たんぽぽの咲くここに ~終章~
リザ・ホークアイがセントラルを離れてから、幾年も経過していた。
この頃になるとロイ・マスタング大総統は、アメストリス国でのこの地位を確立し、国民の支持を得られる名実共に国の長へと昇りつめていた。
――そして、ある晴れた春の日に、この物語は終末を迎える。
「いくら平和になったとはいえ、お一人では危険です」
門番が困った顔で、ロイを見上げている。
ロイはこれからひとり徒歩で駅に向かうつもりだったのだが、門から少し離れた官邸の壁を越えたところを、ちょうど見回りに来ていた門番に見つかってしまったのだ。
その上、こんなときも軍内の連絡速度は優秀らしく、すぐにお迎えまでやってきた。
「あんまり門番の人を困らせちゃダメっスよ、閣下殿」
しかし、ハボックの声に振り返ったロイの視線の先には、ハボックだけでなく、ブレダ、ファルマン、フュリーまでいた。
それなりの地位にいる四人が揃って顔を見せるのは珍しい。
「東方の将軍様をこれから引き抜きに行くんですよね?」
「しかも女性の方だとか」
フュリーとファルマンの言葉に、ロイが情報が伝わるのは早いなと感心していると、ブレダがハボックを指差して言った。
「今日はハボックが閣下を駅までお送りしますよ」
ブレダに名指しされたハボックは、いつものように煙草を銜えてへらりと笑ってみせる。ロイはムッと眉間に皺を寄せてハボックに向き直った。
「オイ。お前は自分の立場をわきまえろ。佐官のお前に運転手をさせることなどできんよ」
「何言ってるんスか。あんただって一人で歩いて行こうとしてたくせに」
そう言われてしまえばぐうの音も出ない。ロイは眉を顰めたまま軍用車のある場所へと向かった。
何も言わずにスタスタと歩いていってしまったロイに苦笑しながらも、三人に「大総統を頼んだぞ」と言われたハボックは急ぎ足でロイの後を追った。
「四人で見送りとは珍しいな」
後部座席に落ち着いたロイが運転席にいるハボックに問いかけると、ハボックは先程までの様子とまるで違っていつになく乱暴な所作でハンドルをきった。ミ ラーに映るハボックの瞳は青く澄んでいたけれど、いつもとどこか違う。訝しく思っていると、ハボックがようやく重い口を開いた。
「俺たちは、反対しているんですよ」
「反対? 東方の将軍を引き抜くことか?」
「はい」
ブレダもファルマンもフュリーも反対しているのだろうということがロイにはわかった。だから、あの場に四人が揃っていたのだと、これで理解できる。
こうしてハボックが運転手役を買って出たのも、その話を自分としたかったからなのだろう。
「なぜ、反対する?」
ロイはいつもの不敵な笑みを浮かべながらハボックに問うた。ロイの表情にハボックは更に感情的になったようだった。
「あんたの傍にいて良い女性は、ホークアイ大佐だけです。ホークアイ大佐のことをいつか必ず迎えに行くって――あんたがイーストシティから帰ってきたあの日、俺たちにそう言いましたよね」
元々大総統官邸から駅までは然程距離はない。すぐに駅に到着し、ハボックは車を停める。しかしハボックの発言は止まなかった。
「だいたい、閣下は、その将軍がどんな人か知ってるんスか? よく知りもしない人をこうも簡単に副官に迎え入れるなんて、やっぱり俺は反対です」
ロイは自然に微笑んでいた。
ステアリングを固く握り締めるハボックの表情を見るからに、ハボックたちは東方の将軍の情報を何も知らないのだろうということがわかる。しかしそれが理由だとしても、こうしてハボックたちが感情的になってくれるのがロイには嬉しかった。
その東方の将軍が、皆が望んでいた女性(ひと)だと知らせることに、この上ない喜びを感じることができるから。
ロイは、ミラー越しにハボックに告げた。
「 優しい人だよ」
ハボックが驚きに目を見開いているのを見て、ロイは堪えきれずに笑う。それからロイは表情を引き締めて、ハボックに頷いた。きっと今、ハボックの胸にひとつの答えが浮かんだに違いないとロイは確信する。
「運転ご苦労。じゃ、行ってくる」
車のドアを開け、駅の中央入り口に向かって歩き出すロイに、ようやく我に返ったらしいハボックが慌てて車から飛び出し、ロイに叫んだ。
「マスタング大総統!」
「なんだい?」
妙に落ち着き払ったロイに、ハボックはぐっと息を呑む。
ハボックの中では色んな感情が渦巻いていたようだったが、それはすぐに言葉となってロイに伝った。
「あんたたちはもっと幸せになっていいんです。俺たちはあんたたちに幸せになってもらいたいんです!」
「お気を付けて」と敬礼をするハボックに、ロイも敬礼で返し、そして、自分を支えてくれた仲間たちにこの言葉を送った。
「ありがとう」
夢にまで見た光景が、ここにある。
小さな子供が、真っ直ぐ腕を伸ばして狙いを定めている。その腕には小さなおもちゃの鉄砲。銃口を川面に浮かぶ小さな木切れに向けているようだった。
その鉄砲の中身にこめられていたのは、弾ではなく水だった。プシュと勢いよく放たれた水は水面に浮いていた木切れに命中し、それはころころと水の上を転がった。
ポーズを決めてポケットのなかにそのおもちゃを仕舞うと、その少年はくるりとこちらを振り返った。
「僕、すごいでしょ?」
少年の言葉に頷いて微笑めば、少年は照れくさそうに笑って、円らな瞳をこちらに向けてきた。
「これでパパに会いに行けるかな」
「 」
ロイは目を瞠った。
無邪気なその少年の瞳のなかに鳶色を見つけて、ロイは確信したのだ。
――その色を持っているのは 。
「ママが言ってたんだ。僕が強くなったら、パパに会いに行けるよって」
子供の言葉に、ロイは胸が熱くなる。
ロイの瞳には、地面が滲んでたんぽぽ色の絨毯のように映し出されていた。
「 強くなったな」
ロイがそう声をかけると、その子供は本当に嬉しそうな顔をする。目の前にいるのが自分の父親だと知らない子供は、おもちゃの鉄砲を大事そうにかかえて無邪気にその場から駆け出していった。
ロイはゆっくりと歩いて後を追う。この場所には見覚えがある。いつも彼女が寝そべっていた場所だ。
「ママ!」
子供の声に、たんぽぽの花に囲まれるようにして寝そべっていた彼女が身を起こした。
その隣には、蝶々を追いかけるブラックハヤテ号の姿もある。
過去の光景が鮮明にロイの脳裏に浮かび、今のこの光景へと結びついた。
光の色のみが存在するこの地に、春のように温かく優しい女性(ひと)がいる。
「ああ、やっぱり、君にはたんぽぽの花がよく似合う」
ロイの存在に気付いたリザに、ロイは優しく微笑む。
ロイはリザの元へとゆっくり歩み始めた。
すぐに視界はたんぽぽの花に埋め尽くされてゆく。
たんぽぽの咲くこの地が、ロイとリザを再び巡り逢わせた。
――必ず迎えに行くと約束しよう。“たんぽぽの咲くここに”――
TextTop
