自分の幼少期の夢を見ているのだとロイは思っていた。
 小さな子供が、真っ直ぐ腕を伸ばして狙いを定めている。その腕には小さなおもちゃの鉄砲。銃口を川面に浮かぶ小さな木切れに向けているようだった。
 その鉄砲の中身にこめられていたのは、弾ではなく水だった。プシュと勢いよく放たれた水は水面に浮いていた木切れに命中し、それはころころと水の上を転がった。
 ポーズを決めてポケットのなかにそのおもちゃを仕舞うと、その少年はくるりとこちらを振り返った。
「僕、すごいでしょ?」
 声をかけられて、ロイは内心驚いた。夢のなかとはいえ、幼い頃の自分と会話するというのは不思議な気分になる。
 少年の言葉に頷いて微笑めば、少年は照れくさそうに笑って、円らな瞳をこちらに向けてきた。
「これでパパに会いに行けるかな」
「……」
 ロイは目を瞠った。
 無邪気なその少年の瞳のなかに、鳶色を見つけたのだ。
 ――自分の瞳の色とは異なっている。その色を持っているのは……。
「ママが言ってたんだ。僕が強くなったら、パパに会いに行けるよって」



 妙な胸騒ぎがした。急に忙(せわ)しくなった心臓の鼓動に胸を押さえて起き上がる。
 ロイはサイドテーブルの上に乗っている時計を見やった。もうそろそろ起きなければならない時間だが、目覚ましベルよりも先に目を覚ましてしまったらしい。
 昨夜は、大総統就任のお祝いと表した盛大な飲み会が行われたため、随分と酔っていた。二日酔いに身体が苦痛を訴えてもおかしくはないのだが、鈍い頭の痛みはあれど、目は眠気に屈することなく冴えわたっていた。
 妙な、夢を見た。一体どこで、誰の子なのか。考えて、ふと浮かんだ答えに、まさかそんなはずはとロイは苦笑した。夢の見せる幻影とは、実に不思議なものだ。
 ロイは夢の余韻から覚めようとするかのように、洗顔・歯磨き・着替え、と朝の一連の作業を始めた。しかしその間も、胸中に残る胸騒ぎは、消えてはくれなかった。
 頭髪のセットを終えたところで、コンコンと焦ったようにドアをノックする音がした。
 大総統府と大総統官邸は繋がっているが、いくら距離が近いとはいえ、こうして直接大総統のプライベートスペースに踏みこんでこれる人間となると数は限られている。
「閣下! 起きてますか?!」
「閣下!」
 訪問主はハボックとブレダだった。ドアのノックといい彼らの声音といい、明らかに焦っている。
 ロイは嫌な予感がした。
「ああ。……入っていいぞ」
 平静を装いそう答えると、ドアノブを回すのを忘れたのかと思えるほどにすぐさま乱暴かともいえる所作でふたりが部屋のなかへと雪崩れこんできた。そして開口一番に、「ホークアイ大佐が行方不明です!」とハボックが言うので、ロイは無意識のうちに顔の表情を堅くした。
 ハボックは早口で事の次第を説明し始めた。
 今朝、リザの部下が彼女を迎えに家に立ち寄ったところ、リザの部屋であるそこのドアには「空室」のビラが貼られていたのだという。慌てて大家に確認を とってみれば、「ホークアイさんは引越しされましたよ」とサラリと告げられ、混乱した彼女の部下は送迎用の車から無線で司令部に連絡。そこで連絡を受けた ハボックの部下がハボックへと大慌てで知らせにきたのだ。
 ハボックの報告を継ぎ自らも落ち着かせようとするかのような口調で、今度はブレダが話し始めた。
 事前に連絡をすることを欠かさない彼女が、毎朝迎えに来る部下に引越しのことを告げていなかったというのはあまりにも解せない。ハボックの部下の報告を 横で聞いていたブレダは、誰にも告げずに引っ越しをする必要に迫られていたのではないかと推測したが、リザ本人を見つけ出せばすべてわかることだろうと、 まずはふたりでリザを探すことにした。だが、時計の時刻はすでに出勤時刻を回っており、司令室にリザの姿が見えなければならない時間となっていた。
「総務は、何も連絡を受けていないのか?」
 ブレダの話はまだ途中だったが、ロイは焦った口調でそう問い返した。
「それが……」
 ブレダは一瞬そこで言い淀んだ。報告の続きを促したかのように問われた疑問だが、ロイに告げるのが幾ばくか早まってしまったことに、ブレダは緊張していた。
 そのとき、ハボックが一歩前へ進み出た。ロイに事実を告げる、その覚悟を決めていたのだとわかる口振りで、彼は答えを口にした。
「一年の休暇願を、昨日、提出されていたそうです」
「……な、なに……」
 目を瞠ったロイの前へ、ブレダもハボックと同じように一歩進み出た。一歩前へ進みハボックと並んだブレダは、ハボックと顔を見合わせてから、ロイに言った。
「閣下、心あたりはありませんか?」
 心あたりはときかれて、ロイは最後に彼女を見たときのことを反芻した。昨夜、酔っ払った自分を介抱してくれたのはリザだった。酔いに崩れ落ちる自分を支えるように彼女の細い手が背中へと伸びたとき、抱き締められているようだと感じた。
 まるで母親が子を抱いているような優しいそれが、離れたくないとばかりにしがみつくような女のそれにかわったとき、ロイは夢への旅路に身を預けてしまったのを覚えている。
 記憶の淵から少しずつ形作られよみがえる、その現と夢の狭間で聞いた彼女の声を、ロイは受けとめた。
『……ごめんなさい』
 ロイは目を固く閉じる。これまで彼女といた時間と、夢の中での不思議な出来事が脳裏を巡る。背中に回された細い腕は、言葉に反して、自分と離れたくはないと訴えていたというのに、どうして彼女はこうした選択をしてしまったのか。
 そう考えたとき、ロイにはわかってしまった。
 リザはいつだってロイのことを一番に考える女性(ひと)だ。だからロイにとってマイナスとなり得てしまうかもしれないと彼女自身が判断すれば、自らの命 を絶つことさえ臆さない。これまでもこれからも、きっとそれは彼女のなかにあるロイへの忠誠にこめられた揺らぐことのない彼女の意志であり続けるだろう。
 全てを理解したロイは、拳を強く握り締める。
 ロイは質問には答えずに、ふたりに向き直った。そして静かに口を開く。
「休暇願を出したのは、ホークアイ大佐の意志だ。彼女の意見を尊重するならば、このまま彼女を探さないほうがいいのかもしれない。いや、探してほしくないと思っているのかもしれんな」
 ロイから返された言葉に、ハボックとブレダはぐっと堪えるような顔つきをした。ロイはリザを手放す気なのだろうかと、ふたりは辛い表情を浮かべる。
 だが、ロイの言葉はそれだけでは終わらなかった。
 続けられたロイの言葉に、ふたりはハッとなって顔を上げた。



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