風花の季節にはまだ早く、木枯れの季節を迎えゆく途中で、何かに呼ばれたように神楽は背後を振り返る。
 日めくりカレンダーが、まるで時の経過を急かすかのように秋風に揺れていた。はためく十一月二日の文字を目で追いかけて、瞼を下ろす。秋の紅葉は胸に、彼の激情は肌に、彩りを残した。それらによって与えられる甘美な温もりに、神楽は身体をあずける。ぼんやりとした意識のなかに現れるのは、最近になって初めて知った彼の表情ばかり――この一年で、銀時と自分の関係は変わった。
 いつしか眠りについていたようで、銀時が風呂場から戻ってくる音に目を覚ました。視界に入る見慣れたソファの色に、ぬるま湯に浸るような心地よさを与えられる。再びまどろみそうになったところで、彼の声に呼び戻された。
「こんな所で寝てるとカゼひくぞ」
「…………ウン」
 顔を上げてすぐ、目に飛び込んできた光は、人工光。その眩しさに目をすぼめて、神楽はソファからゆっくりと身体を起こした。たっぷり五秒は時間を取り、踵を床につけ、そのまま覚束ない足取りで押し入れへと向かう。
「待て、神楽」
 背中に銀時の声を受け、神楽は立ち止まった。背後を振り返る前に、自分の横を通り過ぎていった銀時の姿を目の端に捉えて、ぼんやりと彼の後ろ姿を見つめる。押し入れの中へと伸ばされた彼の手が、布団と枕を引きずり出してゆく。銀時の行動を疑問に思ったのと、神楽の眠気が吹き飛んだのは同時だった。
 彼の足先が和室へ向き、彼の双眸が自分へ向く。
「今日からこっちで寝ろ」
「……銀ちゃん?」
 足元から痺れるような緊張が走り、胸が震えた。
「来いよ」
 その声に促されるがままに、神楽は銀時のあとを追いかけるようについてゆく。和室に足を踏み入れると、畳の軋む音が鼓膜を伝い、胸が跳ねた。布団を敷く銀時を直視することができず、神楽は落ち着きなく空中に視線を漂わせる。
 隙間なく並べられたふたつの布団に、頬が熱くなってゆくのが神楽自身にもよくわかった。
 和室で寝るのはこれが初めてではない。眠れない夜、彼と布団を並べて寝たこともある。ひとつの布団にふたりで寝たこともある。だが、銀時の言動は、これまでと違う響きを含んで、確かに、力強く、自分のこの手を引こうとするのだ。
「お前も明日で十六だ。いつまでも押し入れで寝るワケにはいかねーだろ」
 銀時の言葉に、神楽は明日が自分の誕生日であることを再び思い出した。
 これまで押し入れで迎えていたその日を、今年はこの部屋で迎えることになるのだろう。
 記憶は色鮮やかに瞼の裏に甦る。神楽は回想を巡らせた。昨年と一昨年。誕生日の朝。目を覚ますと、枕元には、酢昆布が一箱――。
『銀ちゃん! 朝起きたら、酢昆布が置いてあったアル!』
『そうかァ。よかったじゃねーの』
『銀ちゃん、誰がくれたか知らないアルか?』
『俺が知るワケねーだろ』
『……困ったネ。知らない奴からもらったものは食べるなって銀ちゃん言ってたアル。……食べちゃダメアルか?』
『あー……それな、思い出した思い出した。地球にはなァ、誕生日にそいつの欲しいものを枕元に置いていく妖精がいんだよ』
『マジでか!』
 地球で初めて迎えた誕生日。銀時の言うその妖精の存在を、神楽は信じた。
 地球で迎えた二度目の誕生日。神楽はその妖精がまた来てくれることを期待して、押し入れで一睡もせずに待とうとした。押し寄せる睡魔に抗うことができず、途中で寝てしまったけれど、朝、目が覚めると枕元には酢昆布が置かれていて、神楽は大事にその箱を胸に抱いた。
『銀ちゃん! 今年も酢昆布が置いてあったアル!』
『そうかァ。よかったじゃねーの』
 そう言いながら、銀時は神楽から視線を逸らした。しかし、その目元の影が、欠伸を何度も噛み殺しているその仕草が、すべてを如実に物語っていて、その事実は、銀時に向ける特別な感情を自覚して間もない神楽の胸を擽った。
「もう寝るぞ」
 銀時の声に、神楽は今ある現実へと引き戻された。人工光が消え、暗がりの部屋が窓の外からの自然な光だけで満たされてゆく。
「ウン。おやすみ、銀ちゃん」
 布団に入るが、冴えきってしまった目はどうにも閉じてくれそうにない。神楽は隣で寝る銀時を見つめた。彼の目は閉じられていて、口は緩く開いていた。もう眠ってしまったのかもしれない。煌々とした月の光が見せてくれる彼の姿は、音のない部屋に神楽の胸音を呼び起こす。まだあまり見慣れていない天井へと目を向けて、神楽は小さく呟いた。
「……眠れないアル」
 静かな夜に寂しさが混じり、あたりをきょろきょろと見回す。そうしているうちに、布団からはみ出している彼の手を見つけて、神楽はそっと手を伸ばした。ほんの少し彼が反応を見せたような気がしたが、起きたような素振りはない。ほっと胸を撫で下ろして、そろりそろりと手を重ねた。
 夜気に冷えた手が、彼の温もりに中和されてゆく。手から銀時の鼓動が伝ってくるようだ。音の鳴り止まぬ胸がじんわりと温められる。温かく、優しく、時には火傷しそうになるほどの熱を持つそれは、赤子の手を引いて導くように、神楽を夢の中へと緩やかにいざなっていった。
「……ん」
 指先に触れる感覚に、神楽は目を覚ます。控えめな月の光に、ほのかに白を綯い交ぜた陽の色が、部屋へと差し込んでいた。
 眠る前に重ねていた彼の手はそこにはなく、見慣れた酢昆布の箱が一箱、自分の手のひらに乗せられていた。……自分へと向けられた彼の背中が、このプレゼントの贈り主が誰であるのかを教えてくれている。
 ふと手に馴染んでいるはずの酢昆布に違和感を覚えて、神楽は起き上がった。そろりそろりと音を立てないよう静かに箱を開ける。
 いつも嗅覚をほのかに刺激する、あの香りはやってはこなかった。片目を閉じて、そっと箱の中を覗き込む。箱の中には、何重にも折りたためられた紙が入っていた。中身を取り出して、神楽は慎重にそれを広げてゆく。電気の光がないため、神楽は窓から零れる自然光に、それをかざした。
 浮かび上がる文字に、神楽の視界はしだいにぼやけてゆく。
 一昨年も酢昆布だった。昨年も酢昆布だった。ここへ来て三度目に迎えた誕生日――彼がくれたものは、酢昆布ではなかった。
 “――婚姻届――”
「なんで酢昆布じゃないアルかぁ……」
 もっと、この場にふさわしい言葉があったはずだ。それなのに、自分でも何を言っているのかわからなくなるくらい、胸奥に幾重にも敷き詰められていた感情が、湧き出し、絡み合い、神楽を揺さぶっていた。
 追い打ちをかけるように、背を向けて寝ていたはずの銀時が、いつからそうしていたのだろう、真っ直ぐこちらを見つめてきていた。そうして、こう言うのだ。
「書き間違うんじゃねーぞ。それ、一枚しかねーんだから」
 意地悪で、不器用で、捻くれていて、それでも――あのときと同じように、彼の目元がすべてを語ってくれている。
「……銀ちゃん……銀ちゃ……」
 名前を呼ぶことしかできなくなった自分の頭に、彼の大きな手が乗った。かき混ぜるように頭を撫でられて、涙の色に幸せの色が混じる。
 彼の名前の隣に自分の名前を書くということ――それは、これからも、隙間なく並べられたふたつの布団のように、銀時の隣にいるという約束だ。
「――神楽……誕生日、おめっとさん」
「――銀ちゃん……アリガト」
 白い光の中に、銀時の優しい笑顔。――神楽は、銀時の“正直”を受け取った。




FIN




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[2010/11/3] 神楽ちゃん、お誕生日おめでとう!!!