それは、何の変哲もない、普通の日のことだった。
 敢えて挙げるならば、雲ひとつない秋晴れの日だったということくらいだろうか。
 おかげで洗濯物がよく乾いた。せっかくの良い天気だ。布団やら何やら、干せる物は全部干してしまおう。その日、新八は朝から家事に勤しんでいた。昨日まで雨が降っていたので、洗濯物もほどよく溜まっていた。
「ねェねェ、銀ちゃんってば!」
 洗濯機を回しながら、次は何を洗おうと仕分けしていると、和室の方から神楽の声がする。会話の内容からするに、銀時を『おままごと』に誘っているようだ。
 新八は少し驚いた。『おままごと』という遊びからは、もうとっくに卒業していると思っていたのだ。
 出会って間もない頃、神楽がカラクリを相手におままごとをしていたのも記憶にはあるが、神楽はもう十六歳。いや、もうすぐ十七歳の誕生日を迎える。憧れているモノを現実に描くことだって、十分にできる年頃なのだ。
 洗濯機が作業完了の音を上げた。我に返り、脱水の済んだ洗濯物を洗濯カゴの中に入れていきながら、ふたりの会話に再び耳を傾けた。
 とうとう銀時も根負けし、『おままごと』に付き合うことにしたらしい。声を聞いているだけで、銀時がどんな顔をしているのかが目に浮かび、思わず笑ってしまった。
 洗濯機の中の衣類を全てカゴへ入れ終えたため、次の作業に移った。空になった洗濯機に新たな洗濯物を入れていく。耳はふたりの会話を拾っていたが、作業の手は休めない。しかし、次に聞こえてきた神楽の声に、新八は手の動きをとめた。
「今、銀ちゃんは私の婚約者っていう設定アル! これから私たちは夫婦になるアルヨ!」
「――神楽ちゃん……」
 いくら歳月が経とうとも、素直に自分の気持ちを言葉にできず、神楽は憧れを抱き続けたままであるということを、この言葉で思い知らされてしまった。
 洗濯機のスイッチを押す。回転し始める洗濯物を見つめながら、銀時と神楽の未来のことを思う。ふたりのことを一番近くで見ていたからこそ、願わずにはいられないことがあるのだ。
 神楽が銀時のことを本当に大好きで大切に想っていることを新八はよく知っていた。
 銀時にも、神楽の想いはきっと届いていると新八は信じていた。
 ――もう『現実』にしてもいいはずだと、そうなってほしいと、心から願っている。
 洗濯物を干すため、新八は洗濯カゴを持ち、神楽たちのいる和室へと向かった。和室では、銀時と神楽が向かい合って座り、早速『おままごと』を開始していた。少し深く考え過ぎてしまっただろうかと自嘲したくなるくらい、いつも通りのふたりだった。
「銀ちゃん、まずは私にプロポーズするヨロシ」
「……あ?」
「夫婦になるための大切な儀式アル。これがないと始まらないネ」
「あー俺と結婚してください?」
「却下アル。ちゃーんと私の目を見て、真剣に言うアル。遊びは真剣にやるからこそ面白いネ」
 ベランダで洗濯物を干しながら、新八はチラリとふたりを覗き見た。位置的に銀時の表情は見えないが、背中がいつもより丸まっている。尻に敷かれている男の後ろ姿だ。
「あー毎日、パフェ、俺に作ってください」
「しょうがないアルナ。これくらいで勘弁してやるヨ」
「そりゃどうも」
「次は婚姻届アル! 銀ちゃん、ここに名前書いてヨ」
「ハイハイ」
 新八は、洗濯物を運ぶフリをして、真横を通ってみた。ふたりの間にあるのは、手作りの婚姻届。『婚姻届』と漢字で書かれてある。漢字の練習をしていた神楽の成果を見たような気がして、微笑ましい気持ちになった。
 一分も経たないうちに、ふたりとも名前を書き終えたようだ。「おめでとう」と新八は心の中でふたりに告げた。
 展開の速さにはなかなかついていけないものだった。婚姻届を書き終えたあと、すぐに銀時は和室から追い出されてしまっていた。
「もうすぐパピーが帰ってきますからね~」と定春に向かって神楽が声をかけているところを見ると、「定春はふたりの子供」という新たな設定まで加えられたらしい。
 新八はすっかり作業をとめていた手を再び動かすことにした。
 銀時が和室に入ってきた。その後の展開は、容易に推察することができた。
「ただいま~」
「アナタ、おかえりなさーい。ご飯にします? お風呂にします? それともワ・タ・シ?」
「じゃあ、飯」
「何アルかソレ! 銀ちゃん、全然わかってないヨ。私たちは新婚夫婦アルヨ?!」
 一体どこで覚えてきたのかと頭を抱えたくなるような台詞の合間に、素に戻るのが面白い。
「じゃあ、風呂」
「なんでそっちを選ぶネ……」
「家に帰ったら風呂入ってスッキリしたいだろうがよ」
 神楽の頭上に湯気のようなものが見えた気がした。
 その後、神楽はいくつもの愚痴を呟き、その間、銀時はその場に座り込んで、おとなしく聞くフリをしていたようだった。ワイドショーやらの見過ぎだなという感想を抱かずにはいられない言葉のオンパレードだったが、とうとう神楽は最後にトドメの一言を放ってしまう。
「もうアナタには付いていけないわ! 離婚よ離婚! 慰謝料はたんまり払ってもらいますからね!」
「え?!」
 幸いふたりには気づかれなかったが、思わず新八は声をあげてしまった。なんというスピード離婚だ。
「あ、離婚届、作るの忘れてたアル」
 婚姻届と離婚届を同時に用意される方が嫌だよと新八が心の中で突っ込んでいると、銀時がゆっくりと立ち上がった。
「俺が用意してやるよ」
 声の調子に嬉々としたものが混じっている。これで『おままごと』から解放される、と嬉しがっているのだろうか。銀時の考えていることは、実は未だよくわからないことが多い。何かをたくらんでいるときのような表情に見えなくもなかった。
 銀時が隣の部屋に向かって歩いてゆく。ほんの一瞬、新八は銀時と目が合った。気のせいだったのかもしれないが、銀時の顔にやわらかな笑顔を見たような気がした。
 一枚の紙切れを持って和室に戻ってきた銀時は、神楽の前に再び座り、それを広げた。
「ホラ。書けよ、お前の名前」
「……銀ちゃん、コレ……」
 空気の流れが変わった。何やらただならぬ雰囲気を感じて、洗濯物を片手に持ったまま、新八はふたりに近付く。信じられないモノがそこにはあった。
 ――ただの紙切れではない。……婚姻届だった。本物の。
「ま、今とあんま変わんねーけど」と前置きして、銀時は真剣に神楽を見つめてこう言った。
「毎日、卵かけご飯、俺に作ってください」
 色んな感情が神楽の中で渦巻いていたようだった。
 迫り上がってくる何かを必死に耐えるようにして、神楽は頷く。
「……ウン」
「離婚届にサインなんかさせねーぞ、コノヤロー」
「ウン!」
 とうとう耐えきれなくなったのか、神楽の頬をボロボロと涙が伝った。
 銀時は、そんな彼女の頭を少し乱暴に撫でてやっている。その光景を見守っていると、しだいにふたりの姿がぼやけて見え始めた。
 神楽の気持ちも、自分の願いも、この男に届いていたのだと確信した。そして何よりも、銀時自身がそれを望んでいたことに気づかされたのだ。……銀時が、優しく熱い視線を向ける先には、神楽がいる。
 ゴシゴシと目元を拭って、自分が手に握っていたものは、湿った洗濯物だという事実に新八は気づいた。しかも己の下着だったりする。それでも今は、そんなことはどうでもよかった。
 抑えきれない言葉が、早く出たいと胸の内から込み上げてくるのだ。
「銀さん、神楽ちゃん、おめでとう!」
 遠くで、洗濯機が作業完了の音を告げた。

 ――それは、何の変哲もない、普通の日のことだった。
 敢えて挙げるならば、雲ひとつない秋晴れの日だったということくらいだろうか。
 それでも今日というこの日は、かけがえのない記念日となった。



FIN




TextTop