リザは最後に、大部屋から廊下へ通ずるドアの前に佇んでいた。そっと壊れものに触れるかのようにドアに触れる。このドアを開くとき、自分の前にはロイが いて、背後には信じる仲間がいた。そのことに何度救われただろう。みんなでロイを守るように囲み、司令部での毎日を過ごしたこの場所を、ここでの出来事 を、決して忘れはしないと思う。
 リザは窓から零れ入る夕焼けの光に背中を押されるようにして、ドアを開いた。
 夕焼けの光は、人に過去を振り返らせ、どこか懐かしい気持ちにさせるものである。
 東方司令部をあとにしたのは、空がそうした赤みを帯び始めた頃だった。リザは、これ以上その懐かしさに浸ってしまうことを何よりもおそれ、司令部から立ち去った。
 ロイとの思い出で埋め尽くされた地だ。少しでも気を緩めてしまえば、中央にいるロイの元へと駆け出してしまいそうだった。ロイが恋しい。ロイに会いたい。懐かしいと思えば思うほど、そうした感情にゆらゆらと揺り動かされそうになってしまう。
 彼との思い出の地で生きてゆく。そう決めたけれど、そうして生きてゆくまえに、今の自分には覚悟が足りていなかった。ロイの下で過ごした日々を過ぎ去っ てしまった過去の思い出としない限りは、いつまでも未練と恋情をそこに残してしまいかねない。それなのに自分は、まだこんなにもロイと共に在れる時間を求 めている。
 現実は、一歩一歩、歩んでゆくこの時間を、容赦なく未来へ紡いでゆくというのにだ。
 リザはとまることなく前へと歩み続ける自分の両足を見やった。
 あてもなくふらふらと歩いているようだったが、その両足は意思を持っていたようで、目的地へと動き続けている。リザの行く先は、ハヤテ号のそれと一致していたようだった。先導するかのように歩くハヤテ号を留める必要もなく、見慣れた路を踏みしめるようにして歩いた。
 ふと思い立って、リザは顔を上げた。
 初めてこの地に足を踏み入れたときは、この両足は覚束無く今にも崩れそうなほどにふらついていた。だが、今こうして一歩一歩時間を刻み歩んでいるこの両足は、しっかりと足を地に着け、迷いは微塵も持っていない。
 あの日からきっと自分は変わったのだ。どんな感情を抱こうとも、足は歩みをとめようとしなかった。
 どんなに迷うことがあってもきっと、前へと進むこの足は、迷うことなく真っ直ぐ歩み続けるのだろう。信じていれば、道は開けるものなのだ。
「――あ……」
 赤色をした太陽が雲に隠れ、視界が開けた。
 空を仰ぎ、土手の傾斜の高いところから、清流が下る川を見下ろす。
 そこでリザは、驚きに小さな声を上げ、その場に立ち尽くした。
「……たんぽぽが……」
 一面の黄色。
 瞳が滲んでしまえば、そこは光の色のみが存在するたんぽぽの咲く地。
 引き寄せられるように土手を下りてゆけば、視界全体がたんぽぽの花の色で埋め尽くされてゆく。
 胸の奥がどうしようもなく熱くなってゆくのを、リザは抑えられそうになかった。
 たんぽぽの綿帽子を空虚な視界で満たしたあの日。ある種は生き、ある種は死んだ。
 そして今。死と生が混在していたこの地は、ひとつひとつの生を息吹かせ、いつしかこんなにも力強い多くの生命を育むようになっていた。
 リザの脳裏に、あの日の彼の言葉がよみがえった。
 彼の優しさは、まさしくこの日のために向けられたようなものだったのだ。

『……今度来るときは、もっとたくさんタンポポの花が咲いていると良いね、リザ?』

 土手の上方で車の止まる音が聞こえた。
 聞き覚えのあるその音に、胸が跳ねる。
 車のドアの開く音と閉まる音を合図に、軍靴を履く人間だけが立てることのできる足音が響く。
 後ろを振り返ると、見慣れた面影がそこにはあった。
 片手を額に当て、雲から姿を現した太陽の光を遮る。
 夕焼けを背に佇むかの人は、眩しかった。――手の届かない光を持つ彼は、この国で一番上の地位へと駆け上がることのできた人だ。
「……閣下……」
「やはりここに居たか。ホークアイ大佐」

『――……だが、私にはリザの居場所がわかる。理由はそれで十分だろう? 私の答えは、お前たちが一番よく知っているはずだ』




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