視界の奥で、太陽が沈み始めているのがわかる。強烈な光を放ったそれは、しだいに濃い光を内に秘め始めた。
地が熱を奪われていく途中、リザはロイの温もりだけを感じることができた。奪うのではなく分かち合う温もり。近すぎて姿は見えない。そのかわりに昨夜最期の別れを告げたこの熱を再び与えられる。
「君は強い」
耳に直接言葉を浴びせかけられたように、ロイの声が身体の奥に響いた。
リザは静かに首を左右に振る。服の擦れる音に自分の否定の言葉を重ねて、彼女は彼の胸に顔を埋めた。ロイの温もりと香りに、もっと彼に近付きたいと心が訴える。けれどリザはこの温もりを拒まなければならなかった。そう決めていたのだ。
リザはロイの胸を押して距離をとる。真に意図した行動ではない後ろめたさからか、顔を上げることができなかった。
しかしロイは、離れてゆくリザの両腕を自分のそれでそっと引き止める。リザは顔を上げた。すると、リザが想像していた以上に優しい表情をしているロイと目が合う。リザの胸がトクンと鳴った。
ロイは表情だけでなく声も優しいそれのまま、言葉を続けた。
「だから私は、君の傍にいると武器を持たなくとも安心していられるんだ」
そうしてロイは思い出したように夕焼けに染まる空を仰ぎながら、目を細める。
「それに――そうだな この国の未来にもそうなってほしい。そう思っているよ」
武器がなくとも安心できる国になればいい。リザが傍にいるとロイは安心するのだと――暗にロイはリザが必要なのだとその言葉に喩えていたかのようだった。ロイはリザに向き直る。
「あの日、君はここに咲くたんぽぽを見て、強いと言ったな」
「はい」
「しかし私は、この地のたんぽぽを見て、弱いと思った。花一輪では踏み潰されたらそれで終わりの儚い命だと 。だが、今はそうは思えない。ここに咲くたんぽぽは、強いな。凍えていたこの国に、春をもたらしてくれるようだよ。まるで、君を見ているようだ」
ひどく情熱的な言葉を浴びせかけられて、リザは胸が熱くなる。
ロイはそんなリザの様子を覗き込むように背をかがめたかと思うと、リザの膝裏に手をかけ、リザが抵抗するより早くリザを抱き上げた。思わず小さな悲鳴を上げ抵抗し始めたリザをぎゅっと固くロイは抱き締める。リザは安定しない体勢に慌ててロイの首に両腕を回した。
ロイよりも高いところから、リザはたんぽぽの咲く土手を見渡すことができた。ここに咲くたんぽぽは、強い。ロイの言葉を反芻しながら、リザは瞳を潤ませた。
どこまでも続くたんぽぽの花が、その強さが、リザをどうしようもなく感動させていた。と同時に、自分はもっと強くならなければと心を決する。
涙を零さぬよう瞳に力をこめ、ふと我に返ると、リザは自分の今の体勢に再びもがき始めた。
まるでロイの頭を抱きかかえているようである。こんな状況にありながらも、恥ずかしいという感情は忘れさられてはいなかった。
ロイから離れる覚悟を決めたと同時に、ロイの腕から逃れ地に降りようと再び今度は強く抵抗を始めたけれど、今度はロイはそんな彼女の抵抗などはじめからなかったかのような力強さでリザを引き寄せていた。
「 君を、愛しているよ」
リザの腹部に顔を埋めてロイは言う。
リザはピタリと抵抗の動きを止め、ロイの黒髪に回していた手を浮かせた。
「私の声は、ここにいる赤ん坊にも聞こえているだろうか」
リザの目頭が熱くなる。
ロイはずるい。本当にずるい人だ。
愛している人に愛の言葉を囁かれれば、拒むことはできない。
どんな理由をつけどんな嘘を吐いてロイから離れることを選んでも、ここにある生命の存在を否定することはできないのだ。
小刻みに震えた吐息が自分の口から零れ出て、自分が泣いているということにリザは気付く。
滲んだ視界の中。黒髪の中心にある旋毛を見ていると、とても三十路の男のそれとは思えず、愛しさがこみあげてくる。
リザは腹に顔を埋めるロイの頭をかき抱くように抱き締めた。
「――ええ、きっと 」
リザはまるで子供がそうするかのようにロイにしがみついて泣く。
しだいに心地良い脱力感に襲われ、抱き締める腕の力はそのままにリザは全身の力を抜いた。するりするりとリザの足が地面に近付いてゆく。と同時に、ロイとリザの顔も近付いてゆく。
距離がなくなったところで、リザは空を浮遊するたんぽぽの綿帽子のように軽く温かいキスを受けた。
リザの両足が地に着くと、もう手加減はしないぞとばかりに強く抱き締められ深く口付けられる。
リザはこのとき、目を閉じても感じる彼の温もりと夕焼けの光の輝きとたんぽぽの存在を眩しく思った。
「セントラルに一緒に戻らないか」
日の光が落ちて、月の光が垣間見え始めた頃、ロイは静かにリザに告げた。
リザが思わず「はい」と返事しそうになってしまうほどさらりと告げられた言葉に、しかしリザは苦痛ではなく微かな笑みを浮かべながらロイを見上げた。
「それはできません」
もう二度とロイには逢えないかもしれないと絶望にも似た覚悟を決めてこの地にやってきたけれど、今のリザには大きな希望があった。きっともう涙を零すことはないだろう。
ロイのくれた言葉が近い未来を描き出す。
ロイは一瞬驚いた顔をしたけれど、それでも、諦めではない、しょうがないなぁという風な笑みを浮かべて、苦笑した。
「君は一度言い出したらきかないからなぁ」
けれどどこか感心したようにそう言うロイに、リザは「はい」といつもの笑みを浮かべた。
「君の決めたことだ。私は君の意見を尊重するよ。君を信じているからね」
「はい」
「だが、これだけは約束してくれないか? 今度こそ私は君を守りたい。そのためにもこの国を変える。君がいない間も、私はこの国のために尽力すると誓うよ。だから、遠くない未来に、私と 結婚しよう――」
この手は多くの命を殺め穢れている。こんな甘い幸せを願ってはいけない。そうとわかっているけれど そう、その言葉だけで十分だ。これでもう自分は、この新たな生命と共に未来を歩んでゆける。
そう思ったそのとき、リザはロイの口から発せられた言葉に、たんぽぽの花を思わせるような笑顔を浮かべた。それはこの数日間で、リザが見せることのなかった心からの笑顔だった。
「 また、たんぽぽの咲く頃に迎えにゆくよ――」
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