君が私に恋してくれること。
 目の前に降りてきたその仄かな可能性に、懸けてみたいと思ったんだ。

『中尉が一番大切にしているのは誰だと思います? 大佐はそのことをちゃんと知るべきです』
『大佐、私はあなたの傍にいられることが、何よりも幸せなんです――』

 見返りを望まない、無垢な愛を私にくれたのは、君だけだったよ。
 ――リザ・ホークアイ




はじめて ~final~





 リザは、そっと頭を抱きこまれて引き寄せられた。そしてまたきつく抱き締められる。後頭部にはロイの手が添えられていて、彼の優しい接触がリザを安心させた。
 リザにとって男性に抱き締められるのは初めてのことだったから、どうすればいいのかもまるでわからない。が、ロイに抱き締められることへの嫌悪感は全く感じない。それどころか、心地良いとさえ思うのだ。
 おそらくこうした抱擁というものは男女でなされるものであって、上司と部下というだけの関係である自分たちの間では成立するとも思えない行為ではある。だが、それでも、今のこの時間(とき)を拒むことがリザにはできなかった。
「……た、いさ?」
 ふと我に返ってロイを見上げようとすれば、髪を撫でるかのようにして添えられたロイの大きな掌にそれを阻まれる。自分の吐息が相手に届くほどの距離に慣れないリザは、ロイの胸元に顔を埋めたまま息を殺した。
 呼吸を満足にできないというだけでなく苦しかったが、自分の呼吸の音が消えたことで、聴覚が自分から発せられているものではない胸の鼓動音を捉える。自分のものとは違うリズムを刻む、力強い音だ。
「聞こえるだろう?」
 無意識のうちにロイの胸に耳を寄せていたリザは、「はい」と答えた。そうすればロイの胸の鼓動が跳ね上がるように速くなる。ロイの吐息が頭上を掠めて、彼が笑ったのだとわかった。
「……この音は、私が生きているという証だ。だが、それだけではない。……心は正直だ。私自身にも、こうして強く訴えかけてくる。――私は君に恋をしているのだ、と……」
 ロイの言葉に反応して、リザはピクンと身体を震わせる。するとロイの抱き寄せる力が一度弱まり、今度はそっと表情を窺うように顔を覗きこまれ、囁かれるのだ。
「わからないときには自分の胸に聞いてみればいい。そこに答えがある。……そして私はその答えに行き着いた。――私の心は、きっと君の胸にも届いているはずだ」
 力強く生の証を刻む音に、リザはそこにこめられた強さと想いを知る。
 そうして、リザは気付くのだ。
 自分のそれも、彼に届くほどの高鳴りを帯びているということに。
「申し訳ありません。大佐……」
 口から零れ落ちたのは謝罪の言葉だった。我に返ったリザは、ロイの胸元を掌で押し返し、離れようとした。 
 決して重なり合うことはないふたつの鼓動が、今にも合わさりひとつの音と成り得てしまうかのような期待を抱かせる。それは、彼と初めてこんなに近くで触れ合ったからこそ感じたものに違いはないだろうが、同時にそれはリザに恐怖をも与えていた。
 「あの日」を境に、自分が自分でなくなってゆくようなおそろしさを抱いていたリザにとって、今ここで導かれた答えはあまりにも現実とかけ離れ過ぎていたのだ。
「私は、どうしてしまったんでしょうか……」
 弱音を吐き出すような小さな呟きと同調したかのように、リザは俯いた。
 自分で自分がわからないとは、まさにこのことだと思う。わからないときは自分の胸に聞いてみればいい。彼はそう言ったけれど、そこで得た答えにリザは確 信を得ることができない。――自分の心は嘘をついてはいないのだと、誰よりもわかっているのは自分であるはずなのに、だ。
 ロイは、離れたリザを無理に引き戻すことはせず、まるで壊れ物に触れるかのような優しさでもってリザの頬を掌で包み込んだ。
「私がそうだったように、初めてのことには誰でも戸惑う。今度は君が、自分で気付かなければならないことだ」
 そう言葉を紡ぎながらロイは、今度はリザを上向かせ、親指の腹で彼女の唇をなぞった。彼の表情は、何もかも見通したかのような上官のそれに、希望を含ませた温かなものだった。
「だから、そのときまで、大事にとっておくよ」

『……君は、恋をしたことはあるかね』
 そして後に。ロイのこの問の本当の意味を、リザは知ることになる。



Fin



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