木枯れの季節にはまだ早く、緑葉の季節が過ぎ去ってしまったあとで、何かに呼ばれたように銀時は背後を振り返る。
 日めくりカレンダーが、まるで時の経過を急かすかのように秋風に揺れていた。はためく十月九日の文字を目で追いかけて、瞼を下ろす。夏は日溜まりに、思い出は瞼の裏に、温もりを残した。それらによって与えられるまどろみに、銀時は身体をあずける。ぼんやりとした意識のなかに現れるのは、最近になって初めて知った彼女の表情ばかり――この一年で、神楽と自分の関係は変わった。
 いつしか眠りについていたようで、インターホンの音に目を覚ました。訪問者である長谷川に飲みに行かないかと誘われ、そのまま外へ出る。空には橙が混じり始めていた。外で遊んでいる神楽と入れ違いになるのだろう。
「あんまり遅くならないでくださいよ」と背後から新八に声をかけられ、振り返らずに手をあげて応えてみせたが、この日はこの言葉に別の意味もこめられていたらしい。このとき、カレンダーが次に指し示す先は、記憶の縁で揺れるだけに留まり、意識の水面へ浮上することはなかった。
 午前零時をまわった頃、銀時は家路についた。夜の涼風が酒に火照った身体に心地良く、月光によってもたらされる控えめな星の輝きが、目に優しい。
 家の前に辿り着き、二階を見上げると、窓から人工光が零れ落ちてきた。階段を昇り、玄関の扉を開け、「神楽ァ、まだ起きてんのか?」と部屋にいるだろう彼女に声をかけてみたりする。しかし返事はなかった。物音ひとつしない。夜気の冷たさも胸に沁みはじめて、急ぎ足で部屋へと向かう。ソファの上で気持ちよさそうに眠っている神楽を見つけて、銀時は大きく息を吐いた。
 涎を垂らして眠っている彼女の姿に、目を細める。神楽の眠るソファの前へと歩み寄り、銀時はその場にしゃがみこんだ。神楽の口元へと手を伸ばし、今にもソファに零れ落ちそうな唾液を人差し指で掬うように拭う。
 すると、目を閉じたまま、神楽はゆっくりと顔を綻ばせた。
「……定春ぅ~」
 定春との戯れに似ていたのだろうか。柔らかい白毛の中に顔を埋めるような仕草で、神楽が身を捩る。そのあどけない姿は、出会ったばかりの頃の少女とまるで変わっていないようにも見えた。しかし歳月の経過とともに、少女は太陽に向かって背伸びを始め、空を仰ぎ見、花弁を開かせようとしている。
 銀時は神楽を起こさぬよう、彼女の唇を親指でなぞった。花開く前の蕾に、早く咲いてほしいと願いをかけるような接触。まだ一度も触れたことのない、触れ合わせたことのないそれは、花開く前の蕾の膨らみを彷彿とさせた。
 触れる親指に促されたように、綻び始める彼女の唇。銀時は、そこへ人差し指を含ませた。酔いの勢いではないことは、銀時自身にもよくわかっていた。関係を変えてから積み重ねてきた時間は、彼女に触れたいという渇望を強めるには十分過ぎた。
 神楽の湿った舌が、侵入してきたものを窺うようにして、そろそろと触れてきた。指から伝う感覚に反射的に身を引きそうになるが、それに逆らうようにして更に口内深くへと指を侵入させる。指は唾液にまみれ、その湿りと温もりに欲を掻き立てられそうだ。
 小動物を思い起こさせる舌の動きがやむと、今度は指に圧力を感じ始める。幼子がおしゃぶりを咥えてそうするように、吸いつかれてしまった。
「オイオイ、腹が減ってんのかよ。食うなよ、俺の指」
 銀時は苦笑するが、その声を神楽の耳は拾ったらしい。彼女の双眸が、ゆっくりと開かれる。電気の光に眩しそうに目をすぼめてから、神楽は青空色の瞳をこちらへ向けた。夢と現実の間を未だ行き来しているらしく、覚束ない目をしている。
 十秒くらいの静寂のあと、神楽は咥えていた銀時の指を解放すると、ソファから飛び降りて部屋の隅へと逃げるように駆けていってしまった。壁に背を預けてから、ようやく自分が何をしていたのかをはっきりと自覚したのだろう。銀時は自分の濡れた指に神楽の視線が注がれているのを感じた。
 神楽は我に返ったような素振りを見せて、落ち着きなくその双眸を部屋中に漂わせ始めた。彼女の視点は時計に留まり、再びこちらへと戻ってくる。
「――銀ちゃん、お誕生日オメデト! ……そして、ゴメンネ。指、痛くないアルか?」
 日めくりカレンダーが、窓の外から舞い込んだ夜風に揺れた。はためく十月九日の文字を追いかける。時計を見て、カレンダーが次に指し示す先を、思い出す。彼女がソファの上で寝ていた理由を、理解する。
 ゆったりとした速度で、銀時は神楽の前へと向かった。神楽は、何も言葉を発しない銀時を不思議そうに見上げる。彼女の頬は赤く染まり、銀時はそこへ影を落とした。
 初めて触れ合わせた神楽の唇は、緊張に固く結ばれながらも、自分のそれを柔らかく受け入れた。震える瞼をぎこちなく下ろし、息を詰める彼女の唇に、角度をかえて何度も擦り合わせるように触れてゆく。神楽が呼吸を求め始めるまで、銀時はその触れ合いを続けた。
 自分の知る神楽の表情が、またひとつ増えた。彼女の潤む瞳に、腹の底で湛えていたものを呼び起こされそうになる。それを押し留めるために、銀時は彼女から一歩遠ざかった。そうして、桃色の頭をかき混ぜるように撫でる。
「……あんがとよ」
 今はまだここまでだと自分に言い聞かせて、銀時は神楽に背を向けた。ところが、
「銀ちゃん!」
 神楽に力強く腕を引かれ、抵抗する間もなく銀時は振り向かされる。続けて唇へと与えられた小さな衝撃に、銀時は目を見開いた。
 それは、神楽からの初めての接吻に他ならなかった。彼女は身長差を埋めるために踵を床から離し、緊張に力のこめられすぎた身体は、爪先だけに支えられて震えている。
 束の間の口付けのあと、顔を離した神楽は、恥ずかしそうに下を向いた。それを上向かせるようにして、銀時は神楽の頬に触れる。唾液に濡れた指は夜気に触れ冷たくなっていたが、彼女の頬の熱さに中和される。神楽の唇を親指でなぞり、綻びゆくそこへ、銀時は自分のそれを重ねた。唇だけの接触だけでは足りず、舌を割り込ませると、神楽の身体が驚きに一瞬跳ね上がる。それでも抵抗されることはない。
 口内を掻き回して、彼女の舌を自分のそれで絡めれば、神楽の手が背中に回され、縋るように掴まれた布が皺を刻んだ。
「……ふぁ……ッ」
 酸素を求めて神楽の胸が上下し始める頃には、粘液の合わさる淫らな音が鼓膜を強く刺激するほどに響き、脳裏を痺れさせた。
 神楽の身体から力が抜けていくのが手にとるようにわかり、背中を壁に預けきったままで体勢を崩し始めたところを、銀時は片腕で強く抱き寄せる。頬に添えた手はそのままに、一度唇を離すと、水面から酸素を求めて顔をあげるときのように、神楽が背中を反らせた。
「……ハァ……ハァ……」
 透明な糸が互いの唇を結び、ふたりの顎を伝った。銀時は自身の指で自分のそれを拭うが、神楽は拭うこともできないようで、恍惚とした表情で見上げてきた。彼女の顎から首へと伝っていくそれを、顔を近づけて掬うように舌で拭う。ほんの少しの刺激でも身体を大きく反応させる神楽を、銀時は両腕でしっかりと抱きしめた。
「……神楽――」
 掠れた声は欲にまみれている。声にも刺激を受けるらしい神楽を強く抱きしめると、柔らかな膨らみが胸元で押しつぶれるのがわかった。膨らみは、彼女の女である部分を感じさせ、銀時を刺激した。酒の酔いはすっかり醒め切っているが、身体の火照りは冷める気配を全く見せない。
 呼吸に落ち着きをみせ始めた神楽を両腕で更に強く引き寄せて、銀時は深く口付けた。すぐに互いの唾液を交換し合う深い交わりになり、すでに湿りを帯びていた唇は卑猥な音を立て始める。
 戸惑うように伸ばされてきた神楽の舌を自分のそれで強く奪おうとすれば、力がこもり過ぎて、彼女を更に上向かせることになってしまった。
 自分の唾液も神楽のなかへ垂れ流す形になり、互いのものが混ざり合ったそれを必死に飲みこもうとする彼女の喉が、小刻みに何度も動いた。
「んっ……んっ……あ!」
 ここで、今まで全く抵抗してこなかった神楽が、何かを思い出したように急に身を捩って唇を離そうとした。銀時は神楽の唇に一度吸い付いてから、時間をかけて彼女の唇を解放する。神楽の瞳は情欲に濡れており、先刻までの余韻を残したままだった。息を乱しながらも、神楽は言葉を紡ぐ。
「銀ちゃん、誕生日プレゼントは何がいいアルか?」
 彼女の問いかけで、銀時は今日が自分の誕生日であることを再び思い出した。キスの中断は名残惜しかったが、彼女の真剣な表情を見て、銀時は優しい温もりに胸が満たされてゆくのを感じた。
 銀時はひとつ笑って、神楽の耳に唇を近付けた。部屋には自分たち以外誰もいないが、内緒話をするように、耳打ちする。
 真っ赤な耳の内へそっと囁いてから、銀時は神楽から身体を離した。支えを失ってその場に座り込んでしまった神楽に、「風呂入ってくらァ」と日常と変わらぬ声音で告げて、背を向ける。
 部屋を出る前に、もう一度だけ神楽を振り返り、銀時は言った。
「今日は、押し入れで寝るなよ」




FIN




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[2010/10/10] 銀さん、お誕生日おめでとう!!!