カチカチカチ。カチカチカチ。
 窓外の喧騒。台所の包丁音。壊れかけた扇風機の音。ジャンプのページを捲る音。ラジオの音声。そして、日常を演出するこれらの音に混じるこのカチカチ音。
 今週のジャンプを手にしながらも、銀時の興味はこのカチカチ音へと移っていた。
 最近、ラジオで放送されている恋愛相談の番組に、神楽は夢中になっている。夕方のこの時間になると、ソファの上にラジカセを置き、興味津々といった様子で食い入るように聞いているのだ。
 スピーカーから漏れ聞こえてくるラジオの音声からするに――青春モノから昼ドラ顔負けのドロドロとしたモノまで――相談内容は多種多様なようである。番組の最後には、星座別の恋占いまであるらしい。とはいえ、劇的な内容の変化があるわけでもない。毎日同時刻、同間隔で、それは淡々と放送され続けた。ラジオ番組を聞いている神楽の反応も、毎日リピートでもされているかのように、特別な変化はなかった。
 ところが、今日は違っていた。ラジオ番組の途中。星座別恋占いの最中に、神楽がラジカセのスイッチをカチカチ鳴らし始めたのだ。
 次へと進まぬページに銀時は目を戻す。ページを捲る音はいつからか途絶え、BGMはラジカセのスイッチ音へと完全に切り替わっていた。音はやむ気配をみせない。よく飽きもせず同じことを繰り返していられるものだと、銀時は横目で神楽の様子を覗き見ながら言った。
「オイ、神楽。カチカチ遊ぶのはいいが、壊すんじゃねーぞ」
「ウン」
 声はちゃんと少女の耳に届いていたようで、神楽は、今度はおとなしくそれを弄り始めた。
 カチ……。やけにさびしそうな音をあげる一音。
 カチ……。遠慮がちに様子を窺うような一音。
 ラジカセを操作するためのスイッチであるはずなのだが、神楽の鳴らすスイッチの音に、銀時は自分が呼ばれているような気がしてくる。ジャンプを閉じ、神楽に目をやれば、案の定、少女はこちらの様子を窺うようにして見ていた。
「……何だよ」
「……銀ちゃん、このスイッチは何のためについてるアルか?」
 ラジカセの上部に並ぶスイッチのひとつを、神楽は指差す。ソファと事務机の距離は意外に遠く、どのスイッチを指しているのかがよくわからない。
 事務机に乗せていた足を下ろし、銀時は椅子から立ち上がった。と同時に、神楽もソファから立ち上がり、こちらへラジカセを運んでくる。
「どのスイッチだ?」
「コレ、このスイッチアル」
 好奇心旺盛な年頃の少女に興味を与えたのは、赤丸が印字されているスイッチ。
「あーコレな。コレは録音スイッチだ」
「マジでか! 音が録れるアルか!」
 カチ、カチ、カチ。今度は録音を試みるために、神楽がそのスイッチを押し始める。その様子を見ながら、銀時は少女のこれまでの行動をようやく理解することができた。
 神楽は、このスイッチの正体を突きとめようとしていたのだ。リズミカルに押し続けていたところを見ると、遊びも含まれていたかもしれないが。
「待て待て。教えてやるから、そっとしておいてやれ。そいつァ意外にデリケートなんだからよ」
 神楽が再びスイッチに触れる前に、銀時はそっと小さな人差し指をすくいあげる。神楽は、まるで熱い物に触られたかのように反射的に身体を震わせて、その手を後ろに回した。頬から耳にかかる薄赤が、はにかんだ色をしている。
「……ッ」
「……どした」
 顔を覗き込もうとして近づけば、神楽は俯いて一歩遠ざかった。そうして少女は、自身の行動が理解できないとでもいうような顔をする。
 神楽が自身のそれを言葉にする日は、もうすぐそこまできているのかもしれない。自分が少女に手を差し出す日も、そう遠くはないかもしれないと銀時は思う。
「……な、何でもないアル。そんな事より、銀ちゃん。コレ、どうやって録音するアルか?」
「あーちょっと待ってろ」
 銀時は事務机へ戻り、一番上の引き出しからカセットテープを取り出した。神楽が事務机の上にラジカセを置いたので、それにセットしてやる。
「銀ちゃん、次はどうするアルか?」
「この録音スイッチと再生スイッチを同時に押してみろ」
「ウン」
 神楽がふたつのスイッチを同時に押し込むと、ラジカセの小さな窓から見える黒いテープが、回転を始める。真剣な顔をしてそれを覗きこんでいる神楽を、銀時は軽く小突いた。
「オラ、神楽。何か喋れ」
「ウ、ウン。……あーあーあー、こちら、神楽アル。…………」
 緊張しているのか。何を喋ればいいのかわからなくなったのか。黙り込んだ神楽が、まるで助けを求めるかのような目で自分を見上げてきた。
 銀時はひとつ笑って、停止スイッチを押す。
 詰めていた息を吐き出して、神楽が深呼吸をした。
 録音できているかを確認するために、ほんの少しだけ巻き戻して、銀時は再生スイッチを押す。小さなノイズのあとに、小さな時間の逆流があった。
『オラ、神楽。何か喋れ』
『ウ、ウン。……あーあーあー、こちら、神楽アル。…………』
 スピーカーに耳を近づけながら聞いていた神楽が、せわしなく瞼を上下に動かした。
「銀ちゃん、銀ちゃん。私の声、何かおかしいネ。コレ、私の声アルか?」
「間違いなくお前の声だよ。自分に聞こえる声と、他人に聞こえる声は違げーからな。コレが、俺が普段聞いてるお前の声だ」
「コレが、銀ちゃんが聞いてる私の声、アルか……」
「そうそう」
 しばらく何か考えているような素振りを見せてから、神楽は恐る恐るといった様子で再びふたつのスイッチに手を伸ばした。
 カチ……。今、この空間にあるすべての音が、時の刻みと呼応するかのような速度で回るテープに、記録されてゆく。
 神楽が口を開きかけたところで、ラジカセは声を拾った。台所から、新八の声がかかったのだ。
「銀さん、神楽ちゃん、ご飯にしますよ~」
「おう」「ウン!」
 銀時が停止スイッチを押すと、神楽の瞳が名残惜しそうにラジカセへと向けられた。少女の瞳の揺らぎに、引き寄せられる。銀時は、抗えない。
「このカセットテープ、お前にやるから好きなだけ使え」
 神楽のこわばった頬が笑みをかたどる。揺れていた瞳は、一度瞼の内に隠れたあと、いつもの陽気を取り戻していた。
「ウン! アリガト、銀ちゃん!」


 夕食を終えると、神楽はラジカセを持って押し入れにこもってしまった。
 何かを録音して遊んでいるのだろうが、誰にも聞かれたくはないらしい。外に声が漏れないよう隙間なく襖を閉めるほどに、神楽の引きこもりは徹底していた。
「神楽ちゃん、ラジカセに夢中なんですね」
「……そうだね」
 一体、何を録音しているのか。気にならないわけはなかったが、腹が満たされた心地良さからくる眠気が、銀時の意識をそこから遠ざけた。
 銀時が少女の行動の真意を知ったのは、日付変更後のことだった。
 湿気のこもる寝苦しい夜。夕食後に寝てしまったことを後悔せずにはいられないほどに目が冴えてしまい、銀時は眠ることができずにいた。どうすれば眠れるだろうかと考えて、以前、今の自分と同じようになかなか寝付けなかった神楽が、ラジオを聞いて眠りについた日のことを思い出す。試してみる価値はあるだろうと、銀時は布団から起き上がった。
 部屋を出て、隣室の押し入れへと向かう。ラジカセは、眠る神楽の頭上に置いてあった。神楽を起こさぬようにラジカセを取り上げて、再び部屋へと戻る。
 枕元にラジカセを置き、その前に座ったところで、銀時はラジカセの窓から覗くカセットテープの存在に気がついた。
 昨日、神楽に渡したカセットテープには、元々は歌謡曲が録音されている。ラジオを聞くために周波数を合わせるか、歌謡曲を聞くためにテープを巻き戻すか。どちらにしようと考えている途中で、この時間帯のラジオ番組に怖い話が含まれていたことを銀時は思い出した。これ以上眠れなくなる危険は避けねばならない。銀時は歌謡曲を選択する。
 カチ。……カチ、カチ。巻き戻し、停止、再生。
『銀さん、神楽ちゃん、ご飯にしますよ~』
『おう』『ウン!』
 銀時の脳裏で、記憶の巻き戻しが起こる。
 小さな懐かしさを伴う声のあと、スピーカーからは音のない空間のさざめきだけが聞こえてきた。テープは、不変の速度で回り続けている。
 ひどく落ち着かない静寂の中。歌謡曲はどのあたりに録音されているのか記憶を辿り、ひとまずテープを最初まで巻き戻すことにした。
 銀時はスイッチに手を伸ばすが、手が触れる前に、流れる無音は終わりを告げた。
『銀ちゃん』
 神楽の声に、銀時の心臓は跳ね上がる。真夜中の突然の音声に、反射的に汗が噴き出した。慌てて周りを見渡すが、少女の姿はない。少女の声は、スピーカーから聞こえてきたものだ。
 再び流れる音のない記録が、銀時を幾分冷静にした。神楽がラジカセを押し入れに持ち込み、何をしていたのか。偶然から呼び起されたテープの記録。そこへ刻まれている少女の声が――今まさにここで再生されようとしている少女の言葉が、その答えだ。
 銀時は、ラジカセに向き直った。待ち望んでいた少女の声が、確かにそこにあった。
『私、銀ちゃんのこと、ずっと……す、す、す、すゥゥゥ』
『スーハースーハー。……銀ちゃん、私、ずっと、銀ちゃんのこと、す、す!』
『銀ちゃん、私、銀ちゃんが……。――ダメアル。ちゃんと言えないネ』
 音だけを拾うはずのラジカセはしかし、神楽の戸惑いをも記録に残していた。
 声の調子。息遣い。身じろぐ音。実際に見たわけではないのに、少女がどんな顔をしているのか、銀時には手にとるようにわかるのだ。
 言葉を伝えようと、何度も告白を繰り返し、録音を重ねる少女の恋情は、一色に透き通っている。光を向ければ、輝きを反射させるに違いないと思えるほどに、純粋だ。
『……どうすればイイネ。――どうすれば、銀ちゃんに好きになってもらえるアルか?』
 悩みに悩んだ先で少女の胸の内に湧いた言葉なのだろう。少女の声が、銀時の胸に波を立たせる。その声は、決して悲観的ではなく、どこまでもまっすぐに、前を、上を、向いていた。少女のありのままの声は、銀時の心臓を鷲掴みにし、大きく揺さぶった。
 記録の終わりを告げる音。自分の知らなかった少女の記録が、辿り着いた今。
「……そのままでいいんだよ。お前は」
 停止スイッチを押して、ここにはいない少女へ告白する。
 銀時は、自身の顔が赤くなっていることを自覚した。顔を鷲掴むように掌で覆う。
 自分が思っていた以上に早く、自分が手を差し出すより早かった。ラジオ番組に興味を持ったのは、恋愛に興味を抱かせる何かが、すでに神楽の内にあったからなのだとわかる。
 少女が自分に向かって手を伸ばしていることを知った今。銀時の内にあった待ち時間は静かに終わりを告げる。
 神楽に教えた通りのやり方で、銀時はふたつのスイッチを同時に押した。




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[2011/6/25]元ネタは某ドラマです