音の刻みは、落ち着かないのに、ひどく心地良い。
「――俺もだ」
 彼の声は記録に残ることはなかったけれど、神楽の記憶に確かに残り、生涯何度も繰り返された。








FIN





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[2011/6/26] 読んでくださり、本当にありがとうございました!
実は、カセットテープに銀さんへのメッセージを残して、宇宙へ旅立つ神楽ちゃんのエピソードも考えていました