アルフォンスは、エドワードが報告書を提出し終えるのを廊下で待っていた。
エドワードが報告書をロイに見せている間は、控え室で待っていたり、隣の大部屋で待っていたり、図書館で待っていたり と様々だが、今回の報告書は自 信があるらしく、「きっと今日はすぐに終わる。間違いない」とエドワードが自信たっぷりに言うので、アルフォンスは廊下で待つことにしたのだった。
ほどなくしてオフィスのドアが開く音がし、そこからエドワードが顔を覗かせる。
報告書を提出したあとは、ロイから嫌味でも聞かされるのか、エドワードはいつも不機嫌極まりない。が、今回は今までになく上機嫌だった。笑顔でなかに入るようにと手招きされる。
アルフォンスは頭上に?マークを浮かべながらもオフィスに入っていった。
エドワードが上機嫌だったわけはすぐに分かった。アルフォンスは笑うことを止めないエドワードに、「大佐は真剣に悩んでるんだよ?」と言ってたしなめる。
とは言っても、笑いたいのを我慢しているのか、アルフォンスの声は震えていたりするのだが。けれど、ロイが机の上で手を組んだまま項垂れているのを見て、だんだんと申し訳なくなってくる。
「大佐、僕にできることがあったら手伝わせてください」
アルフォンスが言うと、続いてエドワードも「俺も手伝うよ、大佐」と真剣な表情でロイに向き直った。しかし、すぐに吹き出して元の表情に戻ってしまう。
ロイは眉間に皺を寄せた。
「で、相手は?」
ズイズイっと身を乗り出すエドワードに、ロイはとうとう我慢しきれなくなったのか、大きな声をあげた。
「君達は知らなくていい!」
「良いのかぁ~? そんなこと言っちゃって。中尉に喋っちゃうよ~?」
ロイの大きな声にも全く怯むことなく詰め寄ってきたエドワードに、ロイは声を詰まらせる。それは困る! と彼の表情は如実に物語っていた。
ロイが困り果てているのをいいことに、エドワードは更に質問を浴びせかけようとする。
するとその時、コンコンコンとオフィスのドアがノックされた。噂をすれば何とやら。ロイの「どうぞ」という声に、オフィスに姿を見せたのは、リザ・ホークアイだった。
「あら、エドワード君にアルフォンス君」
「中尉!」
「あ、中尉だ。こんにちは」
声をあげたエドワードと、ぺこりと頭を下げたアルフォンスに、リザも「こんにちは」と頭を下げた。
彼女もロイと同じく、兄弟に会うのは久しぶりだ。
こうして会う度に、二人の成長を見守る保護者であるかのような気分になるリザは、久しぶりに姿を見せた兄弟に優しい視線を向ける。
けれど、それからオフィスの奥、ロイの机までリザの視点が移動したところで、リザの優しい眼差しは一変した。厳しい視線が、ロイの机の上 積もりに積もった書類に向けられる。
リザは無言で彼の机へと向かい、両手に抱えた書類を、積もった書類の塊の上に更に積み上げた。
「中尉 」
彼女の沈黙に耐えられなくなったのか、ロイはリザの表情を窺うようにして呼ぶ。リザは溜息交じりに言った。
「大佐、朝から全く書類の量が減っていないとは何事ですか?」
エドワードとアルフォンスがオフィスに姿を見せたのは昼過ぎだ。まだ一時間も経っていない。ということは、ロイは午前中ほぼ丸ごとサボっていた、ということになるのだろう。
オフィスに入室したときのことをエドワードは思い出していた。ロイは机に向かっておらず、窓際に立ってぼんやりと窓の外を眺めていたように記憶している。確かに仕事をしている様子は欠片も見られなかった。
「やはり、熱があるのではないですか?」
しかし次に彼女の口から出た言葉は、上官を労わる優しいものだった。エドワードとアルフォンスは顔を見合わせる。ロイが熱を出しているなんて思いもしなかったからだ。
リザの手がロイの額に伸びる。けれど、スッとロイは身を引いた。
一瞬、リザの瞳が悲しみに揺れ、ロイの頬に朱が走ったのを、兄弟の目はしかと捉えていた。
「大丈夫だと言っただろう?」
「 はい」
行方を失った手を下ろし、リザはロイに一礼してからオフィスを出て行こうとする。そこをエドワードが呼び止めた。
「あ! ちょっと待って! 中尉!」
エドワードとアルフォンスはリザに駆け寄り、彼女と一緒にオフィスを出た。
「どうしたの?」
司令部の廊下は、昼下がりの太陽の光が窓から注がれているためか、とても温かい。眠気を誘うような心地良い温もりだが、ロイとの会話で目はすっかり覚めてしまった。
何かが光を反射させ、きらきらと輝いている。それはリザの階級章だった。
エドワードは窓から差し込む光に眩しそうに目を細めながら、「中尉に聞きたいことがあるんだ」と言って話を切り出した。
「 大佐から話を聞いたんだけど、大佐には今、好きな人がいるらしいんだ。でも、なかなか相手に気持ちを伝えられずに、らしくもなく悩んでるみたいなんだよな」
リザの呼吸が一瞬止まる。エドワードもアルフォンスも、リザの様子を注意深く見つめていた。
「僕達にも何か手伝えることはないのかなって思ったんですけど 」
アルフォンスの言葉をエドワードが再び繋ぐ。
「でも、聞いても誰のことか教えてくれないんだ。中尉、心当たりは無い?」
リザの瞳が揺れている。しかし一度目を閉じると、彼女の眼はすぐにいつもの光を取り戻した。
ロイの副官であるという自覚が彼女をそうさせるのか。身体に一筋の電流が走ったかのように、彼女は凛とした空気を常に身に纏っている。
「大佐のプライベートのことだから、私には何も分からないわ」
口調はいつもと変わらない はずだが、どうしてこんなにも悲しい響きを持つのか。
エドワードとアルフォンスは顔を見合わせる。どう言葉を繋げばいいのか分からなくなった。
リザはオフィスの隣にある大部屋へと足を向ける。
部屋に入る前に振り返ったリザの表情は一縷の寂しさを含んだ優しい笑顔だった。
彼女が部屋に入るのを見届けて、エドワードとアルフォンスは互いに頷き合いながら、オフィスへと駆け込んだ。
「中尉、今日は定時で帰らせてもらうよ。どうも今日は疲れた」
大部屋にロイが姿を見せたのは、空がオレンジ色に染まる頃だった。
両手には処理済みの書類の束。
提出は部下が行うので、ロイは報告ついでに大部屋へと赴いたというわけだった。
今日は朝から夢の熱に冒されもしたし、エドワードとアルフォンスが司令部にやってきたということもあって、変化に富んだ一日でもあった。それに午前中の遅れを取り戻すために、死ぬ気で書類を片っ端から片付けもした。そのせいで足取りも覚束無いほどに疲れている。
「はい。では、もう今日は帰られて結構ですよ」
「お、おい 」
定時までまだ三十分以上もある。それに書類もまだ残っている。定時前に帰って良いという言葉はリザの口からは殆ど聞いたことがなかった。
書類に追われるハボックもブレダもファルマンもフュリーも、物珍しさに一度手を止めて、二人の様子を窺っている。
「この書類は明日でも間に合いますから。帰ってゆっくりお休みになってください。体調管理もしっかりなさってくださいね。明日は今日の分もまとめて働いていただきますから」
「中尉 」
「何か?」
「君らしくないな」
いつもの彼女とは何かが違うとロイは思った。まるで、自分を避けているようではないか。これでは、早く帰って欲しいと言われているのも同然のような気がした。
「どうぞ私に構わず、お帰りください」
「何を言ってるんだね、君は 」
「私には貴方がどこへ行こうが関係ありません。今日、貴方が家に帰らずに別の場所へ赴いたとしても私には分からないことですから、どうぞお気になさらず」
ロイはそこではっとなった。彼女は何か勘違いをしている。自分が定時で帰りたいと申し出たのを、他の女性とデートをするためとでもリザは思っているようだった。
そんなことは絶対に無いのに いや、その前に、たとえそうだったとしても今まで何食わぬ顔で自分を送り出していた彼女だ。その彼女が言葉に刺を作って自分に向かってこのような言葉を浴びせかけている。
一体どうしたのだろうとロイは心配になってきた。
リザの細い手首をロイは掴む。
「中尉、何があった?」
「私はお話することは何もありません。どうぞ早くお帰りになってください」
「怒っているのかね?」
「まさか」
リザの手がすっとロイの手から逃れた。
大部屋にいるハボックもブレダもファルマンもフュリーも、一言も発さず二人の行方を見守っている。
リザとロイの二人は、もうすでに彼らの存在を意識していないようだった。異様なまでに大部屋は静寂に包まれていた。
リザはとうとうロイに背を向ける。肩が震えていた。
ロイは拳を握り締めた。彼女をじっと見据える。彼女の背中を見つめる。
――夢の彼女と、重なってしまった。
自分を拒むように背を向けているリザが、脳裏に焼き付いた記憶の波を辿って思い出される。
拳をもう一度固く握り締めた。
夢での光景が脳裏に鮮明によみがえってくる。
現にかえるほんの一瞬、彼女が振り向いてくれたのをロイは思い出すことができた。
「なぜ、私に背を向けるんだ」
「なぜ、私にかまうのですか」
自分の中で日々育まれ溢れて止まらない感情の行方は――答えは、とうに胸の中にある。
「君が好きだからに決まっているだろう?!」
――空気に、緊張が走った。
ポト と、ハボックが咥えていた煙草が床に落ちた音に、ロイは我に返る。口元を掌で覆った。自分の言葉を反芻して、頭に血が上ってゆくのが分かりすぎるほど分かってしまう。
そこで、ロイは部下たちの視線にもやっと気が付いた。彼らの顔がどんどん笑顔に形作られてゆくのが分かって、覚悟するのと同時にその場から逃げ出したくなる。
リザはまだ背を向けたままだった。
「リザ 」
ロイが名を呼ぶと、その声に一瞬肩を震わせて、それからゆっくりとリザは振り返った。
「大佐 」
「真っ赤だな 」
ロイは真っ赤に染まったリザの頬に笑みを浮かべる。いや、頬だけでなく、耳まで真っ赤になっていた。
「大佐こそ 」
リザの掌がロイの額に伸びる。恥ずかしくても、オフィスでのときのように彼女の手から逃げない。本日三度目の検温は、これまでで一番熱かった。きっと、自分達が一番近いところで触れ合ったからなのだろう。
「やっぱり、熱があるんじゃないですか?」
「ああ。そうかもしれん」
途端、背後が急に騒がしくなった。皆、手をパタパタさせながら「お熱いですね~」と声を上げている。今まで必死に笑いたいのを堪えていたのか、腹をおさえて地面で転がり回りそうな者もいる。
ロイはわざとらしい咳払いを繰り返した。
リザはじっと俯いてこの恥ずかしさに耐えている。本当は今すぐにでもこの部屋から出て行きたいに違いない。
「あー中尉も今日は帰って良いっスよ。あとは俺たちがやりますんで」
ハボックの言葉に、ブレダもファルマンもフュリーも頷いている。
「なにを企んでいる?」
「違いますよ。今日は記念日ですよ、記念日! さぁさぁお二人さんは仲良く手を取り合って帰ってくださいね~こんなところでいちゃつかれたら俺たちも目のやり場に困るっス。あ、そのかわり明日は二人で仲良く残業してくださいよ?」
ロイがハボックの頭を容赦なく殴った音と、「いてえ!」と頭をおさえてしゃがみこむハボックの声が、司令部中に響き渡った。
「良かったね、大佐も中尉も」
「ああ 」
エドワードとアルフォンスは、大部屋のドアに張り付くようにして中から聞こえてくる声に聞き耳を立てていた。
「気になった人が現れたらすぐに、“おぉ これはこれは素敵なお嬢さん、今夜は私と一緒に夕食でもいかがですか?”とかいって誘うのにさ。大佐がそれをしないんだもんな。思春期の子供みたいだったな、まるで」
そう言ってエドワードは笑う。アルフォンスもつられるようにして笑った。けれどそこでふと考える。
「でも 中尉に悪いことしちゃったね」
「そうだな 」
大佐の好きな人に心当たりはないか? と聞いたときのことをアルフォンスは言っているのだ。リザの反応を見てみたかっただけだった。しかし、リザの反応は想像していたのとはまるで違っていた。
あの反応は明らかに、ロイが自分ではなく他の女性を好いているのだと思っているようだった。大部屋に入る前の彼女の笑顔は、思い出すだけでも胸が痛むほど、彼女の気持ち全てを物語っていた。
リザと別れたあと、オフィスに駆け込んだときのことも、エドワードとアルフォンスは思い出していた。
あんなに素直にロイを応援したのは初めてだった。リザを悲しませたくない気持ちも大きかったから、必死だった。何度も「早く告白をしろ」と叫んだ。
ロイとリザのすれ違いを目の当たりにして、放っておくことなどできなかった。
「謝りに行こうか、アル」
「うん。そうだね、兄さん」
大部屋のドアに大きな錬成陣を二人で一緒に描く。扉が開くのと同時に、大部屋には花弁が舞う仕掛けだ。
――まるで夢のよう。二人にそう思ってもらえるように、この場所を、この現を、幸せでいっぱいにしたい。
FIN
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