夢を見ているのだと思っていた。
 目の前に、饅頭を思い起こさせる食い物がある。ここ最近、金銭的な余裕がなかったため、このような菓子を口にしていない。だから、願望が顕著に現れた夢を見ているのだと信じて疑わなかった。
 目の前にあるそれは、見るからに美味そうだった。外側の白い皮は、もちもちとした食感を与えてくれるだろうし、その中身は、きっと甘いモノで満たされているに違いない。
 銀時はひどく腹が減っていたため、眺めているだけではどうしても我慢ならず、その食い物に食いついた。ところが、
「痛ッ……」
「……え?」
 その食い物が声を上げたため、銀時は驚き目を覚ました。いや、正確にいえば、夢と現の狭間から現実へと引き戻された。
 自分が噛りついたものは、食い物などでは決してなかった。すぐ目の前にいる少女の頬に広がる赤、そこに薄っすらと歯型が見える。
「……か、神楽?!」
「銀ちゃん! イキナリ何するアルか?!」
 目尻にほんの少し滴を湛えた神楽と目が合った。自分が食いついたのは、神楽の頬だったのだ。寝惚けている余裕などない。急速に目が冴えていくのがわかった。
 銀時は、そっと神楽の頬に手を滑らせる。
「あーやっちまったな、俺。――痛いか? 血は……出てないよな?」
「大丈夫アル。ちょっとビックリしただけヨ」
 ひとつのソファをふたりで使えば、当然、密着してしまう。窮屈ではあるけれども、居心地の良い空間であることを知っている自分たちは、特に意識することもなく互いに寄り添って眠っていたのだろう。だが、今回はそれが災いしてしまったようだ。
 早く冷やしてやらねばと、タオルと氷水を用意すべく銀時は立ち上がった。しかし、台所へ向かって歩き出したところで、クイクイと袖を引かれる。そこで、ソファの上に立ち上がった神楽にぐいっと引き寄せられ、頬骨のあたりを小さな唇で咥えられてしまった。歯を立ててこないのは彼女なりの優しさなのか。それでも、チューパットを食するときのように、強めに吸いつかれた。
「な……」
「お返しアル!」
 これでオアイコという意味なのだろうが、自分の頬に与えられた感触に、銀時は気が動転していた。子供の無邪気さとはなんとおそろしいものか。――その行為の根底に潜む意味などつゆ知らず、鬱血の痕を残したのである。
 してやったりの笑みを浮かべる神楽の頬からは、歯型が消え、赤みを残すのみとなっていた。痕が残らなかったことに安堵するが、一体、自分たちは揃いも揃って何をやっているのかと頭を抱えたくなる。
 せめて新八に見られる前に対処せねばと思うが、時はすでに遅かった。自分たちの騒ぎに気づいたのだろう、台所からこの部屋へと移動してきた少年に、それらはすぐに見つかってしまう。
「……二人とも起きたんですね。アレ? 銀さんも神楽ちゃんも、ソレどうしたんですか? 蚊でもいました?」
 真実を告げようとする神楽の口を、銀時は慌てて両手で塞いだ。少女に罪はないので、心の中で詫びる。
 罪があるとするならば、意識せずにはいられなかった自分の、心の奥底に潜む何かのせいだ。




FIN




[2010/2/28 Web拍手へUp]

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