これは、うららかな春という表現が最も似つかわしい3月のとある日の出来事である。
 東方司令部では、上司部下関係なく休憩と表したおやつの時間に談話しながら過ごすのが常である。会話にも階級の隔たりはなく、仕事の話よりも私生活の話やらの雑談がメインであり、それぞれ思うところを遠慮なく話したりするのだ。
  その日はセントラルからヒューズ中佐がやってきていたので、休憩も長引きそうであった。しかもグレイシア特製のアップルパイをヒューズが見せびらかしてく れたおかげで、部屋中の人間が休憩時間をまだかまだかと心待ちにしている。皆がグレイシアのアップルパイの大ファンなので、ヒューズの惚気話を聞くのは少 々堪えるが、正直とても嬉しいのだ。
 時計の短針が3を指したので、リザが椅子から腰を上げて給湯室へと向かった。彼女は全員分のお茶を淹れに行ったためにしばらく戻ってこない。リザの退室を合図に、ざわざわと部屋中が浮き足立つ。
 そこで話題提供とばかりにヒューズがひそひそと口にした言葉に、皆が身体を固めた。
「――リザちゃんに好きな人ができたらしいな」
 特に反応したのは我らがマスタング大佐で、手にしていた万年筆を書類に向かってポトリと垂直に落下させてしまった。哀れなことに、万年筆は書類を貫通し机に真っ直ぐ突き刺さってしまっている。
 何かしら聞きたいことがあるらしいのだが、口をパクパクさせるだけで声を出せなくなっているロイの心情を汲み取ったハボックが、代わりにヒューズに問うた。
「……で、お相手は?」
  ロイやハボックだけではない。部屋中にいる人間が耳をそばだてている。ロイ一筋であるリザが彼以外を恋愛の対象にするようには思えないのだから、衝撃もそ れなりに大きい。その場にいた全員が固唾を呑んでヒューズの次の言葉を待っている。もちろんロイの表情を窺うことも忘れない。
「それが……わからんのだそうだ」
「へ?」
 口に咥えていた煙草が落ちそうになってハボックは慌てて指で支える。
「仮面に覆われていて、顔を見ていないんだと」
「か、仮面?!」
 ブレダがサンドイッチを喉に詰まらせて、慌てて水を口にする。そのサンドイッチからは具がはみだしており、今にも具がごっそりと落下しそうだった。
 ヒューズは周囲からの視線を集めてしまったことに幾分気を良くしながら、事の始まりを告げた。
「昨日電話したらロイが留守でかわりにリザちゃんが電話に出たんだが、そのときに「イーストシティで仮面をつけた男性をご存知ないですか?」って聞かれたんだよ」
 そこで、手を休めていたファルマン准尉がポンと手をうつ。
「ああ、それなら私も聞きました」
 その時間ちょうど部屋に居合わせていたのだろうファルマンがそう口にする。
 そこでロイの目がきらりと光った。ファルマンのことだからきっと会話を一部始終覚えているに違いないと、あとで全部聞きだそうとロイが考えていることは容易に知れた。
「――でも、どうしてそれが恋愛云々の話になるんでしょうか?」
 フュリーが首を傾げながら呟いた言葉に勇気を得たのか、ロイは「そうだぞ、ヒューズ。ただ仮面をつけた不審人物を見たから気になっているだけに違いない」と腕を組んでうんうんと頷いている。
 しかし不運なことに、ロイのその淡い期待さえも打ち砕かれてしまうのだ。
「俺 もお前さんほどじゃないがリザちゃんとは長い付き合いだからな。わかるんだよ。……リザちゃんの口からプライベートなことでロイ以外の男の話が出てきたこ とは一度もない。それに「もう一度会ってみたい」なんて言ってたしな。これはもしかすると……って普通は考えるだろう?」
 ロイが固まった。焔の錬金術師が氷のオブジェと化している。だがヒューズは更にロイに追い討ちをかけた。ロイの反応ひとつひとつを面白そうに眺めていることからして、そこにはからかいの意図が多分に含まれているのだということがわかる。
「ああ、そうだ。ナンパされてるところを助けてもらった上に花をもらったと言っていたからな。向こうも案外リザちゃんに気があるのかもしれん」
 ところがヒューズの言葉に気になるところでもあるのか、ハボックがおそるおそるロイに声をかけた。
「た、大佐……」
 ピクリとその声に反応して、ロイが我に返る。
「なんだ、ハボック」
「確か、あのとき中尉をナンパ野郎から助けたって言ってませんでした?」
 あのとき――先週、とある大富豪のお屋敷で催された仮面舞踏会のことだと付け加える。東方司令部の副司令官としても「焔の錬金術師」としても名を馳せていたロイは、招待状をもらい渋々出かけていったのだ。
 リザはたまたまその屋敷の前を通りかかっただけで、仮面舞踏会が催されていることなど知らなかったのだろう。仮面をつけた男を不思議そうに見上げながらも、彼女にしては珍しく好意的だったことをロイは思い出していた。
「ああ、そうだ。中尉が私だと気付かなかったようだったから、ついつい調子に乗って薔薇の花をプレゼントしてしまったと――確かそんな話をお前たちにしたな」
「「「…………」」」
 場がシーンと静まり返る。おそらくその話を聞いた全員の脳裏には、リザがいないときにロイが自慢気に話していたことが思い出されていることだろう。
 ロイとリザはいつ恋人同士になってもおかしくないほどに相思相愛なのだが、まさかこんなところでも惚気られるとは誰も思わなかったに違いない。
 ただひとり――ヒューズだけが、最初から悟っていたのだと言わんばかりの笑顔を浮かべていた。



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