式典は雲ひとつない青空の下で執り行われた。
 若くして大総統の地位を手に入れた彼は、晴れ晴れとした姿で式に臨み、その胸に大総統の証である徽章を飾った。
 ロイは礼服に身を包み、艶のある黒髪をバックに梳き上げていた。額には細かくおろされた前髪が揺れていたが、そこから覗く瞳は揺れることはなく、確固たる信念と決意をも以って、強い光を宿している。
 自分の愛する男性(ひと)だ。リザはそのことがとても誇らしかった。
「おいで、リザ」
 式も無事に終わり、執務室へと向かう廊下で、ロイはリザの手を引いた。かわらず斜め後ろに控えているリザをロイは自分の隣に引き寄せて、握り締めた手を離さないように指も絡める。
 ふたりは何も言葉を交わすことなく執務室へと歩んでゆく。けれど今はこの沈黙さえも愛しいとリザは思った。
 リザは彼の姿を記憶として焼き付けるようにロイの横顔を見つめた。
 ――リザは、ロイの下(もと)を離れることを決意していた。
 一年間の休暇届けを総務に提出し、受付の下仕官にも随分と驚かれたが、受理させた。この一年間は、生まれてくる子供のために。子供を産み、落ち着いたら、偽名を用い東方司令部の副司令官として復帰しようと考えていた。
 リザはロイを守りたいと思っていた。しかし今の自分は、ロイにとっては足手纏いにしかならないだろうことが目に見えていた。だから、遠くからロイを守ることに決めたのだ。傍で支えることだけが、彼を守るということではない。そう自分を励ました。
 場所は、すぐに東方司令部が思い浮かんだ。彼との思い出の詰まった場所でなら、離れていてもきっと、彼を感じて生きてゆける。
 そして、十年先になるか二十年先になるかはわからないけれど、子供がロイの力になれるほどに成長したら、ロイの元へと跡継ぎとして送り届けるのだ。そのときの驚くだろう彼の表情を想像すると自然と頬が緩んだ。
 もしそのとき、ロイに愛する人がいて、その人と家庭を築いていたなら、リザは静かに彼への想いを断ち切るつもりでいた。むしろその方が、彼にとって幸せのように思えた。
 多くの人を殺めた自分のこの手は、あまりにも穢れている。温もりと優しさだけを彼に与えることは決してできないのだ。
「どうした?」
「いいえ、何でもありません」
 曇った表情に気付いたのだろう彼の言葉に、リザは柔らかな笑みを浮かべて言葉を返した。
 ――明日、セントラルを発つ。そのときまでは、彼に自分の笑った顔だけを見ていて欲しいと願った。


 青い空が彼の瞳のような色に塗りかえられてゆく途中。夜の帳が降り始めた頃から、馴染みの店で大宴会が始まった。もちろん今日の主役はロイ・マスタング大総統。ロイの大総統就任のお祝いをするために、各方面から見知った顔が集まった。
 グラスが空っぽになる度に、息つく間もなく次から次へと酒が注がれ、ロイもいつになく顔を赤くし酔っ払っていた。
 その横には、エドワード・エルリックと、その弟、アルフォンスの姿もある。未成年者に酒を飲ませようとするロイをとめられるのはリザしかおらず、リザはロイから目を離せずにいた。他の者はすでに酔いが回っていて、とめるどころか勧める始末である。
「あれ? ホークアイ大佐は飲まないんですか?」
 グラスにアルコールの類が一度も注がれていないのに気付いたのだろう、部下が気をきかせてくれたようだった。彼らとは反対に、リザはノンアルコールのカ クテルやお茶をオーダーしていた。妊娠中の飲酒が好ましくないからというのもひとつの理由だが、まさかそう言うわけにもいかないので、もうひとつの理由を 告げる。
「ええ。今日はあの人を送っていかなくてはならないから……」
「案の定、大総統閣下さまは飲み過ぎでへろへろになってますぜ」
 ブレダの言葉にロイを振り返ると、ちょっと目を離した隙に、今度は床に背中を丸めて転がっている。
「酒にはめっぽう強いのに、こんなときはその限界超えて飲んでくださるからなぁ」
 煙草と酒を交互に嗜みながらハボックが言うと、
「まぁまぁ今日くらいはいいじゃないですか。フュリーなんか酒に弱いのに丸々一本飲んでましたよ」
 と、ファルマンが隣にいるフュリーを名指しした。
「今日はそういう気分なんですよ~」
 とジョッキを片手に、いつになく声を張り上げるフュリーは、トマトのように顔を赤くしてご機嫌だった。
 そんな彼らは大丈夫だとして、リザはいよいよ心配になり、床に転がるロイの元へと急いだ。トントンと肩を叩くと、「うーん」と間延びした声をロイは上げた。
「しっかりしてください。大総統ともあろう御方が、こんな格好をしていては示しがつかないでしょう?」
 頭に響かないように声音を和らげて言うと、ロイは甘えるようにリザの手をとった。
「……リザ、外の空気が吸いたい」
「もう……しょうがないですね」
 酒を口にせずともこの場にいるだけで酔えてしまえそうなほどに一帯が酒の匂いで充満している。酔いをさますには店の外に一度出た方がいいだろうとリザも 思ったので、ロイを支えてゆっくり立ち上がった。リザひとりではロイの全体重を支えることはできない。それをロイもわかっているのか、リザに力をかりなが らも自分の足で立ち上がり、店の外へと歩み始めた。
 店の外に出るとロイは大きく深呼吸をした。春がやってきているというにも関わらず随分と空気は冷えているが、その冷たさが火照った身体に心地良いのだろう。それに澄んだ空気も、酔いをさますにはちょうど良い。
 リザはすぐ近くにあるロイの顔を見た。ロイは目を閉じていて、今すぐにでも眠ってしまいそうだった。その予感は当たっていて、ロイはまたしてもズルズルと地面に引き寄せられ始めた。
「閣下!」
 ロイを支えていたリザも、その力に抗えずに膝を折る。自然とロイとリザは向き合う形になり、そのままふたりして地面に座り込むことになってしまった。す ると突然、ロイの両腕がリザの背中に回り、リザはロイに強く引き寄せられる。ロイの腕も吐息も、酔いのためか熱をもっていて、リザの芯を擽った。
 思い返せば、自分のこの身体は何度も彼の熱を受け入れ、いつ子を宿してもおかしくはなかった。もしかしたら彼もそれを望んでくれていたのかもしれないと期待して止まないけれど、もしそうであったとしてもきっとロイの下から自分は去るに違いないだろう。
 彼との抱擁も、きっとこれが最後になる。
 リザは引き寄せられるようにロイの背に腕を回した。ロイの温もりを忘れないように、ぎゅっと目を閉じて感覚を研ぎ澄ませる。そこでリザは、ロイの酔っ払いのそれではない確かな言葉をきいた。
「君には世話をかけてばかりだな」
 呟いたような自然に零れ落ちたかのようなロイの言葉に、リザは目を瞬かせた。
「そんな、ことは……」
 いつもならば「何を今更」と口にしているところだが、彼の傍に在れる残り少ない時間が、リザを素直にしていた。
 確かに世話のかかる上司だったけれど、書類は溜め込むし、すぐに逃げ出すし、サボるし、居眠りはするし、部下を困らせるし、人使いは荒いし、こうして見境なく飲んだりもする、本当に困った人だけれど、リザはそれらも全てひっくるめてロイを愛しているのだ。
 だから、
「……リザ、ありがとう」
 続けられたその言葉に、リザは、自分のこれまでもこれからの未来も救われるような気がした。
 その声を最後に、リザの背に回された腕の力が弱まり、規則正しい呼吸が肩に触れ、ロイが眠ったことがわかったけれど、リザはその場から動き出せずにいた。
 彼が目を覚ますだろう明日の朝、自分はもうロイの隣にはいないのだろう。そう思うと、あとからあとからとまらず涙が溢れ出してきたのだ。
「……ごめんなさい」
 ロイの背中にしがみつくように抱きついて、ロイの肩に顔を埋める。
「……ごめんなさい」
 必死に笑顔になろうとしながらも、涙はとまらない。
 せめて彼の夢のなかに自分がいますように。その夢のなかの自分は笑っていますように。そう願いながら、最後の最後まで、リザは別れの言葉を口にすることができなかった。




Back / Next