ロイの送迎は、リザとハボックの交代制だ。気紛れによるものがほとんどだが、ここ最近は二人で一週間を区切りに交代している。リザが風邪で休んだあの日からハボックに交代となっていたので、暫くロイがリザと二人きりになる機会はほとんどなかった。
 ロイの執務室でなら、いくらでも二人きりになることはできるのだが、それは故意に作り出すことができた場合のみである。ここ数日は、ロイも個人の執務室ではなく皆のいる大部屋でデスクワークに励んでいるから、その状況を作り出すことすら困難だった。
 けれどロイは、それでよかったのかもしれないと思い始めていた。ロイにはリザが自分のことを避けているように思えてならなかったのだ。
 まるで二人きりになることをおそれるかのように、リザは仕事の用事が済めばすぐに自分の傍からいなくなってしまう。視線がそっと自然に交わることもなく、互いに微笑むこともなく、彼女と自分の距離は、離れてゆく一方だった。
 彼女の立ち位置がぽっかりと空くのを見ると、心まで空っぽになった気分だ。
 あの日の行為が「後悔」を呼び起こそうとしている。しかしそれでも、「忘れてくれ」と、「無かったことにしてくれ」と、唇が形取ることはなかった。自分は前に進んだはずなのだと、ロイは自分自身にそう言い聞かせて、静かに自分と彼女との距離をはかっているのである。
 大部屋に広がる騒がしさに、ロイはふと顔をあげた。
 ロイがそうして物思いに耽っている間、いつしか時計は正午を指し、昼休みの時間を迎えていた。大部屋で仕事に励んでいた部下たちが我先にと外へ出てゆくのを見送りながら、ロイは何気なくリザの方へと視線を向ける。
 するとリザの方もロイの視線に気付いたのか、机上の書類から顔を上げ、ロイを見た。
「大佐も休まれてけっこうですよ」
「ああ」
 短いやり取りの後、リザは書類を揃えてファイルに綴ると、「失礼します」と席を立った。彼女もこれから休憩をとるつもりなのだろう。
 ロイは、リザが大部屋から出て行くのを見とめると、詰めていた息を吐き出すように溜息を吐いた。
 そこでリザの退室を見はからったように、軍靴の音が静けさを取り戻した部屋に響き、ロイの視界にゆらゆらと燻る紫煙がよぎる。煙草の匂いが鼻を掠め、言葉の主を声だけでなく認識した。
「大佐、中尉と何かあったでしょう?」
 ハボックの言葉に、ロイはひとつ苦笑を落とす。そこにからかいの色は含まれていなかったから、ハボックのそれを振り払うことがロイにはできなかった。
 ロイは否定もせず、肯定もしなかった。そのかわり、その話はもう終いだとバサリと書類をはたいて、上官然とした口調で言い放つのだ。
「お前は少しおせっかいが過ぎるようだな。そんなことを考えている暇があるなら――」
 しかしロイは最後まで言い切ることができなかった。いつもは飄々としているあのハボックが、眉間に皺を寄せ、それ以上言ってくれるなと机を拳で殴ったからだ。
「今の大佐たちを放ってはおけません」
「……」
「俺、嫌ですからね。あんなよそよそしい大佐と中尉、見ていられないです」
 そう言って机に叩きつけたその拳を握り締めるハボックの様子は、喧嘩した両親に「お願いだから仲直りして」と言い縋る子供のようだとロイは思った。
「なぜお前は、そんなに懸命なんだ」
 呆れるというよりは、不思議だという響きを多分に含んだ呟きがロイの口から零れ落ちる。
 あの日もハボックはそうだった。まるで心の内の声を読んでいたかのように、全てを見通したかのように、自分に助言ともいえる言葉を残したのだ。その言葉がなければきっと、自分は今までと変わらず、だらだらと窮屈に女性との付き合いを続けていたかもしれないとも思う。
 けれど、どうしてハボックがこんなにも自分たちのことを考えてくれているのかが、ロイにはわからない。
 ハボックはいつも丸めている背中をピンと伸ばし、ロイの疑問に答えるように一気に発言した。
「俺は男だから、大佐の気持ちがわかる。俺は大佐の部下だから、中尉の気持ちがわかるんです。……そりゃ全部が全部わかるというわけじゃないし、どうして大佐と中尉がこんなふうになっているのかも正直わからないっスけど……。でも俺は、早くいつもの二人に戻って欲しい」
 ロイとリザに長く仕えてきたハボックだからこその言葉だった。
 上官である自分に真っ直ぐぶつかってきたハボックに、ロイは、こうありたいと思っていた自分の姿を垣間見たような気がしていた。若さがそうさせるのか。どこまでも真っ直ぐで、結果をおそれぬ勇ましさをそこに感じる。
 それは、いつしか自分のなかで少しずつ失われていったものだ。……いや、自分が失くしたと思っていたものはきっと、自分から手放してしまったものに違いないのだろう。
 ――「あの日」、自分は彼女を手放すべきではなかったのだ。
「執務室に戻る」
 そう言って書類を片手に立ち上がったロイの背中を、リザがいつもそうしていたように、ハボックがトントンと叩いた。ロイが振り返ると、ハボックは眉間の皺を緩めて、諭すように言う。
「中尉が一番大切にしているのは誰だと思います? 大佐はそのことをちゃんと知るべきです」
 それから最後に「偉そうにすみません」とハボックは付け加えた。そんなハボックの背中を、ロイはお返しだと言わんばかりに思いっきり平手で叩く。「痛ぇ!」と背中を丸めるハボックに、ロイは笑った。




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